芸能
2024.09.14 – 2024.09.27 東京・埼玉
私は文学者であり、なぜならば小説を創り戯曲を創り詩を創り現在は評論も手がけつづけている。と同時に2005年から始めた朗読という行為のことを思うと、わけても朗読のその現在の形態を思うと、私は芸能者でもあると自覚する。ここで念頭にあるのはやはり世阿弥が生きていた当時の芸能のことであって、と同時に芸能者と芸能人の差異であって、私は当然ながら後者の要素を少しも持たない。
文学者であり芸能者だ、と自分を客観視して見るとして、これは自分の出自が上流とは程遠いことや自分が名前(古川)のせいなのか河川というものに惹かれつづけて生きてきていることや河川敷にはつねに猛烈に磁力を感じつづけていることや、つまり〈河原〉から芸術を誕生させる層と自分・古川日出男との、共振、がここにはあるわけだけれども、そして表現の極限においては「自分はいま賽の河原に立っている」と感受することがある、と先日の映画『平家物語 諸行無常セッション』のイベントの流れの間にわきまえるという体験があったからでもあるのだけれど、その、文学者であり芸能者だ、という自分が現代を眺める際、自分とは異なる領域の存在として、芸能人もいるし、そして芸人もいるな、と思う。
本当に日本社会というのは不思議で、言葉の微妙な差異をきちんと生存の拠点にも変える。私・古川が仮に芸能者であるとして、芸能者と芸能人はぜんぜん違うのだし、芸能人のその内側に芸人というまた異種が存在している、ということになるのだろう。この数年だと私が実際にお会いしたことのある芸人は矢部太郎さんであって、それはある映画(『トシエ・ザ・ニヒリスト』)にどちらも出演して現在もまた制作途上の別な映画で共演もするということがあるからだけれども、矢部さんとお話ししているとポジティブな好奇心の横溢とか、その物腰とか、いろいろと惹かれる。また、この春から夏にかけて開催された展覧会『ふたり 矢部太郎展』もすばらしかった。というわけで、芸能者の系譜とは異なるところに、芸人、のその系譜を、私はある実感とともに感受はできている。サンプル数は少なすぎるのだろうが。
それでは自分以外の芸能者は? たぶん向井秀徳はそうだな、と思う。ロック・ミュージシャンのうちで「現代の芸能者でもある」との圧倒的な雰囲気をまとうのは、やはり向井さん一択になる。
じつは私は8年ほど前に、ある施設というか組織というか団体というか、そういうところに新作能の売り込みに行ったことがある。そのことにはこのウェブサイトのセルフ解説、「犬王の巻は変容する #02」で触れたりもした。そして実現叶わずで、だが今年、ある人というか組織というかプロジェクトから「新作能を創りませんか?」と誘われて、それでどうしたかというと、断わった。なぜなのだろうか。たぶん、新作能を創造するといっても、いわゆる「伝統のある世界」に忖度しつつ忖度しつつ、それをすることになるんだろうな、となんとなく思ってしまったからだろう。たぶん私は河川敷に戻りたいのだ。賽の河原にいる表現者として、2024年だの2026年だのの芸能を創造したいのだ。それが「できる」との確信がなければ、たぶん自分の時間をそこに投資できない。
遠藤ミチロウさんの、いまから40年近く前に発表されたアルバムに『破産』という名盤があって、その1曲めは「ゲイノー・ブラザーズ」である。このゲイノー・ブラザーズ自体があるユニット名というかソロとして活動するミチロウさんの(矛盾になるが、遠藤ミチロウ率いる)バンドなのだが、そのリリックを何回か聞いていて、え? と感得した19歳頃の自分というのが当時いて、その、え? との感動を他者と分かち合いたいが、たとえば Spotify にはこのアルバムはない。なんとなく、どこでも配信されていないんじゃないかなと思う。そのうえで思うのは、いまやネット上に存在しない音源は、たぶん「歴史的に、なかった」音楽にされているんじゃないかなという懸念、恐怖。
そういう現代は、糞くだらない。
と、19歳の自分の言葉で、ここで言う。
芸能がどこにあるのか、俺の・僕の・あたしの・余の・わたしたちの目で見てみようぜ。そんで耳で。そんで皮膚で。そこには文芸のニッポン的復興の種もある。