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年が明ける

年が明ける

2024.12.28 – 2025.01.10 東京・埼玉・静岡・福島

明けましておめでとうございます。このページを開いてくれてありがとう。「誰かが読んでくれている」という事実はそれだけで作家の自分を勇気づける。そして、このページを開いていない人は、ここまでに綴ってきた100文字ちょっとを目にしていないのだから、いま書いた言葉はやっぱり本当にあなたへ届いている。ありがとう。自分は勇気づけられています。

年末年始は、あの毎日新聞朝日新聞の合同企画「2024年 文芸回顧」(大澤聡さんとの対談)を紙版・デジタル版ともに発表し終えてからは十分に休息をとることができた。まあ、文芸回顧対談は合計するならば紙面がふたつ、そしてデジタル版が4回ぶんになったわけで、これで休まなかったら私もバカだが。その休息期間にはいろんな進展があって、細かいことは書かないけれども、みんなと共有できるかもしれないことはここに記す。

年の暮れも、それと年が明けてからも、雉鳩荘の庭に何度も出た。いまは冬だから、元気のいい草はほんのちょっとで、繁っている葉も少しだ。そういう状況下で、庭に足りない〈土〉を足して、新しい地形を作ったり、それ以外のレイアウトを変えたりした。その瞬間、自分は何をしていたのだろう? 私は「春になると、あそこの一角はこうなるな」と想像したり、「夏には、ああだな。秋には、きっとマリーゴールドが繁りすぎている一角は、あそこだな」と推し量ったりしていた。樹木の伸びる姿をイメージして、その大きさを頭に想い描いて、いまの時期から庭ぜんたいのレイアウトを考えていた、というわけだ。

それってどういうことなのだろう?

庭の何カ月か後を視て、それから1年後、2年後、もっと先を想像していた、ということだ。その姿に合わせて、いま自分ができること(腐葉土や赤玉土や、もっと直接的に培養土を足す等)をしていた、ということだ。つまり、私は2024年の終わりの庭や2025年の始まりの庭に、もっと〈未来〉にある庭を同時に視ていた。透視するというか幻視するというか、とにかく〈視る〉ということをやっていた。しかも現在の雉鳩荘の庭に重ねて、である。

だから楽しいのだ。目の前に、確かに〈未来〉がある。その〈未来〉に、まだ〈現在〉にいる私がこちら側から関われる。するとただの庭が〈未来〉と〈現在〉の融ける空間に変わるのだし、それって単純な空間ではない。時間も融合した「何か」なのだ。

そんなものが、庭に立つことで、簡単に手に入るのだ。

私が昨年いっぱいを費やして実感したのは、「どうも『未来に向かって進んでいる人』が少数派だ」ということだった。たとえば企業は、過去(の業績)と比較している。だから不振だ、販売不振だと騒いでいる。私にはそれが「彼ら彼女らは、まるで『過去へ向かって進みたい人』たちのようだな」と感じられる。でも、私は、たとえば自分の庭に尋ねたのだ、去年の秋に向かって生長できる? と。あるいは柑橘類の樹木にも尋ねたのだ、いまは育ち盛りだけれど、一昨年へ向かって縮める? と。

無理です、と彼ら彼女らは答えた。

明けましておめでとうございます。昨年末のこの「古川日出男の現在地」(「よいお年を」)にも書いたけれど、もう終わりの終わりはちゃんと幕を下ろしました。たとえば「文学(国民文学)の終わり」は終了しました。そして始まりの始まりはスタートしています。よければ、いっしょに〈未来〉のほうへ進みましょう。