アスリート文学者に戻るように

アスリート文学者に戻るように

2022.09.10 – 2022.09.23 東京・埼玉・福島・岩手

前回の「現在地」で私はじきに複数のプロジェクトの情報が解禁になる、あるいは公開になる、的に言っておいたのだけれども、本当に情報のアナウンスが連続する10日間ほどになった。また、私のこの肉体は、都道府県数で言ったらよっつだけれども、どんどんと「深い」土地土地に入る、という期間を過ごした。それから雉鳩荘も、そろそろ転居2年めを見据えて、がっつりと敷地(とは大地だ)そのものに手を入れる、ということもやり出した。要するに怒濤だ。日誌を確認すると「壮絶な仕事量」とある。小さな字で。紫色のインクで。しかし泣き言は記されていない。

まずはミュージシャンたちとの、カルチャー的あるいは芸能的なフロンティアの開拓、がある。5年半前に高知県の五台山竹林寺で行なった坂田明さん+向井秀徳さん+古川の『平家物語 諸行無常セッション』がついに河合宏樹監督のもとに映画化されることが決まり、それどころか、新しいセッションも行なわれることになった。それが11月8日の『皆既月蝕セッション』だ。これは、観た人たちがある種の伝説のように語ってくれている『平家物語 諸行無常セッション』の映像と、その当日のライブのセッションの「対バン」となる。向井さんは「ツーマンです(ワンマンならぬ)」と言った。それをやる。それをやるのだ。この時代に、たぶん『平家物語』は必要とされた。それがさまざまな形で明らかになった。その上で、たとえば古川(たち)の『平家物語』というのは、平家それ自体に求められているか?

そこを演る。演奏するのだ。奏でるのだ、どこにも遠慮しない、ノイジーでラウドな鎮魂を。

その前に向井秀徳とはレコードを作る。これは「レコードを販売する」というのとは違う。聴衆がいるその目の前で、直接カッティングするイベントを敢行する。それが『A面/B面』だ。私たちは失敗することを恐れすぎている。私は、この数日で何十歳も年下の子たちとも交流したのだけれども、「失敗することを恐れる、ということを(周囲から、時代から)すり込まれている」とも感じた。もしもそれがいいことでないとしたら、誰が手本を示すのか? ひとまず俺らだと言おう。何を演ろうと、失敗そのものを後で修正することは不可能な収録。それに挑まなかったら駄目だ。時代が悪くなっているのだとしたら、私たちが悪くしているのだ。だから、私は堂々と地獄に落ちるように極楽浄土へ前進する。

失敗してもかまわない、という意識で映像のチェックをしつづけているのは ASIAN KUNG-FU GENERATION との対話シリーズ『「プラネットフォークス」 5-hour liner notes』である。私は、立場上、「不都合なシーン」はカットしたいと要求できる。実際、あの映像には「ここはカットしてほしい」と私が言っているシーンもある。その場面を、私は残していいと(現在)言っている。こういう映像を、毎週続々と投下するということ。私は受け止めてくれたアジカンの4人に感謝する。だって、本当に5時間以上、私たちは向かいあって話しつづけたのだ。なぜならば、そこは私にとって「言葉の現場」だったからだ。「言葉の現場」に臨むということは、言い換えると何か? もちろん〈文学〉に決まっている。

アジカンのゴッチ(後藤正文さん)とは、ステージでの共演はいちばん新しいのが今年5月で、その時の映像『D–composition』の特別セッションも無料公開された。ここでの私たちは、まさに、やり直しのきかない〈リアル・セッション〉を行なっている。12人でだ。12人もの大所帯でだ。しかも私はセンターに立った。そこでやれることを、その場にある〈時間〉を、最大限に拡張させる、ということ。その結果は、こうして、すばらしい音と映像という形で残った。

昨日(2022年9月22日)は宮沢賢治賞奨励賞の贈呈式に出た。岩手県の花巻で。これは朗読劇『銀河鉄道の夜』というコレクティブの活動に与えられた栄誉であり、私は代表者としてそこにいた。そこにいて、賞状をいただいて、お礼の言葉を述べて、また、講演も行なった。自分が宮沢賢治に対して、作品『銀河鉄道の夜』に対して、どのようなレクチャーができるか? そのことはこのひと月、考えつづけてきた。言えることを言えたような実感がある。私は言わなければならなかったし、私の口を借りて、私ではない人たちも語らなければならなかったから。

文学者が何事かの〈代弁者〉であるとするならば、パフォーマンスに臨む私も明らかに何事かを自分に憑かせて、やはり〈代弁者〉としてそこに存在している。私は自分がパフォーマーだとはそれほど思わない。たぶん私はアスリート文学者なのだ。ここに肉体があって、その肉体は、ここにはない言葉(たとえば彼岸の言葉)の器になる。つねに。