再録!「絶賛過労中」

10年前には何を考えどんな日々を送っていたのか? 古川日出男の「むかし」を振り返るべく、2007年〜2008年の2年間にわたって集英社の特設サイトで連載していた半月に一度の“日記のようなもの”を、3回に分けて全文再録します。
第1回は2007年1月〜8月の16回分。続きは7/20と9/20に更新予定です。

2007年

一月前半

元旦から執筆。新作にとりかかるので、前夜から緊張がつづき、生まれて初めて“楽しくない大晦日”をすごした。二〇〇六年はきつかった……と回顧。順調な執筆は三日めで頓挫、地獄に落ちる。二作品あわせて七百枚ちかいゲラのチェックに入る。五日に執筆に復帰。六日にふたたび地獄落ち。しかし決死の遁走。おれは地獄からエスケープした! 成人の日、月末あたりに『Weeklyぴあ』に掲載される MO’SOME TONEBENDER の野音ライブの告知文を執筆。おれは気合いを入れ直した! しかし九日から各社の編集が出社しはじめると(正月休みって長すぎだよ)、連絡事項の嵐。それから打ち合わせの嵐。しかし、まあ、プライベートでいいこともある。とはいえ、この日記は仕事に関してのみの記述で進めるので、何がいいことだったのかは秘密。新作の原稿に怒濤の朱入れ。さらっと資料を読む。床屋さんに行ってデビルズヘアカット。新しい目薬を買う。これは仕事には必需品。十五日、けっ! そこそこ新作も枚数書いたじゃねえか。というわけでミーティングしながら酒を呑む。

一月後半

わずかな執筆時間と膨大な打ち合わせ時間の連続。が、極秘プロジェクト各種が起動をはじめて喜びも多し。十八日、某女性誌で初夏から連載を予定しているエッセイのために表参道クルーズ。すっかり満たされる。十九日の朝より“プチ引きこもり”に突入し、二十五日の午後三時三十分まで小説の執筆以外のことは考慮に値せず、と覚悟。とはいえ『PLAYBOY』誌の書評連載のための読書と原稿書きはしっかりこなす。思いがけずに自宅に顕現なされた『「見えない大学」附属図書館』再校ゲラに翻弄されるも、一時間で処理完了。で、問題の二十五日、午後三時半に新作をがっちり折り返し地点に到達させる。その一時間後には「出版業界の問題点について」なる某誌の取材を受ける。こういうインタビューにおれが答えていいのか? 知らんぞ。さらに午後六時からは『LOVE』の映像化を進めてくださっているナイスガイな方々と会食。おそろしいことに、前日から若干の痛みを発していた喉の症状が悪化し、ほとんど声嗄れの状態での会食開始。が、美味イタリアンを食してワインを飲み進むうちに声量戻る。二十六日、新宿 motion での朗読ギグ。起床してみれば喉の痛みはばっちり再発、おまけに午後三時からは悪寒がはじまり、「やべえ……」と思いながら会場入り。こりゃ完全に風邪だよ。しかし対バンのみなさんもいい感じだし、メイン・アクトに起用していただいたので本気でステージに立つ。死んだっていいさ。結果、盛況。終わったあとのオーディエンスのお顔がどれもこれも晴れやかで、うれしい。「おれはあんたたちが好きだ!」と世界の隅っこで吠える。スタッフ陣にも超感謝。さらに二十八日、青山 cafe246 にて柴田元幸さんとリーディング&トークショー。この日の午後三時にやっとこさ風邪が消える。が、ちょっとしたトラブルで柴田さんが来場されるのが三十分ほど遅れそうと判明し、急遽、朗読の分量とかを倍増させて対処しようと判断。控室から編集者を追いだし練習する。こういうときっておれ、全然焦らないんだよなあ。思ったよりも柴田さんは遅れられず、つまるところライブ感あふれる魅惑のイベントと化した(はずです)。事前の打ち合わせなしに柴田さんが『僕たちは歩かない』を朗読してくださったのがマジうれしかった自分であった。二十九日は今年初めてのオフをとる。うう、二十四時間って短い。三十日、新作の脱稿をめざして半月超の“引きこもり”に突入。来月十四日までおれは現世に戻らん。ああ、無事に脱稿できるのかしら神様?

二月前半

静かな環境に没入したおかげで、快調な執筆。おお、なかなか筆が進むではないか。やっぱり作家は“引きこもり”ですよ! その絶好調オーラがさいわいしてか、二日夜、次回朗読ギグがゴールデンウィーク真っ只中の五月三日に渋谷 O-nest と確定。おまけに対バンは向井秀徳(ZAZEN BOYS)。あろうことかおれと向井さんの二組っていうか二人だけの出演である。これは事件ですよ! やばいっすよ! ロックと文学の最前線の衝突になるのではないか……。ていうか、そうするためにはおれ、文学の最前線にいないと! 当たり前の自覚から再度執筆に没入。一時、来月発売の単行本『サマーバケーションEP』のために魂のチャンネルを奪われるも、新作がチャンネルを強奪し返す。六日、本サイトのオープン。と同時に二〇〇六年渾身の中編っていうかほぼ長編『「見えない大学」附属図書館』が一挙掲載された「すばる」誌も発売になり、同日の午後には早くも反響も聞こえてきて、思わずデビルズスマイル。七日、いよいよ執筆の最終ステージに突入。ジム断ちもはじめる。ジム断ちとは何か? ようするに酒断ちみたいなもので、運動すらも禁止して一日二十四時間をひたすら小説に捧げる行為。おれ、体動かさないのはいやなんすけど……。そこからは“ハード”という形容詞以外授けられない日々。しかしながら原稿は進む。かつ、過去最高っていうか最悪に執念深い推敲の連続。どうだ? これで順調か? 締切りは確実にチクタク迫る。十二日朝、目覚めると同時に前夜の“睡眠”の失敗を確信。眠りが異様に浅かった……これって運動不足も影響しているのか? くそ、心身のコントロールは難しすぎる。おれの経験値も低すぎだ。物語に入り込もうにも現実とおれと物語のあいだに膜が二つも存在して。チャンネルは閉ざされた。呆然。昼前から血の池地獄。しかたがないので精神を極限まで追いつめる。筆を手にとって白紙にスローガンを書き(どんな標語かは秘密)、トイレの壁に貼る。十三日、極度の緊張とともに目覚める。没頭。夜、脱稿。一日早かったじゃねえか! 担当編集者と高速のやりとり。つうか光速。文学はレスポンス命だ! 十四日にはチョコをむさぼり、ついに“引きこもり”解除し、入稿ミーティング等を残らず完了。四十通ちかいメールを出す。十五日、朝は『サマーバケーションEP』(今後は略して『サマバケ』)絡みのエッセイを書いて入稿、午後はそのエッセイ絡みの写真撮影および『サマバケ』打ち合わせ。夜、5・3渋谷にて勃発する(はずの)朗読ギグの中核スタッフ+影のスタッフと会食。おれはこんなところで疾走はやめねえんだよと誓う。たらーん。

