再録!「絶賛過労中」

10年前には何を考えどんな日々を送っていたのか? 古川日出男の「むかし」を振り返るべく、2007年〜2008年の2年間にわたって集英社の特設サイトで連載していた半月に一度の《日記のようなもの》を全文再録しました。

2007年

2008年

2007年

一月前半

元旦から執筆。新作にとりかかるので、前夜から緊張がつづき、生まれて初めて“楽しくない大晦日”をすごした。二〇〇六年はきつかった……と回顧。順調な執筆は三日めで頓挫、地獄に落ちる。二作品あわせて七百枚ちかいゲラのチェックに入る。五日に執筆に復帰。六日にふたたび地獄落ち。しかし決死の遁走。おれは地獄からエスケープした! 成人の日、月末あたりに『Weeklyぴあ』に掲載される MO’SOME TONEBENDER の野音ライブの告知文を執筆。おれは気合いを入れ直した! しかし九日から各社の編集が出社しはじめると(正月休みって長すぎだよ)、連絡事項の嵐。それから打ち合わせの嵐。しかし、まあ、プライベートでいいこともある。とはいえ、この日記は仕事に関してのみの記述で進めるので、何がいいことだったのかは秘密。新作の原稿に怒濤の朱入れ。さらっと資料を読む。床屋さんに行ってデビルズヘアカット。新しい目薬を買う。これは仕事には必需品。十五日、けっ! そこそこ新作も枚数書いたじゃねえか。というわけでミーティングしながら酒を呑む。

一月後半

わずかな執筆時間と膨大な打ち合わせ時間の連続。が、極秘プロジェクト各種が起動をはじめて喜びも多し。十八日、某女性誌で初夏から連載を予定しているエッセイのために表参道クルーズ。すっかり満たされる。十九日の朝より“プチ引きこもり”に突入し、二十五日の午後三時三十分まで小説の執筆以外のことは考慮に値せず、と覚悟。とはいえ『PLAYBOY』誌の書評連載のための読書と原稿書きはしっかりこなす。思いがけずに自宅に顕現なされた『「見えない大学」附属図書館』再校ゲラに翻弄されるも、一時間で処理完了。で、問題の二十五日、午後三時半に新作をがっちり折り返し地点に到達させる。その一時間後には「出版業界の問題点について」なる某誌の取材を受ける。こういうインタビューにおれが答えていいのか? 知らんぞ。さらに午後六時からは『LOVE』の映像化を進めてくださっているナイスガイな方々と会食。おそろしいことに、前日から若干の痛みを発していた喉の症状が悪化し、ほとんど声嗄れの状態での会食開始。が、美味イタリアンを食してワインを飲み進むうちに声量戻る。二十六日、新宿 motion での朗読ギグ。起床してみれば喉の痛みはばっちり再発、おまけに午後三時からは悪寒がはじまり、「やべえ……」と思いながら会場入り。こりゃ完全に風邪だよ。しかし対バンのみなさんもいい感じだし、メイン・アクトに起用していただいたので本気でステージに立つ。死んだっていいさ。結果、盛況。終わったあとのオーディエンスのお顔がどれもこれも晴れやかで、うれしい。「おれはあんたたちが好きだ!」と世界の隅っこで吠える。スタッフ陣にも超感謝。さらに二十八日、青山 cafe246 にて柴田元幸さんとリーディング&トークショー。この日の午後三時にやっとこさ風邪が消える。が、ちょっとしたトラブルで柴田さんが来場されるのが三十分ほど遅れそうと判明し、急遽、朗読の分量とかを倍増させて対処しようと判断。控室から編集者を追いだし練習する。こういうときっておれ、全然焦らないんだよなあ。思ったよりも柴田さんは遅れられず、つまるところライブ感あふれる魅惑のイベントと化した(はずです)。事前の打ち合わせなしに柴田さんが『僕たちは歩かない』を朗読してくださったのがマジうれしかった自分であった。二十九日は今年初めてのオフをとる。うう、二十四時間って短い。三十日、新作の脱稿をめざして半月超の“引きこもり”に突入。来月十四日までおれは現世に戻らん。ああ、無事に脱稿できるのかしら神様?

