天音、そのオンとオフ #02

長篇詩のための読書会レポート


詩を読むことに抵抗がある人もいるのではないか、とも思って、私は読書会を企画した。2022年11月26日のことである。代官山にある LOKO GALLERY で行なわれて、ここでは『天音』の装画をお願いした盟友・近藤恵介の展覧会が開催中だったので、新たに装画そのものも額装されて、この日の読書会に参加した。正式なイベント名は〈近藤恵介・古川日出男 読書会「古川日出男、長篇詩『天音』譚」〉といった。このギャラリーにはカフェが併設されているで、そのカフェの空間を用いた。しかも1階と地下1階とにカフェの空間は分かれているので、どちらも用いた。

「どちらも用いた」とはどういうことか? 読書会には司会というか講師というかファシリテーターというか、そういうのが必要なので、私と近藤恵介とがその役を務め、かつ、古川が地下1階で、近藤が1階で、と別々に読書会をスタートさせたのだった。参加者は、半数が地下、半数が地上である。そして椅子に腰をかけて、移動しない。いっぽう、司会というかファシリテーターというか、古川と近藤は、腰はおろさないのであった。立って、話をした。

スタートから20分が経過すると、スタッフが「時間です」と告げる。そう告げられるとどうなるのか? 古川と近藤はそれぞれ、急いで〈まとめ〉を行なって、古川であれば地上に、近藤であれば地下に、移動する。そして同じ内容のものを、違うメンバーの前で、違う展開とともに、話したりディスカッションしたりする。ここでも20分が経過するとスタッフから「時間です」の合図が入る。また地上/地下の交替。さらに20分。地上/地下の交替。さらに20分。そこまでやると、例の〈まとめ〉の部分も足すと1時間半近くが経過している。それから、2グループの読書会がもたらした『天音』という長篇詩の理解を、近藤と古川とで作品化していった。絵画作品、美術作品を、その後の30分間で、読書会のメンバーおよびスタッフが見守るなか、制作していったのだった。

私がファシリテーターとなったパートは、いわばワークショップ形式だった。この『天音』という本には帯がついていないので、仮に帯を作成するとしたら、どうしたものがよいだろうか? これを、ふたつの〈仮の帯〉を作成して、読書会の参加者に「どちらを選びますか?」「選んだ理由は?」「(選ばなかったほうに)反対する理由は?」と問いかけて、詩の理解をどんどん深めてもらった。ギャラリーの地下1階と1階とではぜんぜん違う意見が出たので、そういう〈異なるフロア〉の意見を20分強の後に持ち帰り、地下1階なり1階なりで提示すると、みんなの意見が変わった。つまり「『天音』という詩の眺め方が、変わった」わけだ。

参加者が、こんな引用フレーズが『天音』の帯を飾るのに相応だ、といったものに、

  地獄を通り抜けるための防護服

というのがあって、これは『天音』の88ページの最終行から抜いた文章なのだけれども、なるほどなあ、と感心した。この日は私・古川日出男という作者もまた、読書する仲間のひとりなのだった。

(撮影:かくたみほ)