そして「すばる」誌が刊行になりました。そして「新潮」誌が発売になりました。そして「群像」誌がドロップされました。それぞれの最新号が。僕の内側に、じんわりと、しかし劇烈に、だから矛盾しながら、感動があります。「すばる」誌には「シンポジウム 古川日出男、最初の20年」が載り、そこには、12人もの方々の、どのひとつも強烈でないことはない、あの作品、この作品、あの表現、この表現に関する《評言》が詰め込まれています。たとえば小説。たとえば戯曲。たとえば朗読。それ以外の僕・古川の立ち位置。こんなふうに、それぞれの角度から、そんなふうに、愛と厳しさ(というよりも、厳しいからこその愛)をもって、迫る。迫ってくれているのだ、と感じ入ります。特集の扉の写真も、最新のものは、このサイトでお世話になっている朝岡英輔くんに撮り下ろしてもらいました。旧い俺と最新の俺……。これが20年だ、と痛感します。そして「新潮」誌、評論の『三たび文学に着陸する』が出ました。担当編集者のSくんは《予言的文学論》と銘打ってくれました。うれしい。いっさい妥協しない文章を、ひとつひとつ、積み重ねて、いっさい妥協しない推論ににじり寄ります。これをするのには体力が要りましたが、疲弊しきるまで取り組んでよかった。この文学論は、希望のためのものです。この文学論は、新たな視座を供するためのものです。そして、自分はそれを必要とした。誰かも必要とするはずだ、との確信はあります。時代も必要とするはずだ、と思えた時、もしかしたら好転ははじまるかもしれない。しかし、長い戦いです。死闘期を、ともに生きましょう。生き抜きましょう。僕は、賢治は凄いな、三島は凄いな、古事記はいっそ全篇訳したいな、そうした敬意に推されて、推されつづけて、論のゴールにまで至りました。さて、評論を出したのならば、実作で試されなければならない、とは真理です。だから「群像」誌で、『木木木木木木 おおきな森』が驀進しています。今回は、そうとう深いところに突入したはずですが、次回からは、残り600枚のカウントダウンに入ります。……残り60枚じゃないのかよ。どういうカウントダウンだよ、と自分で突っ込んでしまいますが、600枚がカウントダウンである巨篇を、どうぞ楽しんでください。と、ここまで元気に書きました。じつは、先週の「お便り」を書いている時点で、発熱・頭痛などがあって、マズいな、と思っていたのですが、その数時間後から寝込みました。養生しました。インフルエンザではありませんでした。養生しながら、何をしたか? 起きたら、資料を読み、思考し、書きました。小説の執筆で、体力の限界を感じたら、即、寝ました。結局、仕事は順調に進んでいます。驚異的なことです。だけど体調を崩すのは、やっぱり怖いものですね。ちょうど1年前、体調を完璧に崩しながら、39度の発熱を体感しながら、睡眠不足のまま、日の出に起き、北海道の羅臼で、映像作家・河合宏樹くんの指示のもとに撮影した『ミライミライ』のクリップがあります。このサイトの「公認映像セレクション」内の、Official Trailer 2 というのがそれです。連番の2個めだからと見逃している人もいるかもしれませんが、これらは独立したクリップで、#2 もその1本です。極限状態(しかも零下11度の屋外)で、いったい、人はどのような朗読ができるのか? よろしければご確認を。では、また頑張ります。生きています。
20190207