燃え、尽きず、燃え、続け、焼き、払い
2025.03.01 – 2025.03.14 東京・埼玉・大阪
ひさびさに体調を崩した。コロナ感染以来だ。その時にはこの「現在地」に100文字もない短文を綴って、題名を「発熱」として、それから「……いま体温は38.8℃ある。抗原検査ではコロナは陰性……」等と書いた。検査はずっと陰性だったが、結局、これは新型コロナウイルスの感染だった。それ以来ぜんぜん体調を崩さずに来た自分も凄いが、まあ、それは睡眠障害その他の犠牲を払って、だった。というわけで、体調を崩した私がやったのは「さっさと寝る。寝られるだけ寝る」だった。これはけっこう効いた。3月9日の夜から完全に調子を落としたが、今日(3月14日)にはトレッドミルで軽く走れるまで快復した。
その、調子を完全に落とす夜の9時間ほど前が、私はだいぶ楽しかった。というのも、いつもは朝6時台に起きているのに床を出たのは10時頃で、この時点で酷い状態ではあった。疲労困憊し切っていて、すでに喉がヤバかった。なのに私は「体は不調。気分は最高」とうそぶけていた。なぜか? 前日が髙橋恭司さんとの「水霊」展の最終日、そしてクロージングをやり遂げきったからである。そのイベントを。その日は雨だった。にもかかわらず大勢が来廊してくれた。だから、今回の「現在地」は、その日にフォーカスを絞って綴る。つまり3月8日だ。
起床は少し遅れていた。朝7時10分だった。まず全身を動かした(これはヨガである。40分はやる)。呼吸に意識を集中して、できるかぎり四肢の隅々まで「力を入れることと、抜くこと」ができるようにした。朝食と雑務後、まず詩誌『20:30(ニジュウサンジュウ)』主催の朗読会のための準備に入った。なんと今日(とは3月8日である。繰り返す)は「水霊」展のクロージング・イベントの1時間半前に、別のイベントにも出演するのだ。16時開演のその1番手ならば、出るのは可能なんじゃないか、と主催サイドと相談して。そして私は「『平家物語』を読んでほしい」と求められていたので、どこを読むか、どう読むか、そして、それら〈読む〉パートの必然性と文脈を語らせる「新たな台詞」は何か、と積みあげていった。私の朗読を知っている人は「ああ、なるほど」と思うかもしれないが、私はきちんと構造を持った朗読をやっているので、「無文脈に『ただ読む』」という行為を採らない。それが10分間であれ20分間であれ、作品にする。
かなり集中していたので9時半には『平家物語』を読む朗読会「ニジュウサンジュウのヨジ」の準備は完了した。そこから「水霊」クロージングの、自分のソロのパフォーマンスを30分間展開することになる、イベントの第1部の準備に取りかかった。大きな枠組み=段取りに関しては、昨晩までにまとめ切っていて、それを LOKO GALLERY のスタッフとも共有していた。なにしろセットする道具はいろいろと存在し、動いてもらう人間も複数要る(パフォーマンスは私ひとりがやるのだとしても)。ワイヤレスのマイクも用いるし、第3部以降は映像のモニター等も必要となる。
で、第1部だ。そこでは私は、メインは詩篇「水霊」の全篇を読む、のだけれども、その前に全身で「創っている」姿も見せる、のだけれども、その前に言葉だけで〈何か〉をやる。それを、用意された紙を読んでは駄目だ、とは少し前から判断していた。だから「頭にある大量の言葉をひきだして語る」ことになるのはわかっていたが、漠然とした〈言葉の塊〉が脳内にあればいいのだと最初は考えていた。だが、違うと思ったのだ。練られた言葉であっていいのだ、と思ったのだ。つまり、台詞だ、と思ってしまったのだ。ということは、とも考えてしまったのだ。俺は台本(脚本)を書いたほうがいい。
そして9時40分、書き出したのだった。30分後、書き終えたのだった。それはけっこうな分量の、戯曲的なるもの、すなわちモノローグだった。「きちんと書けたぞ」と感じた。さて。それで、あとはどうするか? ……どうするかもなにも、この台本を憶えるしかない。この台詞をまるまる諳記するしかない。で、いつまでに? 諳記するための3日とかあるのか?
