サウンドトラック 20XX

2022年9月11日に

あらゆる現代的な出来事は忘れられるのだ、との思いを、たとえば今日(2022年9月11日)のような日に感じる。〈9月11日(セプテンバー・イレブン)〉と言えば誰もが今後もずっと忘却することは不可能である、とその当時は確固と思えていたのに、それから21年が経った今日、ほとんど誰もその出来事、その、アメリカで起きた同時多発テロについて語っていない。それどころか、ニュースの見出しに「アメリカでも忘却されつつあって……」と


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コロナ時代の銀河・補

創りあげられる過程で

映像作品『コロナ時代の銀河』はその題名が示すように、コロナの時代には何ができない(とされている)のかをも主題としている。たとえば演劇の公演、音楽の公演ができない、という時期があった。いまもある。そして『コロナ時代の銀河』を撮影する前後にもあったので、私は「無観客の野外上演」というスタイルを選択した。だが『コロナ時代の銀河』とはそれだけのものではない。そのような「無観客の野外上演」が


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コロナ時代の銀河・註

停まっている時間の内側で

私たちのプロジェクト「朗読劇『銀河鉄道の夜』」は、2021年3月11日に映像作品『コロナ時代の銀河』を制作・公開し、その1年後、すなわち2022年3月11日にその英語字幕版と仏語字幕版の無料配信に入った。フランス語字幕のついたバージョンを、フランスの方々といっしょに観る機会を持ったので、その際に「このことは説明しておいたほうがいいな」と私が感じたことを、ここに書きつける。


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曼陀羅華AからZ #05

おしまいのZ:重文

連載原稿の、その執筆の最終盤はひたすら没入した。まるまる41日間、私は休まずに『曼陀羅華X』を書きつづけた。この小説の〈物語〉的な終着点は2004年6月5日の土曜日と設定されていたのだけれども、そこで私は、これらの日時的なセッティングの〈月日+曜日〉に注目し、6月5日の土曜日にこそ脱稿すると心を固めた。それは、2021年6月5日、を指した。奇しくもこの日は土曜だったのである。


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曼陀羅華AからZ #04

そしてRからY:渦巻

結局は「オウム真理教とはなんであったのか」との問いだ。それに尽きる。こうした問いは、たとえば「東日本大震災とはなんであったのか」と変奏させることもでき、「新型コロナウイルスのパンデミックとはなんであったのか」と、じき、多数の表現者たちが変奏するだろう。しかし、こうした記述には嘘が混じっている。私は、「オウム真理教とはなんであったのか」とは、じつは考えていない。こう考えるのだ、……オウム真理教とはなんであるのか?


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曼陀羅華AからZ #03

感染爆発に見舞われるI以降からQ:運命

私の『曼陀羅華X』で、ちゃんとした名前が付けられて登場する人物(や動物)は相当に限定されている。啓という子供がいて、サンという犬がいる。が、その他にはいないと言ってよい。主要な語り手たちはみな、ただ単に「私」だし「わたし」だし「ワタシ」といった自称で話していて、かつ、それぞれの本名というのを決して明かすことがない。 ただし最初からそうであったわけではない。私


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曼陀羅華AからZ #01

始まりのAからFあたり:数字

私の小説『曼陀羅華X』は、単行本版は原稿用紙に換算すると、ちょうど770枚のボリュームである。それが「多いか」「厚いか」は読者の判断にゆだねる。私としては、今回の著作は「枕にはならないよ」と言える(ちなみに鈍器にもならない)。ところで雑誌掲載時・連載時には、この小説はどれほどのボリュームがあったか? 私は単純に、文芸誌「新潮」に入稿したすべての原稿を連結して、ダブったタイト


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