の、すべて、のほんの少し #02

[  ]の、すべて

『の、すべて』の最初の楽章の、その基調とはいったい何か? これは「第一楽章『恋愛』」との扉を具えたパートであることから容易に察せられるように、恋愛小説であること、である。私は前作(『曼陀羅華X』)の刊行時から、「次作は軽やかな作品を発表したい」うんぬんと公言していて、たとえばそういうのは通信社のインタビュー記事などで活字になっていたのだが、その〈軽やかさ〉の体現がこの『の、すべて』の〈第一楽章〉だった。実際にそうなれたのかはともかく、著者たる狙いとしてはそうだった。もっと大雑把に言うと、私はポップな小説を意図したのである。この『の、すべて』という小説が完成して、刊行されるや、(事情はもちろんあるわけだけれども)やけにシリアスな大作だ、との側面ばかりが強調されている。だが、ほんとは私はすっとぼけたような超ポップな恋愛を、けっこう全篇に(テイストとして)ちりばめたかった。

が、「何かを意図したから、それを実現できる」わけではなかった。この『の、すべて』の執筆期間、私はどういう現実生活を送っていたか? 現代語訳した『平家物語』がTVアニメになり、書き下ろした『平家物語 犬王の巻』が劇場アニメになった。前者の監督、山田尚子さんと新聞紙上で対談するという企画が持ち込まれて、後者の脚本家、野木亜紀子さんと雑誌の紙面で対談するという企画も持ち込まれた。私はじつに真面目な人間なので(と言い切ってしまうが……)、山田さんの代表作であると言われる『けいおん!』を第1期、第2期とも全話観て、他にも山田さんの監督作を観た。野木さんの代表作であると言われる『逃げるは恥だが役に立つ』を全話観て、他にも野木さん脚本のTVシリーズを全話観たりした。そういう体験は、もちろん面白かったのだが、さすが「代表作」と評される『けいおん!』と『逃げ恥』だけあって、この2作品は、ダイレクトに私の脳をジャックした。

私は何を言っているのか? 私の『の、すべて』のその〈第一楽章〉は、軽やかになろう! と意識するがあまり、『けいおん!』および『逃げ恥』から直接的な影響を受けてしまった、である。いまのところ誰からも指摘されていないので、自分で告白する。

それと、これも誰からも指摘されていないが、私はニック・ケイヴの1984年のアルバム『From Her to Eternity』(および表題曲)がずっと頭にあった。『地上より永遠に(ここよりとわに)』の原題、From Here to Eternity がここではもじられていて、Here ならぬ Her すなわち〈彼女より永遠に〉が希求されている。この『の、すべて』という長篇小説が、そのような根底的な駆動力を持つ、ということだけは私には最初からわかっていた。