コロナ時代の銀河・註

停まっている時間の内側で

私たちのプロジェクト「朗読劇『銀河鉄道の夜』」は、2021年3月11日に映像作品『コロナ時代の銀河』を制作・公開し、その1年後、すなわち2022年3月11日にその英語字幕版と仏語字幕版の無料配信に入った。フランス語字幕のついたバージョンを、フランスの方々といっしょに観る機会を持ったので、その際に「このことは説明しておいたほうがいいな」と私が感じたことを、ここに書きつける。

校庭のシーンがある。そこでは校舎が何度も映る。その校舎には、時計が掛かっている。いったい何時だろうか? いや、それが「何時なのか」はじつは問題ではないのだ。その時計が、この『コロナ時代の銀河』という55分間の映像が進行するなか、いったい「何分間の、何時間の進行を見せたのか」を確認してほしい。すると、どういう時間の内側に、あの映像作品があって、それを鑑賞するあなたたち/私たちがいるのか(いたのか)が判明する。

ピンポン球が登場する。しかも大量に現われる。それは柴田元幸さんの演じる「鳥を捕る人」が抱えた籠や、その巣のかたわらにも保管(?)されていることから、卵なのだ、と直観されるだろう。いったい卵とはなんなのだろうか? それは、壊れやすいものである。それは、これから地上に生まれ落ちる〈生命〉の源である。それは、生まれ落ちてからも生まれ落ちる以前も、人間の食糧になる……なりうる。しかしこの映像『コロナ時代の銀河』の内側では、それはピンポン球である。いったいピンポン球は、何のために製造されているのか? 人間(=人類)の遊戯のため、である。そうしたピンポン球が、隠喩として「壊れやすいもの」「〈生命〉の源」「人類の食糧」である、ということ。

体育館には鏡がある。鏡は、こちらの世界をあちらに映す。だが、この『コロナ時代の銀河』という作品は、すでにあの世の物語であるのに等しい(原作の『銀河鉄道の夜』の鉄道車内のシーンが、すべて、あの世で展開しているように)。あの世が、鏡に映る時、いったい映し出されているのは〈どこ〉の世界なのだろうか? そして、どうしてジョバンニは、その世界に魅入って/魅入られているのか? 鏡というものは、校舎の廊下でもふたたび登場する。それともうひとつ。そもそも撮影者が手にしているカメラ(撮影用の機材)……これもまた鏡ではないのか? それは物体の像を記録する装置であり、そこにレンズがあるのだから。

以上、謎というかエニグマータ enigmata というか、注目して観てもらえば『コロナ時代の銀河』の層が変わる/深まるポイントを、列記した。もちろん、正解などというものはこの作品にはないけれども。

(撮影:朝岡英輔)

 

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