「雑種」「迂回」「越境」ついには「埒外」──どうにも解りづらい作家・古川日出男について、さまざまな形で関わりを持つ方々に、さまざまな角度から解説していただきます。
第1回:近藤恵介(画家)古川日出男が書く、いや描く、のか?
ここ数週間、ずーっと古川日出男の書いた文字をみている。裏紙に色ペンで書いたメモ、ボールペンがちゃんと出るかを確認するためのグルグル、原稿用紙に万年筆で書かれた小説を構成する文字群、校正の朱字、朗読のために文庫本のページに鉛筆で直接書き込んだ注意書き、筆を用いた墨の文字、インクのついた指で押した指紋もあるし、おまけにサインペンで書いた兎(もしくは猫)の落書きもある。書店でのトークイベントの後、列にならんでマッキーで書いてもらったサインももちろんある(一番古いものは2008年記名の『サマーバケーションEP』)。同じ人物が書いたとは思えないほどのバリエーションがあることに驚く。古川日出男が10年の間に書いた文字のいくらかがぼくの画室には保管されている。[fig.1]
なぜこれほど多くの文字がぼくの手元にあるのかといえば、それは2010年から継続的に共同制作の時間を重ねてきたからだ。2010年に古川日出男も名を連ねる、小説家、音楽家、画家、コーヒー店の店主からなる「the coffee group」に参加して以来、2011年、2012年、2016年の二人展、雑誌/書籍上での合作(『小説の家』収録)、文庫版『聖家族』のためのカット、『女たち三百人の裏切りの書』の装幀画などの多くの場で関わってきた。細かいものは他にもある。そして現在は、三鷹のイベントスペースSCOOLで4ヶ月に一度のペースで開催されている「フルカワヒデオ、戯曲を読む!」シリーズに参加している。
これらの経緯から、作品化されたものはギャラリーに、反故紙やメモ書き、テストピースや絵画制作に使用した原稿などはぼくがまとめて保管している。さまざまな「そのとき」が、紙と筆記具の接触によって残されている。言葉は発すると空中に消えてゆくが、書かれた文字は残る、というのは少し違って、発された言葉はきく人の内に沈殿して、それぞれの在り方で留まったり、やはり忘れられたりするし、書かれた文字も捨てれば消える。だから、その文字がとりあえず消えないように、次にひらかれる可能性のために保管している。実際、過去に書かれた文字がいま書かれた文字と重なって絵画作品となり、鑑賞者の目に触れることになった例もあるし、もしかすると展示室内でだれかにこっそり音読されたかもしれない。
多くの読者が古川日出男の小説を読むとき、本をひらいて目にするのは紙に印刷された活字だろう(電子書籍リーダーで読むこともあるだろうが、古川日出男に関していえば、それほど多くは出ていない)。ページ上に読みやすいようにレイアウトされた均一な文字は、作家の書き文字としての歪さは剥ぎ取られていて、筆で書かれた「あ」も、万年筆で書かれた「あ」も、鉛筆で書かれた「あ」も、それがどれだけ大きくても小さくても、等しく活字の「あ」に還元されてしまう。その場合、書き文字の絵画性を覆うように表面化するのは文章の抑揚、つまりリズムだ。
古川日出男の小説はしばしば「音楽的」と形容される。本人も音楽好きを多くの場所で公言しているし、音楽が主題の作品も少なくない。しかし、音楽的というラベルを貼ることで安心して、そのビートにのみ身を委ねて読んでしまうのはあまりにももったいない。古川日出男の小説は実はデコボコしていて、気持ちよく踊っていると躓いてしまう。その躓いたときが一旦その音楽を止めるチャンスだ。ふと静かになって周りをみわたせば、そこにはスベスベの紙面ではない起伏に富んだ大地(グラウンド)が広がっている。
ページ上の文字を追う視線を意識的に躓かせることを意図したぼくと古川日出男の合作がある。2010年に発表した「図説東方恐怖譚」[fig.2]だ。これは最初、雑誌『美術手帖』(11年4月号)に掲載された誌上作品で、その後作品の内容を少し変えて、小説家・福永信が編んだアンソロジー『小説の家』に収録された。
見開きの右側のページには、1点の絵画が設置された壁面を撮影した写真がレイアウトされている。その絵画は、パネルに張り込まれた紙にぼくが絵を描き罫線を引いた画面上に古川が鉛筆で文字を書き入れており、その掛けられた絵画の下の壁面には、その作品自体についての解説が今度は油性ペンで書かれている(こちらも古川による手書き)。対面する左側のページには、右側のページそのものを入れ子状に組み込んだ内容の小説が、キータイプされた活字として紙の白地の上にならんでいる。読者はそれら3つのあり方の異なった文字を横断しながらページを繰ることになるのだが(同じ形式のものが見開きで計8ページある)、文字の形態が変わったところで視線は躓き、立ち止まる。さっきまでは鉛筆の細い線で書かれていた文字が、太字の油性ペンに、それも板に書いているので所々にじんだりもしている。ようやく油性ペンの文字になじんだと思ったら、これまでバタバタと慌ただしかった文字は急に整列して活字になる(読みやすい!)。ときどき躓きつつも、横断を繰り返して読み進めるのだが、活字は変わらず均一であろうとするのに対して、書き文字の変化は止まらない。最初と最後の見開きを比べると違いは明らかで、その過程で古川日出男の「書く」と「描く」は重なりだしている。