二月後半

三日続けて新作短編のために都内ショート・トリップ。合間に打ち合わせと資料リサーチ。十八日からは短編を書きはじめる。いい感じで進んでいる……と思ったのだが、翌日朝イチに読み直したら、文体にブレあり。十三日まで書いていた作品のスタイルがあまりに強烈で、その“声”をひきずっているらしいと判明。これは……全面書き直しだッ! 決断は速かったが、作業は遅々として進まず。マジ牛歩。昼過ぎ、完全に精神状態がおかしくなる。自分が珍しいほどのパニックに陥っていると自覚し、いったん外の空気を吸いに出る。対策はあるのか? ない。ある。ない。ある。ある。自問自答の末、本日入っていた予定を二つキャンセル。帰宅。一時間後には光速で短編脱稿。結局、締切りの一日前に完成したじゃねえか! かつ、入稿したら三十分もかからずに担当編集者からレスポンスが来て、三時間ちょっと後には組みあがったゲラのファイルまで届く。エクセレント。この速度が愛だ! ラブラブラブ! が、このあと三十時間以内には戻さなければならない厚めのゲラと『Esquire』誌用の書評原稿の締切り(勝手におれが前倒ししたやつ)というのがあるので、ふたたび怒濤。二十日、まずはゲラ完了。続いて書評脱稿。すかさず入稿。それから打ち合わせ。おまけに本日は「青春と読書」連載の『聖兄弟』最終回が載った号の発売日で……ああ、誌面を見たらけっこう泣けてきた。これって感涙? 夜八時を過ぎてから地元駅前の書店にゆき、沖縄の旅行ガイドを購入。薄いの一冊だけ。それから旅支度の開始。ンで、即寝即起き。翌朝七時二十分、羽田空港ターミナル内にて角川書店の編集者+『僕たちは歩かない』の装画・挿画を担当してくださった星野勝之さんと合流を果たす。気がつけば旅がはじまっていて那覇着。翌二十二日夜、宜野湾の cafe unizon にて「文学カフェ」なる催しがはじまる。第一部では沖縄在住の作家・恒川光太郎さんがトークをされる。第二部、星野さんとおれの対談。二人とも初めての沖縄って印象譚から入り、『歩かない』製作秘話に移る。相方・星野さんのクールネスも功を奏し、盛りあがった(気がしております)。第三部はおれの朗読。作品は『歩かない』と『LOVE』の二タイトルのみで、MC入れて四十分間。最前列あたりの“皮膚がまるごと耳”のような姿勢で聞き入るオーディエンスの方々に感銘を受け、異様なエモーションが噴出した。貴重な体験だったなぁ。ンで、二十二日朝にはプロペラ機で南大東島に飛ぶ。連れは三社・三人の編集者でした。合計四人で探検部を組織して、ああ、なんだか超EPなバケーションだ! 恍惚! しかし個人的な旅の“キモ”は翌朝にあった。早朝から島内をひとりで二時間ほど歩いて、凄絶な昂揚感に襲われる。「おれはあと何万枚でも、何十万枚でも書けそうだ」と悟る。だから長生きしたい。まだ殺さないでください神様。二十五日夜に帰京。『PLAYBOY』誌の書評用の読書と原稿執筆、5・3ギグ物販用のステッカーの作成、マル秘会食、等々をガシガシこなす。次の大きなヤマまでは残り十日しかない。焦る。ここからは新作中編に没入。死ぬもんか!

三月前半

取材のために南房総へ。充実した時間を過ごす。ここから二日間ほど、合計して四つの作品のアイディアが同時多発的に爆発。いったいおれの脳味噌どうなっちゃってるんだ状態になる。だが、いざ新作中編にとりかかると、地獄のはじまり。ネタが浮かぶことと小説が“書ける”ことはまったく違う、という当たり前の認識に蒼白となる。凄絶な恐怖。正直、白髪がどんどん増えるのがわかる。ひたすら新しい文体に嬲られ、それでも喰らい付きつづける……しゃにむに、死に物狂いで。良いことだって起きている。五日、5・3渋谷ギグのフライヤーが届き、その“カワかっこよさ”に感激する。六日、『ゴッドスター』が掲載された「新潮」四月号の見本が届き、その表紙と誌面の迫力に陶然とする。さらにはオフィシャルな発売日の前だというのに、同日夜からレスポンス多々あり。中にはこの作品に「一つも読点が使用されていない」事実に気づいた人もいて、おおっと唸る。続いて七日、『サマバケ』単行本の見本が届き、太公良さんの装画と本そのものの佇まいの余りの素晴らしさに、言葉をうしなう。しかし、この同じ七日の朝から、プライベートで悲しみに満ちた出来事が発生し、ほとんど半分泣きながら原稿執筆を進める。その出来事は二日ほどで解決したが、心労から解放されたためか体調が予告なしに悪化。凄まじい風邪に襲われる。薬を飲んでしまったら脳の働きが鈍るので、ひたすら耐えながら執筆。夜中に眠れないほどの全身の痛みに苛まれ、しかし己れに絶望を許さない。許すもんか! 十日、新作中編の締め切り日。午後一時に脱稿する。直後に初めて薬を服用。この日に入っていたプライベートの予定はキャンセル。夕方に編集者と打ち合わせて入稿作業を済ませて、信じられないことだがさらに自分の小説が進化を果たしたことを実感しながら、ついにダウン。寝込む。しかし、翌日は日曜日にもかかわらずインタビューあり。集中力皆無の状態で受ける。また、この日の夜、朗読ギグがらみの大きなイベントが決定。まだ詳細は明らかにはできないが(若干待たれよ)、関西の皆さん、お待たせしました。十二日、やっと熱が引いて夜には打ち合わせ。異質な場とグルーヴと人材が衝突するプロジェクトが始動しそうな予感。昂揚。十三日、咳が出はじめ、これが風邪の最終プロセスかと判断。大事を取って完全オフ日にする。翌日の午後からは『サマバケ』インタビューと某誌別冊用“乙女に喝を入れる”エッセイの打ち合わせと『ゴッドスター』打ち上げを連続してこなす。酒を呑みながら編集者に「おれは七つまでなら脳を同時に持てると思っていたけれど、十個は脳がないと無理な状態になってきた」と語ったら、「人間が持てる脳は七個が限界らしいですよ」と返されて驚愕。十五日、『サマバケ』発売を記念して、物語内に登場した(というか登場させた)スパにいって、念入りに全身のマッサージを受ける。夜、さまざまに分裂した感情のいちばん底のほうで、おれに脳味噌をあと三つください神様、と声に出さずに祈る。もちろん神は答えない。オーケー、明日も書こう。

