視えないものを視る
2025.01.11 – 2025.01.24 福島・東京・神奈川
雪があった。取材旅行の2日めに自分の予想をはるかに上回る大雪に見舞われた。その降雪は乗ろうとしていた電車を「運行停止」にしてしまって、取材の本来の目的地に私を向かわせなかった。すると、どうなったか? 思いがけない場所に、建物に、歴史に邂逅した。それは本来の目的地以上に〈目的地〉にふさわしかった。そして4日間を費やした取材旅行は、体感としては1週間以上の旅となった。
大雪が真の〈目的地〉を見せる前日にも、やはり私は大雪に見舞われていて、しかし福島県の中央部をこの日は北上、そこから東進していったから、太平洋に近づくごとに〈雪〉はその気配を消した。そこから普段ならば入れないような施設に入れて、それが叶ったのは「古川にそこを見せたらどうだろう?」と思ってくれる人がいたからだ。協力してくれる人たちがいたからだ。私は、基本的には単独で行動することが多い人間だけれども、意識して「他者の力を借りる」ということもする。たぶん私はそのふたつのバランスのことをつねに考えている。自力を徹底させること。他力を心の底から望むこと。そうしたバランスを意識しているから、その日は、私は昨夏に歩き抜いた国道6号線の区間を、逆向きに車で半分さかのぼる、ということもした。
季節は逆走し、記憶は疾走する。私の内側でイマジネーションが奔走する。それから〈創作意欲〉も。
いま東京タワー3Fのギャラリーで、写真家の菊池茂夫さんの「THIS IS 向井秀徳!」展が開かれていて、それはロック(ROCK)そのもののような展示で東京タワーの存在感と見事にパラレルなのだけれども(たとえば夜の、タワーのライトアップ後にこの塔内に入ると〈皮膚〉で納得されるはずだ)、同時発売となった同タイトルのぶ厚い写真集をひもといていて私は凄まじい感慨に捉えられる。被写体は向井秀徳、向井秀徳、向井、ムカイ、むかい…。いい写真ばかりで、時間は過去から現在へと進む。2000年代に入ると私の記憶にある情景がそこに〈写真〉として存在している、という輻輳が生じる。気持ちが昂ぶる。そしてページを捲り、捲り、どんどんと捲っていって、ある見開きに自分もいた。「向井秀徳といる自分・古川日出男」がいて、それは私自身の人生が、たとえばナンバーガールのリスナー、あるいはライブの聴衆だった無名者のその人生がふいにそのぶ厚い写真集に、本に、書物の内側に「越境して、移行する」としか語れない体験だった。
そんな感動があるのだから、この芸術人生はすばらしく ROCK だな、とやはり思う。
四半世紀前の自分は、こんな写真集のことは1ミリも想像していない。想像できないはずだから。
新しい小説を生むために、どんどんとアプローチを続けている。どこでどんなふうに今後の作品を発表するか、などわからない。だが、見よ、私が髙橋恭司さんとの「水霊」展@ LOKO GALLERY のために書き下ろした長篇詩は、先週確認したのだけれども、すでに1冊の〈本〉としてサンプルが産み落とされていた。私は、自力ではこんなものは生めない。なのに他力が、すばらしい他者たちがその能力を開いて次々と〈モノ〉を誕生させている。この「水霊」展ではいちばんの他力は髙橋恭司さんになる。恭司さんのペインティング、それから写真、それから動画。そんなものが今年のバレンタイン・デーから渋谷区のある一角に現出するのだと考えると、すばらしく ART だなと予感し、うち震える。
ところでこの2週間のうちの1週間は、胃の腑に存在しているピロリ菌を除去するための期間でもあった。きちんとやり遂げた。結果を検めるには2カ月弱待たなければならないが、私はいま、完全健康体というものを目指している。
なんのために?
100%の創作者となるために。そして思いがけない出会いを、あなたたちとするために。