昨日、今日、明日

昨日、今日、明日

2023.02.25 – 2023.03.10 東京・埼玉

数日前の朝、これから執筆に向かうために居間で資料に目を通していると、視界の隅に「移動する異物」を感じた。だから窓のほうをフッと見た。えっと息を呑んだ。大きいものが動いていて、それは猫ではない。もちろん野良犬はこの界隈にはいないから、わが家(雉鳩荘)の庭の隅を歩いているのは犬ではない。尻尾を観察するに狸でもない。アナグマだった。直進して、まさに雉鳩荘の敷地の隅の穴に入って(この場所には穴なんてものもあるのだ)、どうなるのだろうか、と待っていたら、数分で出てきて、1メートルほど跳び上がり、隣りの敷地へ消えていった。

2月25日の朝にこのウェブサイトに手紙のメッセージをあげた。アップしてくれたのはスタッフたちであって、ロゴ(「銀河鉄道の夜」のレギュラーのスタッフである椚田透さん作)も改まっていて、じつは私はそんなことを予期していなかったので、本当に驚いた。そのことへの感謝はさておき(本当は「さておいて」はならないので、真剣に感謝する)、あのメッセージには正直な思いを書いた。原稿を用意して書き写した、わけではない。心のなかにある感情を少しずつ、言葉に換えて、文字にした。だから私は、ただ言う、おかえりなさい。

昨日、ふくしまFMでのラジオ朗読劇「銀河鉄道の夜」の3夜にわたる放送がぶじに終了した。私がこのラジオ朗読劇を「やる」とキャスト・スタッフの常連に伝えたのは去年の8月、そのゴーサインを出せたのは、ゴッチ(後藤正文さん)が「やりますよ。いっしょに」と私に言ってくれたからでもある。それから音響の打ち合わせもこの夏のうちに始めて(まずは川島寛人くんの会社のオフィスから)、秋、収録現場となる千葉県の小湊鐵道・上総鶴舞駅の駅舎を小島ケイタニーラブくん他幾名かのメンバーとともに見学して、「ここでやる(ゴーする)」とも決めた。日程調整、打ち合わせ、そして昨年12月の脚本執筆。今年1月の収録。1月末から2月頭のスタジオ作業。ずっと走りつづけたのだった。地元・郡山の、「ただようまなびや」スタッフとの久々の交流が昨年秋にあって、それはダイレクトに、ふくしまFMとの紐帯形成につながった。その、ふくしまFMのプロデューサーが、このラジオ朗読劇を宮沢賢治さんの地、岩手にもつなげてくれた。レールは、私ひとりの力で延びるのではない。レールは全員がそれぞれに延ばし、この惑星にひろげている。

明日、12年めの3月11日になる。まさか朗読劇「銀河鉄道の夜」の活動を、私は、12年めに突入するような形でやるだろうとは2011年には想像もしていなかった。しかし、気がつけば、それはずっと続いている。世間はけっこう、いろんなことを忘れたな、と思う。それはそれでかまわない。映像作品『コロナ時代の銀河』(河合宏樹くん監督)が生まれた時から、たぶん、この音声バージョンの銀河という作品は、地中に種は蒔かれていた。たぶん、レールを空まで、宇宙まで延ばすためには、地中に、大地に根を張る必要がある。

そういうことならば、私にもできる。

私は、めだつことなんてぜんぜんできないけれども、根を張ったり、水を用意したり、雉鳩荘に遊びに来る猫をちゃっかり手なずけたり、そういうことはできる。はたして、そんなささやかな行為で〈世界〉は豊かになるのか?

もちろん、なるのだ、と私は信じている。

仲間たちが作家デビュー25周年を記念して、ある植物の苗を送ってくれた。花言葉は「未来を見つめる」というのだそうだ。それを、先月(2月)のうちに庭の一角に植えた。これは植樹式なんだな、と思った。この樹が育つ25年後まで、ここに生き、〈大きさ〉を見届けたいと心から思った。私は念じた。

小説を書かなければならない。ひたすら、本を書かなければならない。本など出版できない日が来る可能性はある。それでも書きたい、とこの10日間ほど思いつづけている。そのために、まず、『の、すべて』を仕上げる。アナグマすら往き来するこの雉鳩荘で、猫たちを手なずける可能性だって内包している雉鳩荘で、植物がいっぱいにいっぱいに茂る未来を持っている雉鳩荘で。人をもっと愛したいと思う。文学をもっと愛したいと思う。だから〈世界〉を愛したいと思う。これは真剣に綴るのだけれど、私は神話の創造者になりたい。あと25年生きれば、それができるか?