Super Hollow Japanese Tales

Super Hollow Japanese Tales

2024.10.12 – 2024.10.25 東京・山梨

昨年夏に「執筆することになる」と覚悟し、昨年冬に現在の構想のコアを獲得し、今年の早春に須磨への取材も敢行して、そして今年の初夏をまるまる執筆に費やした、かつ7月5日の段階で『うつほ物語』として「群像」誌に掲載された、その物語、いいや小説、いいや異形の文学で(も)ある『超空洞物語』が刊行された。

やっとここまで来た。

ひとまず本日から何日間か、たぶん1週間は続けるが、Twitter で「これはなんなのか」の短い発信を続ける。ちなみに Twitter を X と言いたい気持ちはこれっぽっちもない。こんな未来が来るのがわかっていたら2022年に出した『曼陀羅華X』はもっと違う書名にしていた。あるいは、いまから表紙にシールを貼って『曼陀羅華ツイッター』みたいに変えてみたい。という無価値な話は、まさに価値なしだ。Twitter に12時および24時にメッセージを、流すと思う。それとセルフ解説も書く。ひとつめ(「雉鳩荘から小説を生む」)はもう書いた。190枚の小説に対して、何を、幾つ掘って書けるのかはわからない。しかし、言いたいことがある時には、届けたい。そもそも小説であってもなんであっても、私は届けるためにやっている。時には届かないが、そうしたら自分の全表現のひとつひとつを〈うつほ舟〉に入れて流す。その〈うつほ舟〉とは何か? それは『超空洞物語』内に書いてある。また簡単に調べることもできるだろう。

私は〈うつほ舟〉に入れて、いま現在ではない時間に、たぶん未来に、それからここではない場所に、それは国外かもしれないし彼岸かもしれないが、全部を流す。そして信じる。信じて、籠もって、眼前にある(かなり膨大な量の)仕事をこなして、しかし来年(とは2025年だ)そして来年度(とは2025年4月からだ)へ、自分を「執筆する運動体」にと変じられるように、飛ばす。妙なアクシデントに遭わなければやれるはずだ。

ただアクシデントというのはふいに訪れるからアクシデントなのであって、じつは数日前にも私は事故に遭った。そして頭皮を切った。流血した。なんというかあまりにも綺麗な鮮血を見た。そのために50時間以上、シャンプーが使えなかった。しかし治癒しつつある。まあなんとかなるだろう。

ちょうど夕方の5時半ごろに流血したので、ナンバーガールの楽曲にある歌詞「流血〜〜〜、5時半〜〜〜」をフンフンと鼻歌でうたった。

そんなふうに鼻歌が出るほどには、私はぜんぜん元気である。

それと、この2週間のその他のトピックだと、神保町の共同書店 PASSAGE by ALL REVIEWS に棚を設けた。というか、ご縁から設けさせていただいた。10月12日にオープンした。自著は全部サイン入りにした。というか、目下は自著しか並べていない。いや、それはちょっと誤解を招いてしまう説明で、古川の朗読CDのついた雑誌も出したし、古川特集号の雑誌も出したし、純粋な朗読CD群も出したし、自分では文章は書いていない自著、すなわち翻訳版の著作も出している。ほんと言うと、相当に貴重な品々も並べていたりする。いつもパンパンな棚にはできないが、そして、蔵出しの自著というのがいずれは尽きるのだろうとも想像するが、まずはここでも、手に触れられるような〈うつほ舟〉である。そして、陳列のための準備をしていると感激する、それぞれの作品がとても「美しいデザイン」だったり、誰かの「心からの愛情から、企画あるいは造本されている」のだと実感できたりする事実に。

私は、そうなのだ、たぶん〈うつほ舟〉に同乗する仲間を、いつも募っているし、これまでもいたのだ。