二月前半

静かな環境に没入したおかげで、快調な執筆。おお、なかなか筆が進むではないか。やっぱり作家は“引きこもり”ですよ! その絶好調オーラがさいわいしてか、二日夜、次回朗読ギグがゴールデンウィーク真っ只中の五月三日に渋谷 O-nest と確定。おまけに対バンは向井秀徳(ZAZEN BOYS)。あろうことかおれと向井さんの二組っていうか二人だけの出演である。これは事件ですよ! やばいっすよ! ロックと文学の最前線の衝突になるのではないか……。ていうか、そうするためにはおれ、文学の最前線にいないと! 当たり前の自覚から再度執筆に没入。一時、来月発売の単行本『サマーバケーションEP』のために魂のチャンネルを奪われるも、新作がチャンネルを強奪し返す。六日、本サイトのオープン。と同時に二〇〇六年渾身の中編っていうかほぼ長編『「見えない大学」附属図書館』が一挙掲載された「すばる」誌も発売になり、同日の午後には早くも反響も聞こえてきて、思わずデビルズスマイル。七日、いよいよ執筆の最終ステージに突入。ジム断ちもはじめる。ジム断ちとは何か? ようするに酒断ちみたいなもので、運動すらも禁止して一日二十四時間をひたすら小説に捧げる行為。おれ、体動かさないのはいやなんすけど……。そこからは“ハード”という形容詞以外授けられない日々。しかしながら原稿は進む。かつ、過去最高っていうか最悪に執念深い推敲の連続。どうだ? これで順調か? 締切りは確実にチクタク迫る。十二日朝、目覚めると同時に前夜の“睡眠”の失敗を確信。眠りが異様に浅かった……これって運動不足も影響しているのか? くそ、心身のコントロールは難しすぎる。おれの経験値も低すぎだ。物語に入り込もうにも現実とおれと物語のあいだに膜が二つも存在して。チャンネルは閉ざされた。呆然。昼前から血の池地獄。しかたがないので精神を極限まで追いつめる。筆を手にとって白紙にスローガンを書き(どんな標語かは秘密)、トイレの壁に貼る。十三日、極度の緊張とともに目覚める。没頭。夜、脱稿。一日早かったじゃねえか! 担当編集者と高速のやりとり。つうか光速。文学はレスポンス命だ! 十四日にはチョコをむさぼり、ついに“引きこもり”解除し、入稿ミーティング等を残らず完了。四十通ちかいメールを出す。十五日、朝は『サマーバケーションEP』(今後は略して『サマバケ』)絡みのエッセイを書いて入稿、午後はそのエッセイ絡みの写真撮影および『サマバケ』打ち合わせ。夜、5・3渋谷にて勃発する(はずの)朗読ギグの中核スタッフ+影のスタッフと会食。おれはこんなところで疾走はやめねえんだよと誓う。たらーん。