三月後半

原宿・青山から今月後半はスタート。まずは十七日の太公良さんイベント@ラフォーレ原宿のために、会場下見と打ち合わせ。それから女性誌『BOAO』新連載エッセイのために、編集陣との打ち合わせ+読者層を代表するOLさんたちとの会食。ガールズ・トークの渦に巻き込まれて、人生の経験値をあげる。ガールズたちに多謝。翌日、ラフォーレにて高校時代の後輩かつ書店員さんと奇跡の再会を果たしつつ、太公良さんとダブル・ネームのサイン本を作成して、KIRAKIRAJAPAN PROJECT SHOP 店内でイベント開始。おれの朗読をバックに、太公良さんがライブ・ペインティングを披露する。会場の関係でマイクやスピーカーが使えないので、完全に生声ギグ。腹から声が出る。ついでに口笛もまじえて、全身にて表現。見ていた人によると「おれと太公良さんのあいだで火花が散っていた」らしい。その後、二人で対談して、『サマバケ』デザイナーの佐藤有さんらも招いて打ち上げ。そこからはゲラと書評用の読書と原稿執筆の日々。『週刊現代』の書評と『PLAYBOY』の書評をそれぞれ締め切りの一日前に入稿する。十九日、『記録シリーズ・鳥居』が掲載されたフリーペーパー「WB」誌の見本着。表紙を見てバカ笑い。いいっすね〜。この短編によって、ついに『聖家族』シリーズも怒濤の新キャラ章に突入した。燃える。燃えながら打ち合わせ。二十日は雑誌『Tokion』掲載用の向井秀徳×古川日出男対談。向井さんのスタジオにお邪魔して、ミーティング→写真撮影→対談とこなす。全部の作業が高レベル・高密度で進行。翌日(二十一日)から情報解禁となる我らの京都ライブについても、詳細の詰めを完了。その後、新作短編のために都内某所を散歩。ひさびさに“散歩”の醍醐味を味わう。快感。そこからは朝日新聞のアンケートに回答したりしつつ、短編脳の日々。いっきに没入するも、プライベートの心痛ふたたび。が、どうにか耐える。しかしながら二十二日、数年ぶりに「一行も書けない」というパニック。原因ははっきりしているが、呼吸の浅さと動悸がやばいレベルに。まずは状況を整理せねば、と来週の締め切りを二つ調整して、さらに来月の締め切りも調整する。寝る。起きる。ガリガリ書く。気がつけばその日は「古川日出男ナイトvol.3」@青山ブックセンター六本木店であり、夜には会場入り。静かめの朗読でややサプライズな演目なども披露するが、オーディエンスのまなざしは温か。MO’SOME TONEBENDER の新作アルバムを巡ってのあれやこれやも盛りあがる。週が明け、五月から起動する極秘プロジェクトと、同じく五月から起動する『聖家族』新プロジェクトの打ち合わせを連続してこなし、さらに短編執筆にも没頭。二十八日、さまざまなトラブルで死ぬかと思った短編が、奇跡の脱稿。こ、これは……早く世間に読ませたい。しかし誌面になるのは六月だよ。なんなんだこの速度は。『サマバケ』のインタビューをこなし、BATIK の『ペンダントイヴ』のステージに戦慄し(いや、もう、おれも“パンドラの箱”を開けないとだめだな、と痛感させられた。育世さんマジ凄すぎ)、悪戦苦闘しながら『BOAO』第一回原稿をアップ。丁寧な仕事をこなしましたね自分。三十一日、事情があって静かな一日を過ごす。……はずだったが、途中で猛烈にいらだちを覚える出来事も。はいはい、そんなに古川日出男は目ざわりですか。しまいにおれはニヤッとしてしまう。夜、最高に美味しいものを食べて、眠る。

四月前半

一日の午前中に某誌別冊用“乙女に喝を入れる”エッセイに着手。お昼までに脱稿し、ちゃんと喝を入れてみる。そこからは新作脳に移行。肉体と精神が順調に新たなディメンションに向かって、歩み出す。三日、イベント用の「サマバケ部」会員証のサンプルが届き、愛らしいじゃねえかと満悦の体に。この会員証にはおれの直筆“桜ちゃん”イラストが扉に配されていて、その無意味さがグー。同じ日の夜、河出書房新社の担当と七月初旬刊行の単行本の打ち合わせ。また、『文藝』秋季号がおれの特集を組んでくださることになったので(ありがたいことです)、そのまま編集部の他の方々も加わってのミーティング会食に移る。テーブルに全員がノートを広げ、つぎつぎお皿が供される様は、圧巻である。思わず酔う。四日、新作長編のために都内ロケハン。ただちに舞台となる地が定まって、その日のうちに週末のホテルを予約。それから五日、ジュンク堂@池袋の『サマバケ』刊行記念イベントに向かう……前に、高田馬場で翻訳家の鴻巣友季子さん及び文春の担当各位と落ち合い、さらに「サマバケ部」の部員の面々と合流。高田馬場から江戸川橋まで、物語のなかで登場人物たちが歩いた神田川沿いのルートを実際に読者二十名超とともに歩いてしまうという無謀な部活、それが「サマバケ部」である。こんな企画、楽しいのかね……と懸念を抱いていたのだが、異様に楽しかった。集合場所には書評家・翻訳家の大森望さんがなぜかサプライズで立っておられて、物語そのまんまに唐突に参加し、さらに途中で離脱もされて、盛りあがる。その後、ジュンク堂の控室でガシガシとサイン本を作成し、他社の編集と他社の本の取材旅行その他の打ち合わせを五分で済ませて、いよいよ鴻巣さんとのトーク・ライブのゴングが鳴る。異様に白熱する。おかしな譬えだが、おれと鴻巣さんとでプロのテニス・プレイヤー同士と化したかのように、言葉と言葉で痛快に汗を流した。七日、ウィークエンドの都心の某所にて、ホテルに宿泊して籠城取材。いい感じで雨に降られて、目深にフードをかぶりストリートを闊歩。しかし、頑張りすぎて疲労がピーク。八日、昼前に帰宅し、脳をリセット。それから日比谷野外音楽堂に向かう。本日は MO’SOME TONEBENDER のツアー・ファイナルである。そしてステージの、あまりの素晴らしさに数年ぶりに客席で暴れる。半泣きする。九日、目覚めると同時にあらゆる邪念をふり払い、新作の執筆にダイブ。十六日に大きな締め切りがあるので、ここから八日間は“プチ引きこもり”だ。初日は順調。が、二日めに早くも崩壊。スケジュールに余裕がなさ過ぎる。雑事が多すぎる。それでも……どうにか復活。四日めに波が来て、プライベートの予定をキャンセルし(おれって不義理ばっかりだ)、その波に乗ってみる。いけるか? 甘かった。調子こいた瞬間に、何かが暴発。絶望。悲鳴。おれに時間をくれ。おれにもっともっと時間をくれ。もう原稿料なんて要らない、代わりに原稿一枚につき、一時間、おれに払ってくれ。この発言はマジだって。おれはマジそう思ってるんだよ。だから小説の執筆に、おれ、ひたすら没頭したいだけなんだよ。しかし八つ当たりする相手すら、周囲にはいない。結局は自分を憎悪し、それでもコンピュータの前から逃げ出さない。仕事場で犬のように吠えた。近所の人、ごめん。この日記は「四月前半」の記述だから、十五日に自分にブースターかけたとしか言えない。十六日の脱稿がどうなったかは、記せない。以上、喝はおれ自身に入れろ!

