さかのぼると祖先はいっしょだから

さかのぼると祖先はいっしょだから

2019.05.11-05.24 東京

私は1992年のクリスマス・イブにどのように過ごしたかを憶えていて、その夜は、路上にいたのだった。ひと月半前から交流を深めていた1匹の野良猫といたのだった。コンビニで買った猫缶をあげていた。猫は私の膝に乗って、毛繕いしていた。暖かい冬の夜だった。私は、この猫とは、雨の日に初めて触れあった。猫は、巨木の下に座っていたのだけれども、しかし濡れていた。だから私が傘を差しかけた、中腰になって。すると、その猫は私の膝にのぼらんとしたのだ。そこから全部スタートした。

私はその頃、会社を辞めて1年ほど経ったところで、ライターでどうにか暮らし、もちろん貧乏で、小説家になろうとしていて、でも毎日、コンビニで猫缶を買い、この猫にあげた。雄か雌かもわかっていなかった(雌だった)。いっしょに散歩をするようになった。私が歩く、すると、そのかたわらを、猫が顔をチョコチョコあげながら走る。いっしょに進むのだ。いま、思い出してこうして綴ると、少し泣きそうになる。その猫と、結局、クリスマス・イブの半月後に同居を始めた。ペットを飼えない部屋で、こっそり飼い出した。そして、2010年の松の内まで、私はこの子といっしょだった。看取った。

私が驚いてしまうのは、私の肉体は、「私が摂取したもの」でできていると思いがちだけれども、しかし、スタート時点ではそうではなかった、との事実だ。私は、母親が摂取するものを素材に生まれた。私は母親の肉体だった(その胎内にいたのだから)。すると、私はもともとは母親で、その母親は、生まれる時にはそのまた母親の肉体だった。こうやって遡上しうる。すると、どこまでさかのぼれるか? 人が人になる前、さらに、哺乳類というものが生じる前、さらにさらにさらに……とさかのぼれて、私たちの素材はこの星・地球の誕生と関係し、すると太陽系の誕生に、銀河系に、とさかのぼれる。宇宙の誕生にさかのぼれる。

宇宙は、その誕生が138億年前にさかのぼれる。「その宇宙が生まれる前は?」と問うのは、さほど意味がない、と私は個人的には思っている。むしろ問題は、この宇宙が無限には続かない、無限膨張はしない、と無謀にも設定してみることで、そうすると、その「終点もあるこの宇宙」は、じつは私に小さな希望をもたらす。始点があり、同時に終点がある「生 life」をわれわれは生きている。だが、宇宙も同じだ、とする。すると、ここが有限であるからこそ、その内側には無限が孕まれる、とわかる。そのように直観する。いったい私は、何を言っているのか? 言わんとしているのか? たとえばあなたが、地球上のどこでも歩けて、どこでも泳いで移動できるのだ、と仮定(設定)する。すると、あなたは有限であるはずのこの球体の上を、どこまでもどこまでも、「終わりのない」歩を進められる。

このイメージ。私はもう、この「生 life」を直線のようには捉えない。そして、あの猫といまもいっしょにいる。あなたともいっしょにいる。