郡山脳
2024.09.28 – 2024.10.11 東京・埼玉・福島
ある仕事に臨むためには脳をチューニングする必要がある。たいてい複数の仕事を同時に進行(または起動)させているので、要するにマルチタスクだということなのだけれども、ゆえに水面下でチューニングを行なっている場合も多い。しかし9月28日は違った。はっきりと郡山脳を起動させた。10月5日に郷里の郡山市で行なう講演会「郡山を文学史に残せるか[基礎編]」は、準備に準備を重ねるのは当たり前のことだった。なにしろ郡山市で、多くは郡山市民が聴講者である場で、自分がいずれ〈郡山小説〉を執筆する、そして発表する、と宣言するのである。実際にはそれ以上の覚悟を語った。
そういう講演の準備に際しても、やっぱり書いて書いて書いて考える、ということをする。その過程で掌篇も生まれて、これは会場で配布したし、1篇は朗読もした。私は来たる〈郡山小説〉に徹底的にコストをかけたい。自分の労力を、時間を費やしたい。だからそういうことをした。真摯に臨んでいるというその姿勢を伝えたかった。そして元気いっぱいにやりたかった。おかげで、講演の間にもよいレスポンスばかりで、会場から湧いてくる笑い声も多かったし、最後の『平家物語』の朗読は講演の主題(何がフロンティアか?)と絡めて、渾身のことがやれた。
いまは、来年度は籠もってでもこの小説を書く、と決意している。むしろ来年度になる前から走り出したい、とも願っている。足りない時間とデッドヒートというのを演じるだろう。しかし、無理で無茶な状況下であっても、やりたい。書きたい。そうなのだ、私は小説が書きたい。
という気持ちのうちに生きているのに、ここのところアクシデントも多く、まずメインのコンピュータのディスプレイが死んだ。それを買い換えて、新しい執筆環境を、まずは過去の執筆環境にそこそこ似せる、というフェーズから構築していかねばならず、しかし集中していたためか、それを半日かそこいらでやってしまった。不意討ちだったのは、なぜか自分が「トラブルに見舞われる前に iPhone を買い換えたほうがいいな」と思って家電量販店の売り場にふらりと寄ってしまったことで、すると、気がついたらその場で購入し機種変更する流れに突入していて、かつ、データの移行に、明らかに自分のミスではない誤判断の連続でもって滅茶滅茶に手間取るという展開に相なり、そういうのに1日半を費やした、というか、費やさせられたことだった。まあしかし、こういうのは2010年代以降の現代人の〈原罪〉じみたコストにはなりつつあるのか。すなわち現代人というのは無惨である。
そして今週(具体的には2024年10月7日)は「群像」誌に『あるこうまたあおう』の第2話「四年後に歩く」が発表された。私は歩いたのだった、もしかしたら熱中症必至かもしれない時期に、けっこうな馬鹿げた距離を。あの特別な区間で。そのために私は徹底的に準備もして、ふり返ればそれは身体のチューニングだった。その訓練は6月下旬に始まった。6月は、のちに『超空洞物語』と改題される『うつほ物語』を脱稿して、「文藝」誌に発表する論考「文学の時差」のための作業にただちに没頭し直して、単行本『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』の刊行のために作業に時間と意識を費やして、実際に京都へも感謝のため(いわば表敬だ)に旅行して、それから「新潮」誌にガルシア=マルケス『百年の孤独』のための真剣な原稿も書いて、その原稿に「小説の魔術」と名づけて、その間に朝日新聞の「文芸時評」のための作業をまったく怠らずに進めて、その「文芸時評」を入稿したのが6月24日、その日の午後から、長距離を実践的に歩きだしたのだった。
まったくもって自分は無茶なことをやっている。しかし、自分が〈やらねばならないこと〉のために極限の準備をするのは、本当を言えば楽しい。だって6月下旬から7月末まで、私は歩きに歩いた。と同時にジムでトレーニングもした。そして臨んだのだ、今週発表した「四年後に歩く」に描いた8月4日の歩行に。ちなみにその前日も、前々日も、福島の浜通りを私はけっこう歩いていた。しかし、それらのことは書かなかった。私は今回、徹底して的を絞り込んで、この「四年後に歩く」という原稿を現在のフォームにしていった。そして、この日の歩行のゴールが福島県の富岡町だった、と書いた。その富岡町から、真西に六十キロほど動いたら何があるか?
福島県の郡山市がある。
私の心と、身体とは、東から西、とスライドするし、また、いつだってスライドし返すだろう。
が、その前に。ついに最新作の刊行だ。『超空洞物語』。まだ発売までは10日以上あるので、いろいろと語るのはリリース後となる。私がいま言及すべきは、発売日だ。それは10月22日にドロップされることになる。そして語呂合わせをするならば、1022というのは「永久(とわ)にニャンニャン」である。猫愛にあふれている自分には最高の日付だな、と思うのだけれども、残念ながら『超空洞物語』内には猫たちは登場しない。が、しかし、犬は。