刊行とお礼参りと校了と校了と校了と、校了と

刊行とお礼参りと校了と校了と校了と、校了と

2024.06.15 – 2024.06.28 東京・埼玉・京都

京都へ行き、この古都に滞在している間に『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』は刊行された。京都でやりたいことは複数あって、基本的には「感謝を伝える」営為に尽きた。小野篁と紫式部の墓にも参って、手もとにあったパンオペの見本を示して合掌した。陽射しが熱かった。ふたりの墓石それぞれに水を注いだ。その墓所にはすてきな風が吹き抜けていて、ああ、もしかしたら歓迎されているなと感じた。そんなふうに感じられたことがうれしかった。

ラーメンも食べたしフルーツサンドも食べた。このパンオペの(実在者サイドの)最重要人物である人とも楽しい時間を過ごせた。それはまるで舞台芸術の、つまり歌劇のそのバックステージで、出演者同士として、あるいは出演者と演出家と台本作家として乾杯しているようだった。この滞在期間をふり返ると、これは著者でありながらのパンオペ聖地巡礼だったなと想い起こされる。私はパンオペの装画も装幀も大好きで、かつ巻頭の地図も最高だと思っているので、読者諸氏には「いつか、あの地図をお供に京都を歩こう」と考えてもらえたら、これまたうれしい。

この本はきちんとした文脈で理解されないと、なんだかマズいような気がしているので、刊行からまだ10日だが3本のセルフ解説を書いてこのサイトにアップした。「人類はどうして立体視をしているのか」「土地そのものが〈キャラクター〉であると感じさせる京都」「ドキュメントの許容範囲」である。もう少し解説は増やしたいところだが、とにかく自分が〈余力〉を感じられる時にやることにする。つまり感じられなかったらやれないが、まあこれ以上へんなエクスキューズは続けまい。最新刊のパンオペを出したばかりだが、その『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』刊行後の10日間で校了を複数突破した。最大の山はなんだったのか? 次の小説、だった。まずは雑誌にいっきに載る。いま、タイトルだけはここに明かす。私のつぎの小説の題名は『うつほ物語』である。

これは本当に個人的なことだが、いまタイトルを明かせた、というこの事実がうれしい。

ずっと手で書いていた。原稿用紙にペンとインクで。だから、タイトルをこんなふうにキーボードで打っている、というのが不思議な感慨を覚えさせてもいる。ディスプレイ上にこの題名を眺めるのも、ほんとを言ったら不思議なのだ。あと、縦書きじゃないというのも妙で、いまどき縦書きか横書きかでこんなに引っかかりを覚えられることもやっぱり私はうれしいのだ。あ。あと念を押すよ、つぎの小説のタイトルは『うつぼ物語』ではないからね。ウツボってけっこう好きな生き物だけどね。タコより強いし(これは事実)。

今月は雉鳩荘の庭にまだ若そうなアナグマが遊びに来て、お腹を見せてのんびり毛繕いして、なんか股間もあらわで、雄だなーこれーとわかってしまって、そういう野生の観察に感動した。そして今週から私は本格的に長時間の歩行トレーニングに入った。まだ肉体はついていかない。しかし、すでに野生≒自然の観察ははじまっているし、じきに私自身も野性に返るだろう。どんどんと世界は色彩を変える。そんなふうに感じられたり予感を持てたりするのは、どんどんと私が自分にまとう色を変えようとしているからだ。

呪文はたぶん、ひとつしかない。歩こう歩こうずっと歩こう。

歩けるかぎりは。ひとまず、うん、まだいける。