2026年6月15日 蔵出し・『夏迷宮』の構想時の試作、郡山小説その二 掌篇「無条件降伏のち高倉健」 郡山市役所が騒然となったのは、異様なクレームが押し寄せたからである。 市には公式イメージキャラクターが存在し、たとえばJR郡山駅には大型のキャラクター像が設置されてもいるのだが、それらの像、すなわち「立体がくとくん」とその妹「立体おんぷちゃん」の、かわいらしい顔の下にもう一つの顔が見える、しかもゴツい顔である! と噂になりはじめていた。 なんと、がくとくんの顔面を割って出現しつつある別の顔があるのだ。 続きを読む
2026年6月8日 蔵出し・『夏迷宮』の構想時の試作、郡山小説その一 掌篇「善悪の彼岸・郡山」 明治十年代に郡山は変わった。生まれ変わったと言い切ってもかまわない。ところで時代が下ると、明治十年代と言われても「それがいつ頃か」がイメージしづらいという事態にもなる。西暦に直すならばその十年間は一八七七年から一八八六年までとなる。 この十年間を迎える前の郡山の人口はおよそ五千人。 そして迎えて以降の郡山はひたすら人口を増やす。 と同時に、郡山の西部一帯に広がっていた原野も減らす。その原野が開墾されたから続きを読む
2024年11月7日 超空洞、スーパーホロウ日本文学 #03 現代からその小説を生む その小説、『超空洞物語』は8月15日に開幕する。この設定は最初のページを開けば、たちまち判明する。同じページで宮中(皇居)が言及されて、2ページめの1行めには帝という人物が言及される。帝とは、天皇の尊称である。このような記述は著者の私によって意図的になされている。そして、これまた読めばただちにわかるのだが、場面は夜の、満月で始まる。それは8月の十五夜だ、と素直に了解されるだろう。続きを読む
2024年10月24日 超空洞、スーパーホロウ日本文学 #01 雉鳩荘から小説を生む 2021年の秋に私は東京の西郊に転居した。付近には畑地がいまだ多く、森もあり川も流れる。私自身は「そこに現代の草庵をむすんで、思索し、創作する」ことをイメージとした。この理想の実践には種々の困難が伴うのだが、というのもコスパやタイパといった魔物どもが跳梁するのが現代であるからで、しかし雉鳩荘と名づけた拙宅の庭には、アナグマが訪れるしアライグマも出没する。そうした野生生物と目が合う(ほんとに視線がばっちり合うのである続きを読む
2024年7月17日 パンデミックそしてオペラ #04 火のノート 三島由紀夫の『金閣寺』ならば幾度も読み通した。この小説の内容は誰もが知っているだろう、ある青年が金閣寺(の舎利殿、いわゆる金閣)に火を放ち、焼失させる。それは実際に起こった事件に基づいている。ノンフィクションに基づいたフィクション、ということだ。この〈ノンフィクションに基づいたフィクション〉という構造的な部分を『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』は踏まえている、とも説けるが、続きを読む
2024年6月27日 パンデミックそしてオペラ #03 ドキュメントの許容範囲 ある種の作品はそのまま素直に読んでもらえればよい。この『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』は、コロナ禍の世界(おもに日本、なかでも京都)がどのように〈世界〉に対して反応しているか、を記録しつづけるための文章だった。もちろん書き手の「僕」とは私、古川日出男であって、そこのところを疑われると何ひとつ文学作品として成立しない。その「僕」がある構想を持って文章を綴ろうとす続きを読む
2024年6月24日 パンデミックそしてオペラ #02 土地そのものが〈キャラクター〉であると感じさせる京都 インタビューに臨むと「どうして京都なのか?」と問われる。また「どうしてオペラなのか?」とも問われる。おもしろいのは「どうしてパンデミックなのか?」とはどの取材者も問わないことで、要するにパンデミックは書籍(作品)とするに価する、との了解があるのだろう。私が『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』を出して、この本の題名には京都・劇場・パンデ続きを読む
2024年6月19日 パンデミックそしてオペラ #01 人類はどうして立体視をしているのか 私はいろいろと目=視覚に障害を負っている人間なのだけれども、もっとも根底のところで昔から考えている前提的な事柄がある。どうして眼球は左右ふたつあるのだろう? もちろん左右のそのふたつが機能できないかもしれない人たちの存在を頭の隅に入れた上で、こうした問いを立てると、私は、結局のところ人間は「そこにあるものを、ただ認めるだけでは足りなかった」のではないかと感じている。もしも、右目で見ているもの(対象物、続きを読む