2024年11月7日 超空洞、スーパーホロウ日本文学 #03 現代からその小説を生む その小説、『超空洞物語』は8月15日に開幕する。この設定は最初のページを開けば、たちまち判明する。同じページで宮中(皇居)が言及されて、2ページめの1行めには帝という人物が言及される。帝とは、天皇の尊称である。このような記述は著者の私によって意図的になされている。そして、これまた読めばただちにわかるのだが、場面は夜の、満月で始まる。それは8月の十五夜だ、と素直に了解されるだろう。続きを読む
2024年10月24日 超空洞、スーパーホロウ日本文学 #01 雉鳩荘から小説を生む 2021年の秋に私は東京の西郊に転居した。付近には畑地がいまだ多く、森もあり川も流れる。私自身は「そこに現代の草庵をむすんで、思索し、創作する」ことをイメージとした。この理想の実践には種々の困難が伴うのだが、というのもコスパやタイパといった魔物どもが跳梁するのが現代であるからで、しかし雉鳩荘と名づけた拙宅の庭には、アナグマが訪れるしアライグマも出没する。そうした野生生物と目が合う(ほんとに視線がばっちり合うのである続きを読む
2024年7月17日 パンデミックそしてオペラ #04 火のノート 三島由紀夫の『金閣寺』ならば幾度も読み通した。この小説の内容は誰もが知っているだろう、ある青年が金閣寺(の舎利殿、いわゆる金閣)に火を放ち、焼失させる。それは実際に起こった事件に基づいている。ノンフィクションに基づいたフィクション、ということだ。この〈ノンフィクションに基づいたフィクション〉という構造的な部分を『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』は踏まえている、とも説けるが、続きを読む
2024年6月27日 パンデミックそしてオペラ #03 ドキュメントの許容範囲 ある種の作品はそのまま素直に読んでもらえればよい。この『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』は、コロナ禍の世界(おもに日本、なかでも京都)がどのように〈世界〉に対して反応しているか、を記録しつづけるための文章だった。もちろん書き手の「僕」とは私、古川日出男であって、そこのところを疑われると何ひとつ文学作品として成立しない。その「僕」がある構想を持って文章を綴ろうとす続きを読む
2024年6月24日 パンデミックそしてオペラ #02 土地そのものが〈キャラクター〉であると感じさせる京都 インタビューに臨むと「どうして京都なのか?」と問われる。また「どうしてオペラなのか?」とも問われる。おもしろいのは「どうしてパンデミックなのか?」とはどの取材者も問わないことで、要するにパンデミックは書籍(作品)とするに価する、との了解があるのだろう。私が『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』を出して、この本の題名には京都・劇場・パンデ続きを読む
2024年6月19日 パンデミックそしてオペラ #01 人類はどうして立体視をしているのか 私はいろいろと目=視覚に障害を負っている人間なのだけれども、もっとも根底のところで昔から考えている前提的な事柄がある。どうして眼球は左右ふたつあるのだろう? もちろん左右のそのふたつが機能できないかもしれない人たちの存在を頭の隅に入れた上で、こうした問いを立てると、私は、結局のところ人間は「そこにあるものを、ただ認めるだけでは足りなかった」のではないかと感じている。もしも、右目で見ているもの(対象物、続きを読む
2023年12月17日 三百人と本人 『女たち本人による現代語訳「裏切りの書」』等 文庫化された『女たち三百人の裏切りの書』には巻末に保坂和志さんとの対談が収録されている。これは2015年11月に行なわれたものだ。ここで私は、保坂さんに、 〈ストーリー的にはこの(続きを読む
2023年11月9日 の、すべて、のほんの少し #03 〈 〉の、すべて まず初めに恋愛小説が志向された。しかし、恋愛小説を現代に成立させるために何が必要なのか、を熟慮すると、現代には恋愛小説はほ続きを読む