
記憶から現在
2025.10.11 – 2025.10.24 東京・山梨・福島・埼玉
いきなり18歳の時の話をする。18歳の秋に『鞠叉物語(きくさものがたり)』という戯曲を書いて上演した。これは高校演劇の福島県大会での上演作で、地区大会時には『今宵さよなら小夜時雨』という題名だった。タイトルが変わっていることから察しがつくように内容もアップデートされた。その内容だが、平安時代中期を舞台にしていた。左大臣家と右大臣家の抗争、というのを内裏を舞台に展開させて、時期は西暦1052年の末法元年よりは前と設定されていた。
私は、地区大会(10月に行なわれた)の舞台にだけ立った。それは権勢家の北の方の役柄で、つまり女性役だ。台詞も口にした。私の姿はたしか「どんと出るがワッと思うやエッと去っている」ような形だったのだが、声ははっきり聞かせた。というわけで〈女声〉を出せるかが私の挑戦となって、自分の発声を中期間のトレーニングをもってチューニングしていったことを記憶している。結局、出せた。ちなみに県大会に私は出演しなかった。というのも「受験勉強をしている」という態であったから。演出も担当していたのだが、偽名で行なった。
どうして私がそういう役柄を演じたのか、だが、男子校であったためだ。男子校には「男性のキャラクターしか出ない芝居しか演じられない」という前提を、まず、叩き壊したかった。だから、さっさと平安時代中期のオリジナル脚本というのを書いて、さっさと高貴な奥方を演じてしまったわけだ。顧みれば乱暴なまでに大胆不敵である。ただ、「男子校だから、男性の役柄しか演じられない」という前提は、じつは(私の母校の演劇部では)この作品以前にも壊れていて、というのも私は高校1年生の春、15歳だった時に北村想の『寿歌』という3人の男女が登場する戯曲の上演に参加しており、その〈3人の男女〉というのは男・男・女となるわけだが、最後の〈女〉の登場人物・キョウコ役を私はやった。その際に舞台上ではずっとスカートを穿いていた。
こういう15歳や18歳での体験、実践、あるいは実戦(現場での戦闘)はたぶん私の〈女性語り〉の著作群のルーツにはなっている。それについて今回の「現在地」で解析したいわけではない。それよりも、いま現在の私は59歳で、昨年は58歳だった、と想い返している。そして58歳の10月には何をしていたかというと『超空洞物語』という小説を刊行していて、そこには平安時代の中期やそれ以前があった。物語の舞台として、現代以外にそうした時期が描かれていて、しかも『超空洞物語』には雑誌掲載時のタイトルがあり、それは『うつほ物語』といい、つまり「タイトルが変わる」という経緯も持っている。ちょうど40年前に『今宵さよなら小夜時雨』が『鞠叉物語』に変わったように。この、40年間を挟んでの小説『超空洞物語』と戯曲『鞠叉物語』というものに、数日前から強い感慨(のようなもの)に打たれている。
一貫していたのだな、と、まず感じる。
そして、螺旋状に、何かが戻りはじめているのだな、とも。
そもそも『鞠叉物語』に関しては、それは18歳の高校生が書いてしまう類いのホンではないだろうよ、なぜに日本史物を? とも指摘したくなるが、そういうのはこの15年ばかり周囲から現在の私が言われている気がする。
なぜに日本史物を? と、もしも問われるならば、たぶん回答は「夏迷宮」や「冬迷宮」にあって、現代と未来とを撃つために(あれらの小説内の)平安京テーマパークというのは求められた。結局のところ、私たちに〈不安〉しかもたらしていない近未来の展望を叩き壊すために、だ。
以前の私は、おそらく偽史の作家だの偽書の作家だのと見られる側面が大きかった。巨大なボリュームの小説を著わす際、そうだったと感じる。だが、もう偽史だの偽書だの偽典だのはどうでもよいのだ。私たちが生きている歴史は、この歴史は、誰がどのように吹聴しようとも〈偽〉ではないのだから。私は「夏迷宮」と「冬迷宮」において、偽史・偽書の代わりにオルタナティブを選択した。かつて、あるいは現代もだろうが、オルタナティブ・ミュージックに人びとが鼓舞されることがあった。だからこそ、私はいま、この私たちが生きるのは、生きるべきはオルタナティブな歴史だろうと(表明するというよりも)歌う。
そうだ。歌う。

