けれども、だけれども祈りは

けれども、だけれども祈りは

2022.03.12 – 2022.03.25 東京・神奈川・埼玉

東日本大震災をある意味で「記録」する3月11日という記号(の日)の5日後に、福島県沖で最大震度6強の地震が起き、知り合いなどに聞いても「11年前のあの時と、ほとんど同じ強さの揺れだった」との答えが返ってきて、これはさらに6日後の「東京電力管内、東北電力管内で大停電が発生するかもしれない」という事態を惹き起こして、ただ、その地震発生の直後の不思議な出来事といえば、TVアニメ『平家物語』の第10話の深夜の(フジテレビの地上波での)放送が休止となり、いったん延びて、翌週、最終話(第11話)との連続放映という形になった、ということだった。

第10話のタイトルが「壇ノ浦」で、最終話のタイトルは「諸行無常」で、この2話が続けて壇の浦という海峡での源平最後の合戦を描いていて、それは史実としては元暦2年3月24日のことで、放映は、新暦(現在のグレゴリオ暦)ではあるが3月24日だった。その日にたとえば、彼は死に、彼女は死に、その「彼」のなかには平知盛もいたし、「彼女」のなかには二位の尼(平時子)もいたし、その時子が「道連れ」にしたのは、彼とも彼女とも呼んでいいとは思えない安徳天皇だった。

私はその2話連続の放映を観て、形容しがたい気持ちになったのだけれども、それこそ『平家物語』の原文の冒頭にある「詞(ことば)も及ばれね」(=いかなる言葉をもって表わせばよいのやら)なのだけれども、ここでは、圧倒的な感動(その余韻はまだ続いている)とはやや別のフェーズのことを記しておきたい。私は、アニメの固有の主人公であるびわが、水中に身を投げた建礼門院(平徳子。安徳天皇の母親)に手をのばし、救おうとする姿に、あの宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のふたりめの主人公、カムパネルラが、川に溺れた級友を助けるために、自身も身を投げる、というシーンを重ねて観て/見て/視ていた。

その最終回を視聴するのは、私はじつに5度めだったのだけれども、今回はテレビ画面を通して初めて、私には複数の情景が重なって見えた。まるで(アニメの主人公の)びわの右目と左目とが、合計して、みっつの視野を捉えられるようでもあった。

これは取材のたびに公言しているのだが、私は「子供の頃から『平家物語』を愛読していた」類いの人間ではない。私は、依頼を受けたからこの現代語訳を引き受けた。その時は、私の内部にはそんなには必然性はないのだと思っていた。しかし、私は東日本大震災が起きた年から朗読劇『銀河鉄道の夜』というプロジェクトをずっと続けている人間であり、また、その「ずっと続けている」理由には、溺れる人と、それを救おうとする人、の構図があることを、『ゼロエフ』という本で昨年初めて告白もした。

つまり、今回の、第10話「壇ノ浦」と最終話「諸行無常」の連続オンエアが私に理解させたのは、私には、じつは最初から『平家物語』を全訳する理由があった、そうした理由はこの私の人生に内包されていたのだ、との、ほぼ衝撃的な事実だった。

私はこのアニメに感謝する。このアニメに関わった、あらゆる方々、もちろんスタッフに声優さんたちに、それ以外の、やっぱりあらゆる方々、に感謝する。また、朗読劇『銀河鉄道の夜』に関わり、いまも関わってくれている全員に感謝する。そして、こうして感謝を公言した後は、口さきだけでいろいろ約束するよりは、時には黙って、ただ祈るような生き方を貫こうと思う。

最後に幾つか。私は、けっこう自分自身について語るのが苦手であったりするので、これまでは自作解説などはじつを言えば極力避けてきたのだけれども、このウェブサイトには、そうしたものをあえて載せることに決めた。なぜなら、わざわざこのウェブサイトを覗いてくれる人たちは、なんというか、すでに古川日出男の理解者なのだろうと実感しているから。つまり、だから私は「おかえりなさい」と言っているのだが。で、『曼陀羅華X』のために、すでに「セルフ解説」は1本め、2本め、3本めと書いた。あと、もうちょっと、同作について書こうと思っている。

それから、サイトの管理スタッフが Twitter を再開してくれて、私も、大事なことは(自分の「日出男です」との名乗りの後に)たまには発信することにした。まあ1か月に1回程度? と思っていたのだが、大事なことは結構このごろ立てつづいてしまっていて、けれどもやっぱり、本当に大事だなあと感じられるのだからと連続してコメントしている。いずれにしても、創作が最優先のスタンスは変えずに、まあ適当にというか適宜やっていきます。

先日はフランス語版の『平家物語 犬王の巻』の見本が届いた。パトリック・オノレさんが、詳細な序文も付けて心を込めて翻訳してくれた。挿画は松本大洋さんの、あの幼き犬王だ。私はあの本の、あのエンディングの、あの祈りが(私はあのラスト・シーンを書いている間、涙を流していた)、たぶん広範囲に広音域にもっともっと響きだすだろうと信じている。