パンデミックそしてオペラ #02

土地そのものが〈キャラクター〉であると感じさせる京都

インタビューに臨むと「どうして京都なのか?」と問われる。また「どうしてオペラなのか?」とも問われる。おもしろいのは「どうしてパンデミックなのか?」とはどの取材者も問わないことで、要するにパンデミックは書籍(作品)とするに価する、との了解があるのだろう。私が『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』を出して、この本の題名には京都・劇場・パンデミック・オペラとよっつの単語があって、このうち〈劇場〉の語は〈オペラ〉に吸収されるとして、やはりパンデミックは不可解ではない、ということだ。

それが不可解だ。だって、2020年からのあのパンデミックがなんだったのかをほとんど誰も検証していない。そして、まるで検証しているような私のこの『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』だが、それがパンデミック検証本の氾濫のなかに埋もれている、という感じもしない。もはやコロナ禍など、ほとんど気にしている人はいないのだ。そういうことも含めて「あれはパンデミックという嵐だった」と私は言いたいのだけれども、なんというか、尋ねてほしい。「え? どうしてコロナ禍なんてみんな忘れちゃった2024年の初夏とか真夏とかに、パンデミックの本なんですか?」と。

ある編集者が、今年、とは2024年だがその初めに「ふり返ると、あのパンデミックの頃の世界は、まるでSFでした」と私に語った。私も同意した。そして、SFだったということは〈異世界だった〉ということでもあり、それは記録に価するはずなのだけれども、どうも2020年の頭から夏にかけての記録以外、容易には出てこない。私はそれを「もったいない」と思う。異世界は異世界として、書物の内側に保存(アーカイブ)したほうがいいと思う。そして、あれほど世界中の人びとが〈死〉と隣り合って生活していた異世界とは、たぶん〈他界〉とも言い換えられる。この現実の社会に持ち込まれる〈他界〉を、私はどんなふうに認識したか? 捕捉したか? 私は「これってオペラだな」と思ったのだ。

そうなのだ。オペラとは、現世すなわち現代の京都に持ち込まれた〈他界〉だった。

そして、そのオペラを上演できるのは、現代人というよりも生粋の京都人、真の平安京ネイティブたちだと思った。小野篁と紫式部である。

京都というのはそのまま土地がキャラだ。京都人、のティピカルな像もあるし、京都と言われたら思い浮かぶ清水寺や金閣寺、もある。こういうのがまるまるキャラだ。しかし、本当に京都は観光都市なる〈キャラクター〉なのか? 京都をちょっと掘れば、そこは日本国の〈首都〉ではなかったか、相当に長い間? そして、合戦というものも京都にはあって、この土地は死屍累々ではなかったか?

また、そこが「現在でも死屍累々だよ」とシニカルに言い、嗤ったのは三島由紀夫の名篇『金閣寺』ではなかったか?

そもそも、そこに朝廷があって多種の煩雑な儀礼が行なわれていた、との事実が、すでに「京都は日々、演劇をやっていた」と言い換えられる。大内裏とはもっともスケールの大きな〈劇場〉だった。こうした作家的な見解を私は、ほんとはインタビューの場でかっちりと答えたいのだが、どうも「かっちり」とは回答できたためしがない、記憶がないので、ここに文字として、すなわち記録として留めることにする。