コロナ時代の銀河・補

創りあげられる過程で

映像作品『コロナ時代の銀河』はその題名が示すように、コロナの時代には何ができない(とされている)のかをも主題としている。たとえば演劇の公演、音楽の公演ができない、という時期があった。いまもある。そして『コロナ時代の銀河』を撮影する前後にもあったので、私は「無観客の野外上演」というスタイルを選択した。だが『コロナ時代の銀河』とはそれだけのものではない。そのような「無観客の野外上演」がどのように創出されるか、の過程をも映像に映し出す、ということが随所で行なわれている。たとえば無人の校庭に、ステージが組まれて、そこで上演が始まる、等。この上演に至るまでのプロセスこそ、普段はオーディエンスには触れることのできない部分なのに、そこをも「観る」あるいは「見せる」ことで、観客がクリエーションを行なう側に付いてしまう、という180度の転換を、私は、そして河合宏樹監督はした。

だから、ここにみっつ、よっつ、撮影に至る〈前〉までに起きていた事柄も記す。完成した映像には私=古川日出男=ジョバンニがサランラップをぴぃっと引きだし、それでカメラのレンズを覆ってしまうシーンがやや長めに映っている。このアイディアを最初に閃いたのは私なのだが、それに応えての河合監督の第一声が凄かった。というのも、「それは古川さんの眼球の状況を、カメラを通して再現することだ」と、彼はこの案に賛意を示したのである。私は当時、白内障がかなり進行しはじめていて、特に右目はだいぶ白く曇っていた。私の閃きは、そういう個人的な状況とはぜんぜん無縁だったのに、〈個人的なところにつなげる〉ことにこそ重きを置け、と監督は言ったのだった。

賢治の短歌4首の英訳を柴田元幸さんに依頼したのはむろん脚本家の私で、その前段階、私は現存する宮沢賢治作の短歌全首をあらためて読み通した。相当な数があるので丸2日かかった。そこから選んだ4首を柴田さんに送ると、テッド・グーセンさんとの仕上げに入る前に、まず柴田さんが単独で訳してきてくれて、「基本的に、内容の把握はこの方向性でいいか?」と尋ねてきた。私にそういうことを判断できる英語力はまったくないのだが、私にはいちおう文学的な批評力はあって、〈短詩〉型の文学には(短ければ短いほど)読みの数は増えるので、その方向性の舵をとれ、と言われているのだとわかった。すなわち『コロナ時代の銀河』に挿入すべき、宮沢賢治短歌の〈読解〉の可能性とは何か? だからここでは、賢治さん+柴田さん+グーセンさん、に古川を加えた、いわば〈読解〉の交響が行なわれていて、それが英詩として響いている。

私は同時に、管啓次郎さんに、それらの4首に基づいた(たとえばソネット的な)詩の書き下ろし、というのも依頼した。いちおうの私のイメージは、これも管さんに伝えたのだけれども、短歌内のフレーズのサンプリングや、フレーズの変容、その流転のようなもの、だった。そして4首を提示するや、ちょっと驚愕する速度で新しい詩篇は産み落とされて、私の前に投げられてきた。管さんの場合、ある土地に触れる時に「もっともダイレクトに感応する」資質があって、『コロナ時代の銀河』の撮影場所であるそこ(東京都内だがマージナルな地域)に関しても事実そうだったのだけれども、こうして「この短詩たちに基づいて」うんぬんとお願いすると、それらの4首を〈土地〉として旅してしまうのが管さんなのだ、と猛烈に私に実感させた。ちなみに私は、ある土地に触れるとたちまちその土地の〈フィクション的な装置〉のある箇所、というものの発見に入る。それはつまり、体育館を体育館として眺めるのと同時に、別の〈装置〉として体感し出す、という惑い方だ。本質的に自分は物語の磁場に立つ文学者なのだと思う。

小島ケイタニーラブ君には、「あなたという人物から、映像が進行するにつれて、音のアイテムがどんどんと産まれる=増殖する」ということをやってくれ、と無茶ぶりした。すると小島君は、「電気の登場で音楽は変わったから、最終的には校庭の場面で、現代の音楽が『電気で飛躍』したことを可視化する」と返してきた。度肝を抜かれた。実際に彼は蓄音機型のスピーカーだのTV型のスマートフォン・スタンドだの、とんでもない機材の布陣を用意した。この『コロナ時代の銀河』という映像の作品において、音楽の側面をつかさどりながら、それを見える=映る形にもした、というところが、私には賢治的な越境に思える。

(撮影:朝岡英輔)

 

➡️無料配信中『コロナ時代の銀河』