今日。この今日

今日。この今日

2023.04.29 – 2023.05.12 東京・埼玉・神奈川・福島

本当ならばこの「現在地」を書きつづけて100回めになった、と、そのことを強く伝えなければならない。「現在地」の1回めというのは2019年の3月29日からのことを書いて4月12日からスタートしているのだとも語らなければならない。この歳月の蓄積を、強く、強く言わなければならない(という気がするのだった。私は)。が、もう言ったに等しいのだとも解釈できる。だから。今日のことを記す。1回めからは4年と1カ月が過ぎている今日、2023年の5月12日。

朝、ビジネスホテルを出る。いわき駅で2羽のカラスと話す。けさは、熱もなければ咳も出ない。まだ特急列車は来ない。ベンチで文芸誌を読む。寸暇を惜しんで本を(小説を、何かを)読まなければならない。ホームが寒い。常磐線に乗る。北上する。車窓をずっと眺めている。久之浜の海に出会う。末続駅あたりの緑が異様に美しい。ソーラーパネルが醜い。列車の走行音をずっと聞いている。発電所がある。私は、それを何々発電所と示せるのだけれども、示すことに意味があるのか? 木戸川に鷺。その白さが目映い。富岡駅、大野駅、双葉駅、浪江駅と続いている区間。思考が走る。むしろ私の内面で感情が走っている。つまり電車が同行している。

原ノ町駅で折り返す。小高に行かなければならない。

小高。常磐線舞台芸術祭の記者会見、Rain Theatre にて。その前に控え室。他の実行委員の方々にご挨拶。柳美里さん(発起人)に会うのは何年ぶりなのか? 小松理虔さんとは3年弱ぶり。平田オリザさん(フェスティバル・コーディネーター)とは、初めてお会いするのだが、じつは30数年前に挨拶したことがあって、という話を私がする。それからの記者会見。自分のスタンスを静かに語る。よい演劇フェスティバルになりますように。常磐線が縦に福島を、宮城を茨城をつなげているように、福島県内が横にもつながりますように。との思いが中通り地方出身の私の内部にはある。常磐線が走るのは福島県の浜通り地方だ。いろいろなメディアの方と短く、つぎつぎに、お話しする。映像の取材もひとつ。柳美里さんのドキュメンタリー番組らしい。雉鳩荘に戻るための最初の電車が小高に来るのは、記者会見が終わってから2時間半ほど後になる。フェスティバルのアートディレクターの形山佳之さんとお茶をする。ブックカフェのフルハウス内で、だいたい1時間半。すると、フルハウスに置いてもらっていた著書群に「古川さん、サインをしてくれませんか?」とお店の方に乞われて、10数冊にサインをした。全部別の本。不思議な感慨がある。今日はそういう日になるとはイメージしていなかった。

小高駅まで形山さんが送ってくれた。それから20数名の学生たちに混じって、ホームにひとり。蛙の鳴き声がした。あっ、水田なのだ、と認識した。泣きそうになった。そこに稲が戻ってきている、という感慨のことは、説明し出すと長い。だから説明しない。

電車に乗り、北へ。鹿島駅のあたり。水田の上を鷺が飛んでいる。白鷺だ。新地駅のあたり。深い静けさに体内が満たされる。県境いを越える。また鷺。ここから鷺が凄い。次の坂元駅までのあいだに10数羽を見た。鷺、鷺、鷺。そして白鷺だけではない。青鷺もいる。北上すればするほど、どんどん、どんどん鷺は増える。もう100羽を数えた気がする。そして亘理駅に近づいて、胸がうずき出す。亘理駅を過ぎて、確実に胸は痛む。なぜならば阿武隈川が騒いでいる。河口が泣いている、呼んでいる。私を? その、河口から10キロさかのぼった阿武隈川を、常磐線は渡った。阿武隈大堰が見える。ダムだ。それから岩沼駅に近づいて、そこは国道6号線と4号線の合流地点で、そのこと自体が私には強烈で。記憶が何かを言っている。ひでお、ひでお……と言っている。だが、それは誰の記憶だ? 私はたぶん、また歩かねばならない。体力を取り戻さねば。日没が近づいている。都市圏に入る。そして仙台。

力尽きる。食事をして、どうにか新幹線に乗った。いま、東京をめざしている。この「現在地」は、その車中で書いている。日付が変わるまでに雉鳩荘に着いて、明日は昼前までに、短い原稿をひとつ仕上げなければならない。この極限を、圧倒的なる確信をもって乗り切ろう、と、いま現在、腹を括っている。今日も新しい人たちと出会えた。何十人もの人たち、それから何百羽もの鷺がいたのだ。