本流探索

わが四半世紀の自著10冊


作家デビュー25周年の1年間を通過した数日後、私は仕事部屋の棚をいじった。27年め以降の作品群(それらはまだ生まれていない)に備えるために、そこを機能的な空間に変えようとしていた。雉鳩荘の仕事部屋は壁のほぼ3面が本棚で、私はだいたい部屋の中央にデスクを置いているので、正面に「見える」棚というのがある。以前はそこに敬意を払うべき「誰かの」著作群を置いていた。しかし、私は考えたのだった。そこに自分の本を置いたらどうなるのか? それはつまり、いわゆる〈来し方行く末〉をつねに自分に考えさせるのではないか? その〈来し方行く末〉というフレーズは、そのまま「むかしとミライ」と言い換えられる。

しかし全部の著作は並べない。見据えてよいタイトルだけをそこに置いた。するとどうなったか? 予想もしなかったタイトルが並んだ、と率直に言える。そこに並んだ拙著10作は、以下である。

・『アラビアの夜の種族』
・『サウンドトラック』
・『ベルカ、吠えないのか?』
・『聖家族』
・『ノン+フィクション』
・『南無ロックンロール二十一部経』
・『平家物語』(現代語訳)
・『とても短い長い歳月』
・『木木木木木木 おおきな森』
・『の、すべて』

世間から代表作(古川の代表作)と目されているだろう小説は、ある。だが自分がかなり思い入れを持っていた作品が外れていたり、ほぼ誰にも注目されていなかったタイトルが入っていたりする。その、ほぼ誰にも注目されていなかった、というか実感としては「誰にも読まれていないな」と感じていたのは『ノン+フィクション』で、この作品のことを私は、あとがきで、

〈この本は旅行記でありかつ短編集である、というのが実体にいちばん近い。エッセイ集を依頼されたが、いわゆるエッセイ集には全然なっていない。なにしろ小説として構想され、書かれ、雑誌に発表された原稿が四篇も収録されているし、さらに未発表の小説が一編。おまけに戯曲まである〉

と説明している。それはまあ、エッセイ集を頼まれたのにエッセイ集になっていないし、書名もノンフィクションと言い切らずに non と fiction の間に「+」の記号が入っているし、なんとも鵺のような存在なのであって、致し方なし。しかし……しかしだ。だからこそ「古川日出男の作品だ(要約不可能だったり越境的でありつづけたりする)」と言い切れるのではないか、とは、いまとなっては言い切れる。

が、とにかく、上にリストを掲げた10冊で、作家としての自分の軌跡がわかると感じた瞬間、ゾワッとした。もしかしたら本人がいちばん本人を知らないのだ。この10冊を順不同で概観すれば、たぶん、ここからのミライ(すなわち行く末だ)がおのずと見える。そして過去(とは、むかし、だ)にも照射=逆照射される光があるだろう。

しかし本棚というのは不思議なもので、この10冊を並べたら横にちょうど収まった、とはならない。そこで私がどうしたかというと、左側には中上健次の全集を並べた。そして右側に、私は最初期の著作3点を収めた。つまり、それは、

・『13』
・『沈黙』
・『アビシニアン』

である。このウェブサイト「古川日出男のむかしとミライ」には幻冬舎の志儀保博さんが書いてくださった文章が載っているが、志儀さんという、私の担当編集者のその当時の記憶そして記録が、これら3作を執筆していた当時の自分を、やはり照射している。私はいわゆる「小説家」としては異例なことに「デビュー作やその次作、次々作がほぼ言及されることがない」という異様なキャリアを生きている。まるで4作めの『アラビアの夜の種族』でデビューを果たしたかのような様相である。しかし、あったのだ、ちゃんとその3作はあったのだし、いまも、「存る(ある)」=いるのだ。誰かは読むことを、それらの本たちが待っている。そして、それらをも含めて古川を論じてくれる時機を。