
あらゆる死の向こう側。彼方
2026.08.15 – 2026.08.28 東京・埼玉・静岡
執筆に没入している。不定期連載『ツァラの創作論』の執筆に、だ。たぶん深い作業を私はしている。たぶん有意義になるだろうと信じている。私のために、ではあるのだけれども、それ以上に〈誰か〉のために。その〈誰か〉とは、文学の流れ、ある系譜に連なろうとしている全員を指す。だから本気で書いている。この不定期連載のための作業は、その〈不定期〉さを無視して来月末までの疾走が予定されている。やるだけだ。
私は今月、中上健次が設立した熊野大学に中上健次の生誕80年の記念のためのセミナーで初登壇する、ということをして、その感動はいまも続いている。いっぽう、少し前に「文藝別冊 宮沢賢治 玲瓏なる銀河系」というムックが届いた。これは宮沢賢治の生誕130年を記念したムックで、再刊(増補新版)で、そこで私は管啓次郎さんと対談している。その対談が大きく扱われていて、そういうことに感激する。
誰も記憶していないと思うけれども、私は文芸誌「文學界」の2012年新年号にあるエッセイを発表した。遠い昔の話だ。いまエッセイと言ったが、それは原稿用紙で22枚もあって、かなりの分量で、そして内容的にはエッセイというよりも論考である。題名は「KENJIたちを読む」という。そのKENJIたちとは誰か?
宮沢賢治と中上健次だ。
2012年の新年号ということは、まだ2011年のうちに発行されている。2011年の12月初旬に、だ。その年には何があったか、をわざわざ書いたほうがいいだけの時間は経過した。その年には東日本大震災があったのだ。だから、その論考は、こんな文章で始まる。
〈死に対する想いが続いている。それは人の死であってだからこそ同時に自らの死だ、そうなのだろう。もちろん「その年」に死に対する想いを前景化しなかった人間はこの列島にはあまり多くない、とは言える。「その年」とはじきに「その年」と指示されることになる西暦二〇一一年のことで、この原稿は「文學界」二〇一二年の新年号のために書いているから「今年」とは言えない(との現実的な側面がある)のだが、しかしながら、その、と大きく構えられる年はそれほど多いとは思えない。多いとは言えない、という結果になることを今後一〇〇年のスパンで思う。それでは、この原稿のための「今年」とは何なのか。二〇一二年には僕は四十六歳になる。それはある享年を意識しなければならない年だ〉
誰の享年なのかといったら、中上健次のそれなのだった。
そして三島由紀夫の享年が語られ、宮沢賢治の享年も語られる。
中上健次の『紀伊物語』論らしきものも宮沢賢治の「ひかりの素足」論らしきものも綴られる。そして、そういう自分の論考があったことが遠い昔(という時間)に去ってしまったことは別によい、私には本にもまとめられていない原稿がたぶん何千枚もある。1万枚はないだろうが、数多ある。ただ、そこに彼らの死を記して、そして、自分が60歳になった時に、熊野大学で講演をした。賢治ムックで語っている。そういう現実。そういう現実の大きさ。
そこだけを考えている。
明日(2026/08/29)は兄の命日だ。あれから1年が経過する。あの日の朝、自分の身に起きてしまったことを、まだ消化し切れていない。だが、その前に、自分の文学に起きたことを、しっかり見据えている。私は連載詩『火歌 hiuta』を完結させて、ついに最終篇を掲載した「現代詩手帖」も出た。そこには兄の、古川邦一に献げる詩が含まれる。そこ、『火歌 hiuta』という詩篇群には。それを、じき、本にするということ。その事実の大きさ。
昨日(2026/08/27)は草間彌生の訃報がニュースとして流れた。私は草間さんとは直接交流したことはないのだけれども、彼女の小説『クリストファー男娼窟』の文庫の解説を書いていて(角川文庫版)、これは草間さんの野性時代新人文学賞受賞作である。それと私は、草間さんのパフォーマンスであり映像作品である「草間の自己消滅」には大きなインパクトを受けていて、これは自分の表現の何かを(たぶん現在も)駆動している。そういうことがある。そういう出来事の大きさがある。
誰かが死に、だがその死に対する想いを忘れない私や、あなたがいる。そこから始まる。