四月後半

脱稿した。信じられない。併せて入稿しなければならない短い原稿(マニフェスト的なもの)を光の速度で書いて、二時間だけ呆然とする。じつは、今回の脱稿ぶんというのは「挿画用に全体の五分の二を渡す」との約束のもとに仕上げた原稿でしかなく、月末までに残り五分の三がある。考えると死んでしまいそうなので、寝る。起きる。十七日、来年後半に起動するプロジェクトの打ち合わせと、『聖家族』取材旅行のための“チーム集英社”との打ち合わせ。朝日新聞アンケートに回答。十八日、壊れた脳の修復に勤しみながら、今後半年間の予定のメンテナンス。二つの作品のための現地取材。うち一つは『MUSIC』である。青山をフィールドワーク後、担当者と打ち合わせ。ゴールデンウィークの朗読ギグの会場で物販する『LOVE』Tシャツのサンプルを見せてもらう。す、素晴らしい……。フロントは『LOVE』で、バックプリントが『MUSIC』である。ところで『MUSIC』とは何か? 某キャッター小説の系譜に連なる“都市の祝祭劇”とだけ記しておこう。十九日から執筆再開。と同時に、書評用の読書が山積みで、心底疲弊する。二十日、ギグ会場で配布され、かつ、『LOVE』Tシャツには特別版が同梱される予定の掌編「from LOVE to MUSIC」入稿。二十二日、ロッキング・オン・ジャパン誌のインタビュー。地元の焼とん屋に呼び出してしまったのだが、ひさびさに一服の清涼剤となる取材であった。二十三日から二十四日は凄まじい。書評用の読書を一日のスケジュールのニッチ・マーケットみたいな空き時間にどうにかガリガリ敢行して、『PLAYBOY』&『Esquire』両誌の締め切りを突破。六月に発売される『hon-nin』用に仕上げた短編の、グラビア撮影に同席。この短編はおれ的にリーサル・ウエポンなのだが、題名がすでに破壊力120%なので、いまは伏せる。情報解禁までしばし待たれよ。で、その作品内のキャラを、な、な、なんとコンテンポラリー・ダンサーの康本雅子さんが演じてくださることになって、おれが立ち会った撮影とはそれ。なにげに一服の興奮剤。さらにその夜、二カ月もの雌伏の時を経て、「南大東島探検部」の打ち上げが神楽坂の某所で開催される。その他にゲラのチェックと対談原稿のチェックもあり、完全におれの脳は分裂。しかし、二十五日からは自分の生活(あるいは勢力圏)から他者を排除。ひたすら月末まで書きつづける。この期間に起こった執筆以外のスペシャルなことは、あれだな。七月五日に刊行される単行本『ハル、ハル、ハル』がらみの特設サイトができて、そのテスト版のチェックをしたことだな。このサイトでは読者から古川日出男、っておれだけど、への質問を受け付ける。アドレスはhttp://www.kawade.co.jp/haruharuharu/で、その質問が『文藝』おれ特集号に採用された人には、『ハル、ハル、ハル』特製朗読サンプラーCDを差し上げます。ふるってご応募ください。以上、宣伝終了。そして三十日、おれは脱稿した……。すでにおれは限界を超えた。七つしかない脳が八つめの小説を書いている。心臓の一部が炭化しているのがわかる。おれはインドアしすぎた。外に出よう。ギグをしよう。作家は“書いてこそ”だが、古川日出男は“生きてこそ”だろう。だよね? さあ、アウトドアだ。

五月前半

四月の地獄から生還し、そしてアウトドア。五月の最初の一週間はずばり“向井秀徳ウィーク”であった。マツリ・スタジオでのリハーサルをすばらしい次元でこなして、博多焼き鳥に舌鼓を打ち、のどの状態に注意を払いつづけて、まずは三日に渋谷 O-nest で「古川日出男×向井秀徳」本番。あまり体験したことのない緊張感を内側に抱えて、おれはステージに立った。第一部がおれの通常の朗読ギグ、第二部が向井さんのアコエレ、そして第三部がおれと向井さんの共演である。その第三部、これまでのイベントでは得たことのない浮遊感というか、音楽が内側と外側にあって自分の鼓動がそれにシンクロするというか、非常に説明のしづらい爆発的な状態に入った。それも、いっきに入った。のちに向井さんは「それが昇り龍」とおれに解説したが、言い得て妙。発せられる声はおれという肉体(のサイズ)を超えて、活字であると同時に音楽であり、誕生するものは“本”であると同時に形容しがたいナニカになるのが、わかった。終演、大きな反響、凄い余韻。五日は京都 METORO で「古川日出男×向井秀徳 in KYOTO」。渋谷には緊張感だけが産み出す透明で無機的なカタルシスがあり——ただし、こんなフレーズでは言い表わし切れない——、この京都にはおれと向井さんが見事に合体した艶やかで有機的なカタルシスがあった、気がする。おれは。七日、東京に戻って向井さんと再会し、某マツリ寮にて対談。二人で静かに、このギグの日々(おれには初ツアー)に成し遂げられたものがナニなのかを言葉に換える。おれの個人的な実感では、文学に命を吹き込み直した気がするし、もちろん単純に“文学”フェイズだけで済むものではないが……。いずれ我々はふたたびナニカの生成に挑むであろう。大きな余韻。崩壊した声帯。さて、そんな感じで“向井秀徳ウィーク”は幕を下ろしたが、その間にもおれは『ストーリードロップス』第2回の取材と執筆を刊行。新聞のインタビューもあり。さらに『ハル、ハル、ハル』のゲラ作業にも着手。後書きを執筆。八日、『ハル、ハル、ハル』の朗読サンプラーCD用にとスタジオに入ってレコーディング。ここで完全にのどを潰す。そうした代償もありましたので、皆さん特設サイト経由でおれに質問をいただけますか。詳細はこの日記の前回参照。以上、宣伝終了。が、『文藝』特集用の作業はまだまだ続き、半日弱を要するグラビア撮影もあり。それから朗読に関するエッセイ執筆などをこなして、いよいよ東北旅行の準備。五月の二番めとなる一週間は、ずばり“東北ウィーク”である……三泊四日だけれど。『聖家族』のための“チーム集英社”から三人をお供に、宮城県、青森県、秋田県から山形県と回る。仙台のクラブ・シーンを SOUND MARKET CREW(DJ FUMI さん、MC Doo さん、MC mica the bulwark さん)と GAGLE(HUNGER さん)、ガイドの丹野さんが懇切に教えてくれて、本当に嬉しかった。HIP-HOP の人たちって、心に暖かい電球が灯ってる。この取材について書こうと思えば無限に書けるのだが、とりあえず小説の形でいずれ仕上げるとして、「おれは無数の鳥居を抜けた」とだけ記しておこう。帰りの新幹線車内で某誌のインタビュー。東京に戻ってきたら、おれが帯のコメントを書いた Mrs.Tanaka(ミセスタナカ、発売は TownTone)のCDが送られてきていた。すばらしいパッケージ……。おまけにおれの文章はライナーにまで載っている。ありがたいです。十五日、新作執筆の準備に追われるさなかに、『hon-nin』掲載の短編、その名も『叱れフルカワヒデオ叱れ』!!!の再校ゲラが届き、そのデザインの無敵ぶりに思わず嗤う。えーい、リフレッシュは完了した。シャバの空気は美味いぜ。