2016年に開催したぼくと古川日出男の二人展「ダンダンダン。タンタンタン。」のために制作した作品<親シ・家1>[fig.3]をみてほしい。これは、三角屋根の家のような形のシェイプト・キャンバス(正確にはシェイプト・ペーパー)に、ぼくが平筆に薄く溶いた墨を含ませ端から順に線を引いたものを罫線とみなして、その上に古川が万年筆で文字を書き入れたものだ。絵画であるのと同時に、手書きの原稿でもある。中央の二行はブルーのインク、その他の行はブラックで書かれている。注目してほしいのは、漢字に顕著であるのだが、文字が変態している箇所だ。「神」の漢字が縦に伸びたり、文字を構成する一画一画が分解してそのままほどけてしまいそうなところもある。じーっと全体を眺めていると、長い縦の線が雨垂れのようにもみえてくる。
次に<薬シ・家4>[fig.4]をみてみよう。今度は3色の万年筆が使用されている。序盤の比較的律儀に書かれた文字は次第に筆で引かれた黄色い幅のある線上──縦罫を横断し始め、後半破綻を迎える。「(註)」が文章の流れを塞きとめるように挿入され、そのことによって以降の文字が氾濫する。氾濫すると小説としてリニアに読み進めることは不可能になるし、これまで書き継がれてきたものは分節化され、単語化され、文字から意味が剥がれそうになる。小説において、文字と意味が離れてしまうと、その時点で読むことが困難になる。つまり読まれなくなる。しかし、絵画の場合は読めてしまう──というよりみることができる。この作品制作においては、小説として読まれるのと同時に、絵画としてみられることも前提されていたので、小説内の文字の氾濫をあえて許したのではないだろうか。通常、本のために書かれる小説は氾濫が起きないように慎重に文字を継ぐのだが、その制約を緩めることで小説の、書き文字の可能性を探っていたようにも思える。
最後に<親ニ・源平急>[fig.5]をみてほしい。板にぼくの線と古川日出男の文字を糊で貼り重ねたものだ(コラージュはすべて近藤の手による)。『平家物語』の原稿の反故紙、他の絵のために書かれた文字やドローイングのように執筆の前に試し書きをした紙片が貼り込まれている。注目してもらいたいのは、中央やや上部とその更に上に書かれた、「石」が重なっている箇所だ。片方は5つ「石石石石石」、もう片方は3つ「石石石」──重なっている。これが書かれた、いや描かれたときのことはよく憶えている。
展覧会の会場であるLOKOギャラリー(渋谷区鴬谷町)から徒歩数分のところに猿楽古代住居跡公園がある。作品の一部にアクセントとして、句読点のように石を置きたいと思い、散歩がてら古川さんを誘い石を拾いに行ったのだが、そのときの石が文字としての「石」になった。つまり、公園に石が転がっている様子をみて、古川日出男はそれを描写したのだ。「石」はいま紹介した3点の作品を含む計43点からなる組み作品中に散らばっている(この展覧会「ダンダンダン。タンタンタン。」の様子は、ギャラリーのwebサイトに記録として残っている→近藤恵介・古川日出男ダンダンダン。タンタンタン。 – LOKO GALLERY)。ちなみに、石を描写した経験はその後、掌編「つるつるの小石都市」(『非常出口の音楽』収録)として小説化された。併せて読んでほしい。
このように象形文字でもある漢字をもう一度絵画的にひらこうとする試みは、『群像』に連載中の最新作のタイトルである「おおきな森」において一歩踏み込んだ形で表面化している。ここでは活字化することができないのだが、この「森」は「木」が6つ重なった状態、つまり通常の「森」の下に3つの「木」が付け足されたものとして表記される──「木木木木木木」。このことは、「石」が5つ重なったことと繋がっている。イメージの喚起装置としての漢字を小説の起爆剤としていることは明らかだし、そのような想像力が古川日出男の創作の重要な部分を担っている。
これまで述べてきたように、古川日出男の書き文字は本来均一な活字に圧縮できるものではない。というより、フラットに均されることに常に抗っているようだ。ぼくとの合作が絵画/美術作品としてもみられることを踏まえてのパフォーマティブな書き文字であることを差し引いても、その異形のありようは小説の組成と関係がないとは絶対にいえない。
