の、すべて、のほんの少し #01

{  }の、すべて

この写真の解説から入れば、これはもちろん単行本の『の、すべて』であり、そこに3枚の付箋が貼ってある。これはランダムに貼ったのではない。1枚めは〈第二楽章〉の起点に、2枚めは〈第三楽章〉の起点に、そして3枚めが〈第四楽章〉のやはり始点(となる扉ページ)に貼られている。注意してほしいのは、それぞれの付箋間の厚みである。表紙から最初の付箋までが、この『の、すべて』という小説の〈第一楽章〉のボリュームに相当する。最後の、つまり第3の付箋から裏表紙までが、この長篇小説の〈第四楽章〉のボリュームに当たっている。

実物(の本)が手もとにある人は確認してほしいのだが、〈第一楽章〉と〈第四楽章〉の分量はいっしょだ。かつ、じつは〈第二楽章〉と〈第三楽章〉のボリュームもそうだ。ほぼ揃っている。この写真の、第1の付箋から第2の付箋までの厚みと、第2のそれから最後の、第3の付箋までのそれの幅で確認することもできると思う。つまり「長い第一楽章がある」「短い第二楽章がある」「短い第三楽章がある」「長い第四楽章がある」が、たった2種類の厚み=長短というので実践、実現されている。

そもそも小説作品なのに、目次ページに「第一楽章『恋愛』」「第二楽章『疫病』」「第三楽章『英雄』」「第四楽章『神典』」とあることは異常である。いいや、異常とは言い過ぎであって、ここは「異様である」と形容すべきか。著者の私はいったい何をしたかったのか? 私は、楽章ごとに長音階(長調)か短音階(短調)かを変えたかった。すなわちメジャーかマイナーかに、ということであり、楽章(ムーブメント)ごとの基調となる感情、それをきちんと整えたかった。いま言った感情とは「物語を駆動するもの」であって文体とも直結している。それをきちんとチューニングして、かつ『の、すべて』という長篇小説のその楽章が〈第一〉から〈第二〉、〈第二〉から〈第三〉……と進むごとに変化する、それもガラッと変わることをちゃんと成したかった。

この本の帯には、「……長篇1001枚」とある。帯文は出版社の担当編集者が作成するのだけれども、1001枚との数に偽りはない。この『の、すべて』は真に1001枚で、それが〈第一〉から〈第四〉までの楽章に分割される(し、よっつが統合されて巨大な本篇を成している)。