五月後半

取り戻したのは精神の健康だけだった。肉体は疲労の極みにすでに達していた。結局、おれは倒れた。だが、その前に順番にいこう。十六日から記述しよう。『文藝』特集のために佐々木敦さんとのインタビューがあり、充実した時間を過ごす。おれはおれ自身を冷静に観察できている。が、その日の夜から体調は悪化。翌日、藤谷治さんの新刊二冊のゲラを読み終えて、帯のコメントを執筆。二作とも読後感に“感情”があった。青山ブックセンターの夏のフェスのために小冊子用文章を執筆。それから、発熱。いっきに来た。気管支の問題で通院をはじめた直後だったが……。深夜、まるっきり熱に魘される。全身に激痛。起ち上がれない。だが、床にいるのは二日だけにして、『小説すばる』ではじめる短期集中連載『聖兄妹』の原稿に着手。苦闘。書き直し、倒れ、発熱し、書き直し、書き進め、締め切りを延ばしてもらい、また延ばしてもらい、書き直す。デッドラインは二十五日午後一時。その十四分前に脱稿した。入稿。およそ一時間半後から、『MUSIC』取材旅行に入った。限界のスケジュール。それでも土地との対話。作家としての自分のポテンシャルを試す。二十七日、取材旅行から戻り、それから翌二十八日、こちらも締め切りをガッと延ばした『PLAYBOY』誌の書評。ほぼ四年間続いた連載書評の、これが最終回だった。しかし、この原稿を入稿した四十分後には、『東京人』の取材記事のために出発。これは神田川を手漕ぎボートで遡上するというもので、担当編集者が『サマバケ』B面として企画を立ててくれた。太公良さんも参加して、予想を遥かに上回る冒険が展開。この日帰宅すると、『短篇ベストコレクション 現代の小説2007』(徳間文庫)が届いていた。ここには『LOVE』のスピンオフとなる掌編——マジ短い——『タワー/タワーズ』が載っておりますので、未読の方はどうぞ。発売日は……いつなんだろう? 把握していません、ごめん。それから『ハル、ハル、ハル』の再校ゲラを見て、『ストーリードロップス』の取材をして、三十日、『文藝』特集用に柴田元幸さんから受けるインタビュー。いきなりおれは「もう限界です、体が持ちません、古川日出男ももうダメです」と愚痴をこぼしはじめ、柴田さんを絶句させてしまう。おれはおれ自身を冷静に観察できていない。が、延々二時間、三時間と話すうちに、冷静さが戻る。全部……柴田先生の……おかげです。ありがとうございます。そして三十一日、『ストーリードロップス』連載第三回を執筆、入稿。他にもいろいろあったが(死ぬほどあった)、この程度の記述に収める。クソ、過労死だけはしないって!

六月前半

大丈夫、おれは生きている。とりあえず危険水域からは離れた。先月の柴田さんに続いて、三人の何気ないひと言ずつがおれを救出した。今回も順番にいこう。一日、「東京人」のための紀行文を書き、入稿。書き上がったのは午後早めだったが、その直後から肩の荷が下りたような感覚に襲われる。荷というか、数十人分の憑依霊というか。何だろう……これって。「地獄の四月と五月を通過したのだ、し切ったのだ」という実感。その“地獄通過”のパスポートが配付されたような印象。頬や肩の筋肉があきらかに和らいでいる現実に、最初は脅威を感じて、それから驚喜する。翌日から脳のモードを『MUSIC』に切り替えつつ、翌週のコバルト・ロマン大賞の選考のために応募作を読みはじめる。三日は川口の某スタジオに飛んで、爆笑問題さんのDVD収録用のライブ漫才を観る。ステージにあるのは素晴らしい集中力と凝縮感、圧巻。その後、「文藝」特集のために対談をさせてもらった。四日は「丸善」丸の内本店にて江國香織さんの新刊『がらくた』刊行記念イベントに出演。江國さんと二人でデュエットの朗読もできたし、打ち合わせなしのトークも最高に楽しかった。打ち上げも。で、おれはその二十四時間で、爆笑の太田さんが語った言葉、河出書房の担当が漏らした台詞、江國さんが打ち上げで隣りから掛けてくれた一つの声に、救われ、癒され、いっきに突き動かされる。抱えている仕事を整理しよう。年内にも少々休養しよう。すまないが、おれを過労死に追い込むような仕事は残らずキャンセルしよう。残らず、全部。今後もおれが手を抜いて仕事をすることはないが、リリース点数は減らす。『聖家族』の刊行を遅らせることはないが、他は可能なかぎり調整させてもらう。よし、生きよう。六日、コバルトの選考会を揉めずに突破。七日、「文藝」のために寄せられた読者からの質問に回答。そして『MUSIC』の序章に入る。そこから一週間、ひたすら入りつづける。まぁ……「文藝」の作業がいっぱい机のまわりに山積みにはされているのだが。十三日、脱稿。うれしい。文体も変わった。書かれている“もの”も。この序章にはオリジナルのタイトルがついていて、某媒体に短編として発表される予定なのだが、いまは詳細は話せない。……考えてみれば、すでに書き上げて入稿したのに活字になっていない原稿が、いまのおれには何百枚か、ある。ここにも目に見える形で問題がある。減速だ、減速。十四日、コバルトの選評を書いて入稿。午後は打ち合わせ、『ハル、ハル、ハル』のインタビュー、さらに打ち合わせ。十五日は「文藝」のゲラ、ゲラ、ゲラ。まことにしんどいが、意味のある特集が生まれつつあるのがわかる。そしてこの日記に着手。あと数時間したら、おれは『聖兄妹』の世界に戻る。さあ、おれの脳の数は減った。この何個かの脳だけで、おれは現実っていうのとダンスしようじゃないか。おれの敵はおれ自身じゃないんだぞ、と今日のおれは肝に銘ずる。これは禅問答に非ず、だ!

