ベルカの頃

2005年4月

これは『ベルカ、吠えないのか?』が刊行されるのに前後して、2005年4月に、ある媒体に掲載されたセルフ・レビューである。原稿にはいっさい手を加えていない。数字も、漢数字をアラビア数字には換えないでおく。ちなみにアンダーバー(_)に挟まれた文字、フレーズには傍点が振られる。脳内で変換してほしい。

 今度、九作めの小説を上梓することになった。第一作を発表したのは一九九八年だから、それから七年。著作数が多いのか少ないのか、ちょっとわからない(個人的には多い気がする)。ただ、僕にとって小説が確実に_実戦的_なツールになってきているのは、明らかだ。
 どういう意味か? この世の中と格闘するための、武器、ということ。
 小説がただの小説で終わることを、拒否しはじめている、ということ。
 九作めのタイトルは『ベルカ、吠えないのか?』。構想段階での仮題は『∞犬伝』だった。この仮題はもちろん『八犬伝』のもじりで、“8”を横に寝かせて、無限大の記号にしたわけ。どんなふうに読ませるかは、決めていなかった(担当編集者にはとりあえず、「前のめり八犬伝」というふざけた読みを教えた)。ただし、この仮題は内容にはかなり忠実だ。つまり、これがイヌの物語であって、イヌは無限にちかいほどの数、登場するということ。
 本気で、何千頭もが言及される。もしかしたら一万頭を超えたのかもしれない。ちゃんと数えていないので、わからない。
 そんなにイヌを出して、いったい何を書いたのかといえば、歴史だ。それも二十世紀だ。僕はイヌたちの生涯やら、運命やら、そうしたものを通して、いっきに二十世紀を駆けぬける物語を綴ろうと試みた。綴ろうというか、語ろうとした。一見、単なる三人称の小説のふりをしたこの『ベルカ、吠えないのか?』は、本当は僕によって語られている。作者の古川日出男によって、だ。
 いろんな小説で語り手を出したけれども、自分を語り手にしたのは、初めてだった。
 でも、どうしてそんなことをしたのか?
 二十世紀は僕の世紀でもあったから、に他ならない。ようするに、お行儀よく、じっとしているわけにはいかなかったのだ。他人事にするわけには、全然いかなかった。そんなことをしたら、嘘になる。あるいは世間的には「小説というのは嘘を書くものだ」と了解されているのかもしれない。でも、僕はちょっと待て、と言いたい。僕が本気で世間と渡りあうために書きつづけ/語りつづけている_こいつら_が、ただのフィクションだって? そんなの、冗談じゃない。たとえばテレビを観る行為、新聞を読む行為、あるいは一種類の教科書だけに歴史を学ぶ行為、そこにはフィクションがないって、誰かは本気で信じちゃっているのか? そして「小説はフィクションの側だ」って、線引きをしているのか?
 冗談じゃない。
 だから僕は書いた。二十世紀まるごとを、僕は書いた。それは戦争の世紀で、そしてイヌの世紀だ。そして僕の解釈するところ、ロシア革命ではじまり、ソビエト連邦の解体で終わった世紀だった。一九九一年には、なかば終わっていた世紀だった。その一九九一年、僕は当たり前の二十代の若者にして、馬鹿者で、だから前年までは_いま_・_ここにある_歴史をリアルタイムで感じたりはしなかった。する必要なんかないのだと、不遜にも思っていた。それが一九九一年の一月、突然変わった。湾岸戦争が勃発した。僕は衛星放送のニュースに齧りついた。そして唐突に終わった。八月、ソ連でクーデターがあった。情報が錯綜して、しかし呆気なく終わった。それから十二月、信じられないことにソ連が消えた。あまりにも簡単に、それこそ八年後のノストラダムスの予言の“不発”の衝撃にも及ばない、なんだか茫然自失するしかない感触で。
 その時、僕は真剣に怒った。
 いままで叩き込まれてきた価値観、世界観、教え込まれてきた歴史観、そんなの、全部、書き割りじゃないのかって。
 完全に洗脳されてたんじゃないのかって。
 誰が洗脳していたのか? もちろん、世の中だ。世間だ。
 そして二十代の若者(にして、馬鹿者)は思った、僕が生きてきた二十世紀、この二十世紀、そこに投げかけられたベールは、いつか残らず、僕が剥いでやる。いいか? お前たちを直視して、ざまあみろ、と言ってやる。
 そういう挑発的な態度は、結局、あれから十四年が経っても変わっていない。僕は二十代の青臭さから、全然脱却していない。それどころか作家となって、僕が編みつづけ/語りつづける小説は一作ごとに攻撃性を増している。いうなれば確実に_実戦的_なツールに育ちはじめている。
 万歳、と僕は思う。
 そしてこの小説だ。この九冊めの、『ベルカ、吠えないのか?』だ。僕は無限の頭数のイヌを伴走者に、ついに二十世紀を語りだす。実際には、僕が彼らの伴走者になって、歴史が翻弄してきたイヌたちの物語を、ここに吐きだす。イヌたちは吠える。愛し、憎み、だから吠える。合い言葉は——その吠え声は、うぉん、だ。この小説内で、イヌたちはどこにいる? アリューシャン列島に、ハワイ諸島に、朝鮮半島に、インドシナ半島に、アメリカに、メキシコに、アフガニスタンに、もちろん旧ソ連邦内に、だからどこにでも、いる。
 それがこの小説だ。イヌが、吠える。