多くの小説をコンピューターをキータイプすることによって残してきた古川日出男が、古典を題材にした『女たち三百人の裏切りの書』、それに続く『平家物語』(こちらは現代語訳)の2作を原稿用紙に万年筆で書いたのは、小説の内容が書かれる方法(あるいはメディウム)を要請したということに他ならず、両者が密接に連関している証拠であるだろう。とりわけ『女たち三百人の裏切りの書』の元となった紫式部の『源氏物語』はいうまでもなく墨を含んだ筆で書かれていて、紫式部と切り結ぶためにはその手続きが必要だったのだし、そのことが小説に身体性やテクスチャーを付与していることは文章を読めば明らかだ。
手書きの文字は上下左右の隣り合う文字に影響を受け、次第に書かれつつある本文の行く先をも変えてしまう。小説全体が、その書かれた文字で構成されているのだから当たり前のことではあるが、古川日出男の場合はそのことが先鋭化される。つまり、いつも以上にデコボコする。文字のもつ絵画的な要素を駆使した小説だ、と思い切っていってしまっても過言ではないだろう。古川日出男が批評家・佐々木敦との対話において「日本語はおそらく、地球上で一番面倒くさい表現形式で、日本語を駆使して書けば翻訳可能性が極端に落ちていく。」(『新潮』18年4月号)と発言しているのは、このこととも無関係ではなさそうだ。
細かい日付は忘れたが、『女たち三百人の裏切りの書』を執筆中の古川さんから、万年筆で書くことの「遅さ」について話をきいたことがある。文字を書き付ける時間とキータイプする時間の差、それが手に与える負荷の違い、数枚書いては切れたインクを補充しなければならない手間、右利きの古川さんは乾く前の液体としての文字列を、その次の行を書くときに引きずってしまい、汚れた原稿を目前に、あちゃー、となって少しの間立ち止まること、などなど。コンピューターを用いての独自の執筆方法を確立していた古川日出男が、この不自由を得ることで要請したのは、1000年前を舞台にした物語が抽象的でスベスベした紙の上の出来事などではなく、「いま、ここ」で書かれつつあるデコボコした現実の物語であることを、活字化されても感知できるように書くための身体性の回復だったのではないだろうか。
そして思い出してほしいのは、古川日出男のデビュー作『13』の主人公・橋本響一は「片目だけの特殊な色覚障害」があり、それゆえに「色彩中心に外界を把握する」のだが、次第に「油絵具の色彩に、描き手の筆圧と筆法がある種の感情のようなものを付与するのだ」と気付く。「油絵具の色彩」に「文字」を代入すれば、そう、これはいまの古川日出男そのものじゃないか!
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ぼくはおそらく他の誰よりも古川日出男が執筆する現場に居合わせている。それは共同制作の現場なので、古川にとっても特殊な状況であり自室での小説執筆とイコールではないが、最後に、その現場からのレポートをここに記す。
そのときどきで場所の変わる作業場に入ってくる古川日出男はもうすでに書いている──と感じられる。筆記具は持っていないが、歩くことで、視線の向け方で、身体の動かし方で書いている──まだ文字として定着してはいないが。執筆中の人に気軽に話しかけてはいけないので、必要最低限のことしか話さない。その日書くであろう内容を想定して、その状況に没入するための音楽をCDでもってきているので、かける。靴を脱ぐことが多い、古川日出男のトレードマークである帽子をとる(脱帽はスイッチ)、机の上に筆記具、辞書、飲み物とチョコ、ノートパッドなどを置く。そして、立って書く──。無駄口を差し挟めば、もっているペンで刺されそうなほどの殺気を纏う(正直怖い……)。しかし没入しつつも、感覚がひらかれていることはよくわかる。自分の書いた文字に敏感に反応して次の文字を書き継いでいる、差し込む光の変化に気を配る、スピーカーから出る音楽とは別に不規則に鳴る音──表通りを走る車の走行音、鳥のさえずり、ものが落ちる音、そしてもちろん筆記具が紙と接触する音をきき逃さない。そして周りにいるぼくの動きや位置を察知している──これは合作なのだから。全身を駆使して感受したことが、すべて書くことに投入される。書く、書く、書く──そして書き終えて、何かが抜けたとしか考えられないくらいに脱力するのがわかる。うまくいっていればニコニコするし、そうでなければ次の手をすぐさま検討する。そのときに予定していた作業がすべて終われば感想などの雑談をしばし交わし、道具をしまって、帽子を被り(いつも気付くと被っている)、靴を履いて、食事におもむくか、そのまま解散する。