六月後半

日比谷野外音楽堂、土曜日。招待していただいた ZAZEN BOYS の公演に全身でひたる。お祭りの楽しさのなかに弾丸が飛び交うようなライブだった。おれには何事かの象徴のようにも思えた。向井さんに挨拶して、new ベーシストの吉田さんとかにも言葉を伝えて、気がつけば物凄く幸福感を噴出させながら酔う。で、これは二週間まとめての日記だから書いてしまうが、この日記がアップされる頃には怒濤のイベント・スケジュールが明らかにされているはずである。おれの、この夏の。そして“夏”の締めに用意されているのは、向井さんとの三度めの共演@博多である。ご近所の方がいらっしゃいましたら、どうぞ遊びに来てください。その他もろもろの“夏”のイベントは、方向性は全部異なるので、まあ一つぐらいは楽しんでもらえるものが読者の皆さんの誰にでもあるんじゃないかと思いますので、タイミング合うようでしたらどうぞ。などと宣伝の果てに日記の記述に戻ると、十八日に『ハル、ハル、ハル』のインタビュー。十九日には、以前“乙女に喝を入れる”エッセイとしてここで紹介していた、あの謎の文章を掲載する「別冊コバルト〜特集・乙女の世界〜」の見本が到着。ただの見開きエッセイですので、よろしければ立ち読みでも。とはいえ、乙女じゃない人は難しいよね。すまん。二十日には「文藝」特集に収録される対談・インタビュー・その他、計六本のゲラをすべてチェック。それから朝日新聞のアンケートに回答。それから『聖兄妹』の取材にむかい、あらゆる奇跡に邂逅。それから「ロッキング・オン・ジャパン」誌の見本が届いたので、にやにやっと笑う。二十一日から完全に『聖兄妹』第二回の執筆に没頭……のはずが、雑事多し。いつものことだが、この雑事というのは何とかならんのか。しかし、どうにか没頭しようと足掻き、二十二日、二十三日、と牛歩で進む。二十四日、完全に限界。これでは終わるはずがないと呻いた。仕事場で自分にむかって悪罵を浴びせつづけて、結局のどが嗄れる。おれは何をしてるんだ。それから二十五日の入稿日、延々十一時間書きつづけて、脱稿。気がつけば夕飯すら食っていなかった。終われた、という事実の認識に何時間か要する。二十六日、起床してみたら体調が崩れていることを察するも、とりあえずおれの目は希望を見据えている。十日ほど前に受けたインタビュー原稿を確認し、それから『ハル、ハル、ハル』のインタビューを受ける。コバルトの選評のゲラをチェックする。『ストーリードロップス』のための取材をする。二十七日、リブロ渋谷店のために“乱暴な本”十五冊のリストを作成して、渡す。午後、『ハル、ハル、ハル』インタビュー。ニッチ時間を利用して書評用読書をがりがり進める。夕方から「コバルト」新人賞に関して大岡玲さんと対談@集英社。その後、会食。体調はどんどん悪化していて、ナプキンでこっそり鼻水を拭きながら、中華を食した。二十八日、目覚めると“いかにも風邪”な鼻水に肩を落とすが、めげずに午前中から『ハル、ハル、ハル』インタビュー。その後、脳がフラフラァ〜としてるのを無視して書評用読書、かつ読了。それにしても、おれが風邪かそれに類するものにやられるのは、今年五度めとかではないか? もともと風邪は年に一回、やられるか否かだった。なのに……この免疫力の低下は、何よ? どういうことよ? 悩みながら床に倒れ込む。二十九日、『Esquire』誌の書評を脱稿。この隔月書評連載も、今回で降板させてもらうことにした。すまん……でも古川日出男は一人しかいないの。限界はもう認めたの。昼からは『ハル、ハル、ハル』のインタビューを続けて二本。河出書房新社の刊行記念特設サイト用のコメントも執筆して、担当に渡す。この日、ついに『ハル、ハル、ハル』見本をゲット! いや、もう、すばらしい。ポップで。乱暴で。ちゃっかり夜はハーフボトルのシャンパン。そして三十日。『ストーリードロップス』第四回を執筆、入稿。amazon 用に『ハル、ハル、ハル』の著者コメントを執筆。「コバルト」対談ゲラを戻す。さらに『ハル、ハル、ハル』の書店向け手書きポップを作成。今週の“販促マシーン”ぶりは我ながら凄い。しかし、それだけにはとどまらず。最後には翌日からの『聖兄妹』第三回(に脳味噌移行)用に朱い“鳥居”をこの生身で通過する。さて、これで——おれの二〇〇七年上半期が終わる。なんだかなぁ。なんだよ、これ。危ういところで、この日記のタイトルを「絶賛過労中」から「絶賛過労死寸前中(または絶賛過労死……中)」に変える羽目になりそうだった。でも、そういう意味でもこのサイトの記述は貴重なのかもしれない。まさにドキュメント。ベイビー、泣き笑いだぜ。

