とうとう、明日から

とうとう、明日から

2023.02.11 – 2023.02.24 東京・埼玉

初めに記しておきたい。1998年2月25日に私はデビュー作『13』を幻冬舎から上梓した。書き下ろしだった。原稿用紙に換算して1111枚あった。こういう馬鹿げたスケール感の、日本とザイール(熱帯アフリカの、現コンゴ民主共和国)とアメリカ西海岸を舞台にした、いったい純文学なのかエンターテインメントなのかも不明極まりない小説を、受けとめ、刊行につなげてくれた幻冬舎の志儀保博さん(最初の担当編集者)に感謝する。どこまでもどこまでも感謝したい。そして、明日。それから25年を超えて、1歩が、1日めが始まる。

その前に今週と先週と先々週があった。先々週と先週はパンオペを書きつづけていたので、まあパンオペは今日も書いているのだが、先週と先々週の狭間を詳述する。向井秀徳さんとの MATSURI SESSION は、つぎのように展開した。第1部が古川のソロだった。古川日出男ソロ・リーディングだった。第2部が向井さんのソロだった。向井秀徳アコースティック&エレクトリックだった。短い休憩を挟み、第3部がセッション「古川日出男×向井秀徳」だった。このうち、第3部というのは本物のセッションである。あの展開自体、即興である。

対して第1部は、徹底的に練り込んで、準備した。まず萩原朔太郎の『青猫』から2篇の詩を読むことからはじめた。なぜか? この詩集が1923年に上梓されたからである。100年前の本だからである。じつは3篇めの詩も引用していて、それは子供と母親の対話の部分だけ、採った。それから関東大震災(100年前に発生した)で東京がいっぺん消えたに近いことを短く説いた。そして安部公房と古川日出男の合作の文章というのを読んで、『木木木木木木 おおきな森』の単行本を読み、ナンバーガールの「CIBICCOさん」のクリップ(向井秀徳が監督している)を言葉でその場で描出する、ということをやって、坂口安吾をコックリさん的に召喚し、バウンドプルーフ版の『木木木木木木 おおきな森』を読み、〈東京〉なる都市を再構築し、そこからラジオのチューニングの世界に突入し、そのラジオからの歌声として民謡「会津磐梯山」を歌い(本気で歌った)、『曼陀羅華X』のラジオ中継を読んだ。他にもちょこちょこと仕掛けは入れた。いずれにしても、私は徹底的に素材を準備し、徹底的に構成して、いっさい躊躇せず、朗読しつづけた。

だからこそ、第3部のセッションでは、本物の即興に挑めたのだ。ここでは2篇、この日のために書き下ろした詩も読んだ。安吾の『白痴』も読んだ。そして『天音』を読み、『ベルカ、吠えないのか?』を読み、また『天音』を読んだ。しかしながら、順番は決まっていなかった。どう展開するかは、あの場が強いた。あの場が誕生させた。たぶん40分ほど演ったのだと思うが、そういう時間感覚も、あいまいだ。「とことん、行く」ということしか私は考えていなかった。

『天音』がらみで言うと、今日(2023/02/24)の読売新聞の夕刊には私の書き下ろしの詩が載り、こういう形で詩人として活動できる、というのは、明日から作家デビュー25周年に入る自分の、最大のエネルギーである。最大のエールでもある。ただただうれしい。MATSURI SESSION ではあえて脱力系の詩を披露したが、この読売紙上の詩は、たぶん〈元気〉だの〈希望〉だのといったものをチャージする。私は読者に、そういうものをチャージしてもらいたいから、書いたのだ。

そして、明日かそこから1両日といった辺りに、新しい作品のインフォが解禁になる。それは、耳のための作品である。それは、新しいメディアにのる作品である。それは、昨年の夏から準備して、この冬、徹底的に作業に力を費やした作品であり、何人もの圧巻の労力が注がれている。この後も発展的な形を採るかもしれない。そういう時は、またアナウンスする。しかし、まずは、もうちょっとで始まる。

そして私は、パンオペの連載2回めの原稿をまずは仕上げるのだ。それから、いよいよ、連載小説『の、すべて』を脱稿させるための死闘に突入する。火炎のように生きようと思う。完全燃焼を狙おうと思う。再生(リボーン)はそこからである。