ない。いまは10時10分台、そして本番は17時30分からスタートする。
えっ。
しかも、途中で他のイベントに出ている。そこで『平家物語』を読んでいる。
えっ……。
やるしかなかった。
私は15時台にはJR田町駅にいた。そこに至るまでに、ずっと台詞に向き合っていた。と同時に、イベント全体の段取りも復習しつづけていた。かつ、田町に着いたら『平家物語』脳でもあった。また、詩の朗読会「ニジュウサンジュウのヨジ」のメインの出演者の方々のために、祝福となる言葉も準備しておきたかったから、真摯にMCを考えるということもしていた。少し考えついたら台詞を練習した。レビューした。まず後ろのほうの台詞が頭の深みに入って、前半の後ろのほうも入って、中盤部が鬼門で、そこを中心的に復習した。高校生の受験勉強のマナーで、「次の台詞を下敷きみたいなやつで隠しながら、正解が言えるか、試しつづける」というのをしていた。具体的には田町駅構内のスタバであの日そんなことをやっていたのは俺だ。とはいえ「ニジュウサンジュウのヨジ」の会場に15時40分台には移動しなければならなかった。
移動した。16時、開演。登壇した。MCをした。読みはじめた。最初は『平家物語』の原文だ。そこから現代語訳、それはつまり日出男訳だ。そして、いっきに異界を現出させんとする。じつは、そんな「現出させんとする」という気負いは不要で、ちゃんと読んでいれば私は〈向こう〉へ行ってしまうのだった。私にとって朗読とは、この此岸に〈彼岸〉を召喚する行為である。昨秋にあるイベントで語った表現をふたたび用いるならば、「『ここ』に賽の河原を出現させる」のがたぶん自分流の朗読である。
それをやり、「ありがとうございました」のひと言をマイクに投げたら、会場を去るしかない。
田町駅から恵比寿駅へ。この山手線内の私はおそらく非常に危険であったと思う。完全に『平家物語』から脳を切り替えて、強引に「水霊」のソロ・パフォーマンスの心身(おもに魂)に移行するために、いっさいの現世感覚を棄てていた。最後まで台本に視線を注いだ。プリントアウトした紙と、それからスマートフォン内のファイルだ。LOKO GALLERY の事務所にたどりついた時、私の傘からは水が滴っていたが、私の皮膚からは殺気だけが撒布されていたのだろうと想像する。
5時29分。私はスタッフのひとりとともに地階へエレベータで移動した。このフロアには私が制作した「苔の小宇宙」がひとつ存在していて、5時30分、スタッフが上階とラインで連絡を取り、私のヘッドセットの音声をオンにし、ゴー、となったところで、私はその「苔」を手にして、地階から上階のカフェへ、そこからギャラリーの1階へ、と歩いていった。
髙橋恭司さんの作品たちと、私自身のインスタレーションと、そしてオーディエンス(これは2階にもいる)の存在する空間に入って、その「苔」に霧吹きで水を与えて、すると、もうパフォーマンスは進みはじめていた。その「苔」をどうするのか、私はじつは考えていなかった。もっとも〈正しいところ〉に配してあげたかった。その〈正しいところ〉とは、なんと作品名「焚書の火はもう消えた/井戸の水は涸れた/しかし苔がある/ならば水もどこかにある」というインスタレーションの、内部、なのだった。私はそのインスタレーションを、最終日の、最後の30分に、さらに育てた。
続いて台詞が始まった。1行めの台詞を私は誤らず、次も口にでき、そのまま3行めを語れて、気づけば10分、15分と、あの画廊にいたオーディエンスたちとともに「考えて、想像して、感じて、出現させて、いっしょに震える」時間に突入していた。
その後は黒いゴムマットも出したし、鋏も出した、とだけ記す。なぜならば、今回の「現在地」は記録的な長さになりつつあるから。この辺で省略しないとマズいだろう。最終的に私のソロ・パフォーマンスは30分を超えていて、もしかしたら35分ぐらいだったのかな? それを「やれてよかった。その作品を産めてよかった」と心から、思っている。そして髙橋恭司+古川日出男「水霊」展を開催できて、クローズまで持ってゆけて、大勢の人に見てもらえて、大勢の人たちに(在廊時は)実際に会えて、ほんとに、ほんとにうれしかった、よかった、と、それだけは明記して、あとは次の季節だ。ネクストだ。