鳥の声を聞いていました。ベッドに横たわって、胃と腸を守りながら、そうしていました。鳥のその声は、聞いたことがあるようでもあり、ないようでもある。さえずりが耳に入るだけで、安心するし、少しだけ、それこそ「自分は彼岸に近づいているのだ」とも感じさせる。ここはイタリアで、僕は前夜9時から、ひどい形で腸をやられて、おおよそ30分ごとに激痛で目覚めていて、それが胃のほうの痛みにも、転じるというか、ひろがった。しかたがないのだと思う。明日から、どうなるのだ、との恐怖する感情がそうさせている。そして明日すなわち夜明けは来てしまっている(だから鳥は鳴いている。あるいは鳥たちが)。ベネチアの国際文学祭に招かれたのです。大変な栄誉で、すばらしいもてなしを受けているのです。先々月にイタリア語版の『サウンドトラック』が刊行されて、この本と『ベルカ、吠えないのか?』の2冊の伊訳をともに手がけてくれたジャンルーカ・コーチさんが、ベネチアでの合流後、本当に「いい旅をしましょう!」といろんなことを考えてくれているのです。なのに自分は倒れている。イスタンブール経由の長旅で、というか、日本時間→トルコ時間→イタリア時間の、みっつを18時間のうちに通過する、という行為が、けっこう耐えられないものであって(ほとんどの人はそんなことは考えないのかもしれない。これは自分の《世界認識》のもたらす罠とか業としか言えないのかもしれない)、いっきに体に来た。いや、たぶん、今年に入ってからの疾走のツケなんだろう。そもそも元旦に、僕は、『ミライミライ』のゲラを確認し終えた。つまり1月1日に休んでいない。もちろん翌日からは別の仕事をしている。そうした無理が、とうとう祟った。しかし、だからといって、ここベネチアでのイベントを失敗させるわけにはいかない。僕の出演するトークと朗読のプログラムは、予約開始から1時間で埋まったと聞いて(どうしてそんなことが起きたのだろう?)、そうした予約者の人たちを「落胆させる」との選択肢はない。そんなことを思いながら、鳥の声を聞いていました。頑張りたい。頑張らねば。どうするのだ。結論として、オープニング・セレモニーを欠席させてもらった。英国人作家イアン・マキューアンさんの授賞式を兼ねているのに、そこに立ち会わないという失礼を選んで、しかし、翌朝10時からの、一般プログラムの筆頭の自分のイベントに備えた。今日です。まだ腹の調子は悪い。覚悟は固めた。ステージに出た。古い古いまさにベネチアンな建物のステージ。背後に、イタリア語訳された『サウンドトラック』の字幕が出る。マイク・スタンドの前に立っている。読む。10分。いっさい妥協なしに劇的に。そしてコーチさんとの対話。深める。話題を。どうして、2003年に東京の《移民問題》を描いた小説が、今、ヨーロッパの《移民問題》を照らしてこんなにもアクチュアルなのか? それは直接の質問ではなかったけれども、そんなことも包含された、長い対話の時間。よかった。ちゃんとやれた、と思った。そうしたら、反響は凄かったです。終演直後にサイン会があって、それは書籍を購入してのサイン会なのだけれど、日本でやったことのない長さになった。こんなにも届いたなんて……。そのことがうれしいし、今日はただ、「頑張れた」自分に、よくやったぜお前、と言っています。
20180405