近況報告

近況報告

2024.11.23 – 2024.12.13 東京・埼玉・福島

フィクションのような対話をその日にやったので、まず、そのことを記す。人間ドックに行き、オプションで選択した胃カメラの検査で生体を採られた。これは人間ドックの詳細な結果が届く前に、もしも「悪性だったら、電話がゆきます」とのことだった。私は「悪性というのは、癌ということですか?」と尋ねて、女性の先生は「……(やや沈黙してから)はい、そうです」と答えられた。「了解です」と私は答えたわけだが、これってなんかフィクションの内側にいるみたいだなと感じていた。そして「電話がゆきます」の期日を過ぎても電話は来なかった。安堵である。

その日のうちに何本も血液を採られて、その結果は見せてもらえて、すると(ほぼ)全項目で数値が〈正常〉だったようで、これは先生に驚かれていた。ただ、胃カメラの検査では、その、生体を採られる以外にも十二指腸潰瘍だと診断された。これに関しては自覚症状があって、私はここのところ胃のあたりが痛かったのであった。仕事のし過ぎである。というか、もっと正確に書けば「ストレスのかかる仕事のし過ぎ」である。翌日から治療をはじめていて、胃腸に関しては他の治療も含めて来月以降も続くだろう。しかし、こうやって診断されたのだから、全部きれいに完治させてやる、と思っている。

仕事のし過ぎだなあ、というのは、通常の文芸時評に加えて、年末には「2024年を振り返る」みたいな作業が複数あって、さらに文学賞の選考もあって、じつは3週間とちょっとで40冊ほど読む、的な異常なモードに入っているのであった。しかも精読が必要な〈場〉ばかりである。とはいえ、そのうちの最重要な〈場〉はクリアした。とても充実した対話が行なえた。形になるのは12月18日の正午以降だから、まだ詳細は書かないけれども、豊饒な「文学の未来」を見据える時間をある方と過ごせた、とだけ現状では綴っておく。

こういう日々にありながら、しかし『あるこうまたあおう』のための取材は続けていて、日帰りで福島県の某地に入ったりもした。もちろん移動中はずっと本を読んでいる。とはいえ、ある土地に「実際にいる」ことは、そこを「そこにはいないでリサーチする」こととは決定的に異なる。こういうのはたぶん、「本の粗筋を知っている」ことと「本を実際に読む」こととおんなじように違う。そして、さらに掘り下げたことを言うと、単に「粗筋を追いながら読む」ことと「その土地(とは本の内側の世界だ)を旅するように読む」こともまた決定的に違っているのだ。

ところで写真家であり画家でもある高橋恭司さんとコラボレーション展を行なう。それが来年2月なかば(予定)に控えている「水霊」展だ。私はこの期間に、会場となるギャラリーに2日間籠もった。さっき「本の内側の世界」というフレーズをしたためたが、私がやろうとしたことは「ギャラリーの内部を『その詩の内側の世界』に変える」というアクションだった。その詩、とは長篇詩「水霊」を指す。そのギャラリー空間がなければ、その詩の〈転生形〉も存在しないし、来年の展示もまた生まれえない、という証左のようなものを〈場〉に刻みつづけた。そこに高橋恭司さんも立ち会い、その他、熱意あるスタッフばかりに囲まれて、時間は経過した。

いま「時間は経過した」と書いたが、本当のところを言えば、私の体感では「時間を生み出した」だった。創作の時間というのは、大変に奇妙だ。それは経過しているはずだし消化(消費)されているはずなのに、どこかで表現の主体である人間=自分が、産出している、との体感がある。そして、その体感を持てなかった自分の作品=創作物というのは、どこかでマガイモノなのだ、とも感じている。

つまり「水霊」展ではホンモノが産めた、と私は自負している。わけだ。そこで皆さんと会えますように。