七月前半

レッツ下半期。いよいよ穏やかな心持ちの第二次二〇〇七年のはじまり(のはず)である。一日は午前中に『聖兄妹』連載第二回のゲラのチェックを済まし、その後、全部の予定をキャンセルして「まったり」する。ついでにレコードを取り出して、ひさびさに何枚もターンテーブルに載せて、その音の感触と、ヴァイナルの手の感触とを確認し直す。それは結局、『聖兄妹』世界に引き続きダイブするための儀式でもあった。翌日、雨の中をサーチング・フォー・鳥居。徒歩二時間圏の界隈はすでに踏破したかに思えたおれだが、いまだに近場に埋もれた鳥居はあった。感動。心からの合掌。しだいに『聖兄妹』連載第三回にして最終回のための、深い深い水域に入る。四日から起筆。が、この日にはついに「文藝」おれ特集号の見本をゲット。いやぁ、我が事ながらいいっスね。編集部の方々、寄稿して下さった方々、対談・インタビューにご協力の愛しい方々、質問お寄せ下さった読者の方々、撮影して下さった方々、全員に感謝。翌日午前も執筆好調。しかし、この午後から怒濤の“人と会います”モードに入る。打ち合わせあり、インタビューあり、友人たちとの会食あり、ライブあり、で八日の日曜日まで過ごして、脳味噌の“浄き次元”は『聖兄妹』に保ちつづけるも、なにしろ「文藝」も『ハル、ハル、ハル』も発売日を迎えるからして猛烈たる何かの勢いである。そして、九日の月曜日からの一週間。まる二日を要した書店回りあり、打ち合わせあり、インタビューあり、プライベート会食ありと、桁数の変わった“人と会います”現象が展開。にしても、いろいろな書店にご挨拶に行かせてもらって、そこでの「溢れる愛」には感動した。なんだろう……本当に、どうしてこんなに受け入れてもらえるんだろう。気がつけば誕生日を迎えていて、その日、ちょうど河出書房との『ハル、ハル、ハル』打ち上げも重なってお誕生会を開いていただけた。泣ける。そして、しっかりと『聖兄妹』執筆も復活。が、誕生日から二日経ったところで、おれは異様に感傷的になる。そういえば、こんなことは三十一歳の誕生日の後にもあった。前年の「三十歳の大台に乗る」際には、けっこう構えているから平気なのだが、三十一歳でガクッと来た。おれは今回、四十一歳になったのだが、同じようにガクッと……来たのか? 過ぎ去ってしまう時間のすべてに涙が出そうになっている。まさにセンチメンタル過剰。にもかかわらず、執筆に喰らいつき……つづけた。書かれている目下の場面では、登場人物たちが異界で彷徨を続けている。そうか、だからか、おれもか? 眠りが浅いが、書いて、書いて、まだ書いている。おれはこんなふうにして、永遠なるものを捜しているんだ。呻いて、足掻いて。でも『ハル、ハル、ハル』が愛されているのは、わかる。thanks. そして/だから、引き続きおれは——サーチング・フォー・鳥居。

七月後半

二週間と二日から成る今月の後半、なんだかあまりに用件が多すぎて記憶がない。だんだんと三日前のことを思い出すのも容易ではない状況と化しつつある。過労というよりも、単純に高密度というか。精神はとりあえず健全です。とエクスキューズしたところで、記憶を遡りつつ、現在に下る。十六日、『聖兄妹』最終回の最重要ポイントを突破。「いけた!」と思い、遅ればせながらの自宅お誕生会を催す。いただき物のカリフォルニア・ワインに酔う。十八日、『ハル、ハル、ハル』のための書店回り、パート3。物事が本当に動いているのだな、と随所で実感。ありがたいです……前回も記しましたが、心の底から。十九日、翻訳家の岸本佐知子さんと対談。なんかもう、口もとの微笑の数センチさきの空気の揺れとかまでが魅力的な方で、物凄く楽しい時間を過ごさせていただけた。対談中、しばしば照れてしまう自分であった。そんな自分に驚愕する自分であった。二十一日、いよいよ脱稿間近となった『聖兄妹』が、いきなり文体のコントロールが利かない状態となり、死闘。二十二日、午後二時四十分までコンピュータに齧りつく。三時四十五分から新聞のインタビュー。五時からテレビのインタビュー。そして六時半から朗読会&サイン会@紀伊國屋書店。あろうことか、この朗読は紀伊國屋ホールの内部で行なわせてもらうことに(ほんの四日前にそう決まった)。その“ありがたさ”に感謝し、かつ、『ハル、ハル、ハル』をマーケットに滲透させるために奮闘して下さっている版元に感謝し、かつてない「ベリー河出、ベリー紀伊國屋」な演目を披露する。うぅ……燃えた。来て下さった読者の方々も、なんかジンとしてる(気がした)。二十三日、前日の感動の余韻が持続して、気がつけば睡眠不足で起床。やばい……。が、奮闘。午後六時過ぎについに脱稿。短期集中連載の『聖兄妹』は恐るべき地点に着地した。このレベルに到達してしまうと、もう何が何だかわからない。『聖家族』シリーズがいよいよ最終段階突入にゴーサインを出したのを感じる。ちなみに脱稿から三十分後に、この日が締め切りだった新潮社のクレストブックス用小冊子のコメントを執筆して、入稿。こういう瞬間の脳の切り替えの速度に関しては、自分でも「なぜ可能なのか」がわからない。二十四日、『ハル、ハル、ハル』インタビュー。二十五日、今度は『聖家族』のための仮称「新・記録シリーズ」に入る。新型脳が準備される。二十六日、朝日新聞アンケートに回答し、『ハル、ハル、ハル』のインタビューを受け、『gift』文庫化のための打ち合わせにむかい、『ハル、ハル、ハル』刊行記念特設サイト用のコメントを執筆する。二十七日、二つの打ち合わせを連続してこなして、夜は朗読ギグ準備。二十八日、順調に脳が爆発し、『ストーリードロップス』を想いながらの街歩きも敢行。二十九日、ギグを翌日に控えて、凄いテンション昂まる。三十日、『ストーリードロップス』第五回を執筆、入稿。六本木で打ち合わせ。それからギグ会場である Super-Deluxe に入り、リハーサル。続いて某テレビ番組のための打ち合わせ。空いた時間で次作の取材も兼ねた散歩をちゃらっと一時間。そしていよいよギグ本番。前夜からの嵐は止んだが、おれの心の嵐は止んでいない。全演目、自作を読むという珍しい試みで、エモーション炸裂。一人称の作品がほとんどだったので、読むたびに人格が変わり、明らかに何かに憑依される。最後には発声だけで肋骨が折れそうになる。なんか……人間じゃない声が出た。それから打ち上げ。十二時を回っても呑むという珍しい試みで、感謝感激エモーション炸裂。で、就寝前から三十一日。起床しても三十一日で、七月の最終日。ふと思い立って、目黒から海まで歩いてみる。これは『LOVE』を書き出す前に、初めて“取材”と意識して踏破したルートだった。しっかりと夏の午後、あまり水分を補給せずに、ただ背筋だけをのばして進む。品川埠頭で、ガントリークレーンが駆動していた。野積みのコンテナを眺めた。コンテナは大きい。おれは小さい。どこかに迷い込んでしまったように、小さい。尺度が変わる。そうだ、変えろ、とおれは言う。おれもスケールを変えろ、とおれはおれに言う。紫外線が目を射る。

