
冬へ
2025.09.27 – 2025.10.10 東京・静岡・京都・福島
「冬迷宮」が一挙掲載された「群像」11月号が発売になり、手にした瞬間に喜び、しばらくは喜びが持続し、それから静かに虚脱感のようなものに襲われはじめて、その状態はいまも続いている。結局、この何カ月かは2度の虚脱感に襲われているのだと説明できる。最初の虚脱感は喪失感と言い換えられる。ただ、この2度めのものも喪失感なのだろう、やっぱり。渾身の小説に挑んで、仕上げて、発表された。すると、どうなるのか? すると、いまのところは、ただ静観しつづけるしかない。誰かに読まれるのを。届くのを。つぎの状況に移行するのを。
いちばん苦しいのは、もう「夏迷宮」と「冬迷宮」の世界を探訪できないことだ、と語れる。私は作者なのだけれども、今後は〈推敲〉以上には登場人物を動かせない。いま記した「動かす」という語はじつは不適切で、自分が感じているそれを正確に表現しようとするならば、今後は〈推敲〉以上に登場人物といっしょに生きることはできない、となる。
登場人物といっしょに生きていた。書いている間は。
その人物たちの選択を、行動を、直感を、感情を、つねに味わっていた。いっしょに。
いっしょに翻弄されていた。世界に。あるいはセカイに翻弄されていた。
そうであった時間は、幸福だった。
ただ、この喪失感は、もちろん兄弟をうしなってしまった類いのものとは異なる。そこには〈暗い色〉ばかりがあった。いまは〈色彩のない色〉ばかりがあるという感覚だ。
義父の墓参に行ったあとに京都に入る機会を得て、そこでも二つの墓の前に立とうとした。まず鷹ヶ峯で本阿弥光悦の墓を拝んで、それから鹿ヶ谷で谷崎潤一郎の墓を探した。後者は見つからなかった。どうしてこの2者の墓参なのかに関しては、自分で説明できる部分とできない部分とがある。そんなふうに混在しているのでここでは説かない。ただ、やはり私はいま〈色彩のない色〉の様相下で冬を見ているのだろうなとは思う。勝手に冬に入っているのだ、しかしそれは、とりたてて暗鬱なことではない。私はたんに次段階へ移行するための準備期間にある。そういう自覚がある。そして〈暗い色〉ばかりというのはマイナスを示しているけれども〈色彩のない色〉ばかりというのはプラスにも転じ(させ)うるとも弁別している。
この「現在地」をアップしたら数日後には亡兄の四十九日の法要で、その後は兄(の遺骨)もまた墓に入る。それまでは墓参ができないという当たり前の現実にも〈色彩のない色〉は投じられていて、これもまたマイナスばかりだとは思っていない。
次段階ということを書く。現在の世界情勢は〈戦前〉にあるのだと認識して、すると、私は怯えるか? 私は萎縮するか? じつは「そんなことをしている暇はない」と考えるのが私だ。私は、いま、たぶん〈戦後〉に備えている。
準備をしておかなければ、何かが衰退し切った時に、壊滅し切った時に、「ふたたび起ち上げる」ための構想図も呈示できない。そしてビジョンのひとつも示せないのならば、作家業などさっさと廃してしまえばいいのだ。