八月前半

おれはスケールを変えつづけている。夏だ。本当の夏が招来された。誰もがおれに「まるで『サウンドトラック』の東京だね」と言う。だからおれは「ああ、そうですね」と言う。八月のはじまりの日から仮称「新・記録シリーズ」(以下、新・記録と略す)に脳が沈む。そのまま『聖家族』全体にダイブして、この作品のあまりにデカすぎる構想に驚愕する。大丈夫なのか、おれ。しかし、やるしかないだろう。で、通常ならばここから“過労”に突っ走るのだが、そこはそれ、リセットされて真の脳内革命を果たした new なおれ。三日にはまるごと一日、関東某所で休日などを取る。プライベートについては触れない日記なので伏せますが、海辺に近いところでロック三昧しただけです。発散……。それから単行本版の『ゴッドスター』のゲラに着手。五日、黒田育世さん振付けのステージを立て続けに観て、驚愕。なかでも「モニカモニカ」には『MUSIC』の手ざわりが……まだプロローグ部分しか書かれていない自分の小説の完成形の感触があって(むしろ、それだけに満たされていて)、涙があふれそうになる。うう、育世 LOVE。六日は某テレビ番組のロケ。『ハル、ハル、ハル』の取材なのだけれども、結局、『LOVE』執筆時の散策ルートを辿り、品川のサンクチュアリに沈んだ。いい取材だった。が、喜びもつかの間、七日はなんと一日かかって三行しか書けないという地獄。死ぬ……あの“過労”モードが再臨しそうだ。午後には連続して打ち合わせを二つこなし、やはり脳が疲弊。糞、糞、糞、おれは堕ちないぞ! そういうわけで、意志力のみで夜には復活。翌日には午前中の一時間半だけで五枚書けた。そのままモードを維持して、九日、新・記録の連載第一回分の原稿を脱稿。予定より二日も早い! そして毎日、暑い! 夏だ。おれは散歩を続けている。十一日、ジュンク堂@池袋にて、「古川日出男メッタ斬り」なるイベント。本番三十分前に控室に入って、豊崎由美さんとお会いする。これが初対面である。やや遅れて大森望さんとも合流。トークの中でも話したけれども、デビュー三作めの『アビシニアン』を上梓した時、おれが目にすることのできた書評はわずかに三つで、そのうちの二つを書かれたのが(それも的確に、おれに勇気を下さるように)このお二方だった。正直、お二人には感謝しかない。そういうわけで素の状態のおれである。が、全然おれはメッタ斬られず、結局は愛を頂戴するだけであった。うう……ありがとうございます。『聖家族』の話題も出て、意外に重要なポイントを明かしたりもした。その後、新・記録の第二回を起筆。ふと気づいたら、日灼けした腕の皮が剥けはじめた。脱皮! 十四日、「BOAO」の編集者とともに銀座クルーズ。生まれて初めてネイル・サロンに入り、実際に体験する。うふふ、綺麗な爪。おれはじっと手を見る。その後に読者層を代表するOLさんたちとの会食、第二回。メンバーはほぼ入れ替え。“自分”というものをしっかり確立されているガールズに感心する。京都の日本酒に意外と酔ってしまう。十五日、新・記録の執筆を続けながら、午後にはイーサン・ローズ(Ethan Rose)の新しい音源のためのコメントを執筆。それから夜、脳の“吉増剛造”化を図る。おれの精神は、この週末の、青山ブックセンター 2 days に向かいつつあり、日曜日・十九日に控えているのが吉増さんとのイベントである。緊張が高まる。スケールはまだまだ、変容する。バージョンを上げずに、いま現在のおれはただ、空間の拡張を。本当の夏にふさわしい、それを。ミッドサマーに我想う。

八月後半

そして夏の終わりが訪れる。あれだけ「終わらない夏」を感じさせていたのに、やはり季節は変わる。おれはこの期間に重大発表もしたし、衝撃的なイベントもこなしたし、かなり脱稿もした。それにしても人生に“脱稿する”なんてサ変動詞があるのは、不思議だ。おれは摩訶不思議な生のルートを歩んでいる、と痛感する。重要なポイントに絞ってこの葉月の後半を記述したい。青山ブックセンター(以下ABCと略す)での 2 days に意識をむけるおれは、十六日の夜、まずは六本木スペシャル用に『MUSIC』冒頭部を自宅で朗読。いわゆる“宅リハ”を敢行し、ついつい泣いてしまう。本番の十八日、午前中に新・記録の連載第二回を脱稿。それから昼間は三時間にならんかとする無謀な散歩にいそしみ、夜、ABC六本木店で「古川日出男ナイトVOL.4」を開く。例の重大発表というのは、ここで行なった。おれは、来年に刊行する作品は『聖家族』一作だけに絞った。他にもさまざまな作品を準備していたが、秋に『聖家族』を上梓する以外、出さない。これは、本当に思い切った決断だ。各方面に迷惑をかけるし、おれ自身の心だって傷ついている。いちばん気にかけたのは『MUSIC』だ。来年初夏に出す予定だったが、再来年に延期した。しかし、すでに書きはじめて物語の世界が“誕生”している『MUSIC』を、このまま世に秘めつづけるのはつらい……当然だけど。で、この日は“『MUSIC』ナイト”に変えて、延々二十五分間おれは作品の冒頭を読んだ。声に出して、この世に生んでみた。立ち会ってくれた全員に感謝する。なんだか家庭的な雰囲気で、いい場だった。しかし、しんみりとばかりはしていられない。翌十九日、目覚めると朝から凄いテンション。そして夜、ABC青山本店にて「古川日出男×吉増剛造『アオヤマで声を狩る』」が、ついに本番。ああ、心の師匠・吉増さんとの対バンである。しかも、ABCの店外で——野外で。それはすばらしい空間だった。かつ、ありえないイベントだった。屋外には屋外の力がある。吉増さんには脅威の GOZO 力がある。打ち合わせはしなかったのに、おれは吉増さんの詩だけを朗読作品として準備し、吉増さんもおれの作品だけを準備した。吉増さんが『聖家族』の、馬の声を出した。その声、その衝撃。おれの心拍数があがる。朗読しながら、凄絶な発汗量を感じ取る。呼吸ができないほどだ。ほとんどおれはステージ上で——声を発しきり了えて——失神している。自分の前に膜があって、それが透明な膜だから存在に気づけないでいて、しかしこの日、この瞬間、その膜を突破したのがわかった。それから、圧倒的にすばらしい打ち上げ。ビール三杯だけの。おれの夏はここで終わった。夏、ジ・エンド。それからは、書いた。二十四日、新・記録の連載第三回を脱稿。二十六日、ひさびさに『ハル、ハル、ハル』刊行記念特設サイト用にメッセージをしたためる。二十七日、起床直後から身内に新しい力が漲っているのを感じる。なんだろう、……懐かしいな。あれだ、これは“攻め”の姿勢だ。その日の午後、「古川日出男×向井秀徳」に関しての新聞社のインタビュー。こちらがとてもエネルギーを注入してもらえる、いいインタビューだった。そして、自ずと脳の“向井秀徳”化が図られた。ムカイ脳、起動! これが、秋か。そのはじまりか。二十九日、ほとんど飯も食わずに一日中執筆を続けて、新・記録の連載第四回を脱稿。三十日、ここでは明かせない極秘プロジェクト(ごめんね)のための第一歩となるファイルを作成し、入稿。三十一日、『ストーリードロップス』第六回を脱稿して、入稿。そして夜から、旅立ちの準備。博多百年蔵における「古川日出男×向井秀徳」のセットリストの準備。さあ、九州上陸だ。季節はここに、瞭然と変わる。