二月後半

三日続けて新作短編のために都内ショート・トリップ。合間に打ち合わせと資料リサーチ。十八日からは短編を書きはじめる。いい感じで進んでいる……と思ったのだが、翌日朝イチに読み直したら、文体にブレあり。十三日まで書いていた作品のスタイルがあまりに強烈で、その“声”をひきずっているらしいと判明。これは……全面書き直しだッ! 決断は速かったが、作業は遅々として進まず。マジ牛歩。昼過ぎ、完全に精神状態がおかしくなる。自分が珍しいほどのパニックに陥っていると自覚し、いったん外の空気を吸いに出る。対策はあるのか? ない。ある。ない。ある。ある。自問自答の末、本日入っていた予定を二つキャンセル。帰宅。一時間後には光速で短編脱稿。結局、締切りの一日前に完成したじゃねえか! かつ、入稿したら三十分もかからずに担当編集者からレスポンスが来て、三時間ちょっと後には組みあがったゲラのファイルまで届く。エクセレント。この速度が愛だ! ラブラブラブ! が、このあと三十時間以内には戻さなければならない厚めのゲラと『Esquire』誌用の書評原稿の締切り(勝手におれが前倒ししたやつ)というのがあるので、ふたたび怒濤。二十日、まずはゲラ完了。続いて書評脱稿。すかさず入稿。それから打ち合わせ。おまけに本日は「青春と読書」連載の『聖兄弟』最終回が載った号の発売日で……ああ、誌面を見たらけっこう泣けてきた。これって感涙? 夜八時を過ぎてから地元駅前の書店にゆき、沖縄の旅行ガイドを購入。薄いの一冊だけ。それから旅支度の開始。ンで、即寝即起き。翌朝七時二十分、羽田空港ターミナル内にて角川書店の編集者+『僕たちは歩かない』の装画・挿画を担当してくださった星野勝之さんと合流を果たす。気がつけば旅がはじまっていて那覇着。翌二十二日夜、宜野湾の cafe unizon にて「文学カフェ」なる催しがはじまる。第一部では沖縄在住の作家・恒川光太郎さんがトークをされる。第二部、星野さんとおれの対談。二人とも初めての沖縄って印象譚から入り、『歩かない』製作秘話に移る。相方・星野さんのクールネスも功を奏し、盛りあがった(気がしております)。第三部はおれの朗読。作品は『歩かない』と『LOVE』の二タイトルのみで、MC入れて四十分間。最前列あたりの“皮膚がまるごと耳”のような姿勢で聞き入るオーディエンスの方々に感銘を受け、異様なエモーションが噴出した。貴重な体験だったなぁ。ンで、二十二日朝にはプロペラ機で南大東島に飛ぶ。連れは三社・三人の編集者でした。合計四人で探検部を組織して、ああ、なんだか超EPなバケーションだ! 恍惚! しかし個人的な旅の“キモ”は翌朝にあった。早朝から島内をひとりで二時間ほど歩いて、凄絶な昂揚感に襲われる。「おれはあと何万枚でも、何十万枚でも書けそうだ」と悟る。だから長生きしたい。まだ殺さないでください神様。二十五日夜に帰京。『PLAYBOY』誌の書評用の読書と原稿執筆、5・3ギグ物販用のステッカーの作成、マル秘会食、等々をガシガシこなす。次の大きなヤマまでは残り十日しかない。焦る。ここからは新作中編に没入。死ぬもんか!

三月前半

取材のために南房総へ。充実した時間を過ごす。ここから二日間ほど、合計して四つの作品のアイディアが同時多発的に爆発。いったいおれの脳味噌どうなっちゃってるんだ状態になる。だが、いざ新作中編にとりかかると、地獄のはじまり。ネタが浮かぶことと小説が“書ける”ことはまったく違う、という当たり前の認識に蒼白となる。凄絶な恐怖。正直、白髪がどんどん増えるのがわかる。ひたすら新しい文体に嬲られ、それでも喰らい付きつづける……しゃにむに、死に物狂いで。良いことだって起きている。五日、5・3渋谷ギグのフライヤーが届き、その“カワかっこよさ”に感激する。六日、『ゴッドスター』が掲載された「新潮」四月号の見本が届き、その表紙と誌面の迫力に陶然とする。さらにはオフィシャルな発売日の前だというのに、同日夜からレスポンス多々あり。中にはこの作品に「一つも読点が使用されていない」事実に気づいた人もいて、おおっと唸る。続いて七日、『サマバケ』単行本の見本が届き、太公良さんの装画と本そのものの佇まいの余りの素晴らしさに、言葉をうしなう。しかし、この同じ七日の朝から、プライベートで悲しみに満ちた出来事が発生し、ほとんど半分泣きながら原稿執筆を進める。その出来事は二日ほどで解決したが、心労から解放されたためか体調が予告なしに悪化。凄まじい風邪に襲われる。薬を飲んでしまったら脳の働きが鈍るので、ひたすら耐えながら執筆。夜中に眠れないほどの全身の痛みに苛まれ、しかし己れに絶望を許さない。許すもんか! 十日、新作中編の締め切り日。午後一時に脱稿する。直後に初めて薬を服用。この日に入っていたプライベートの予定はキャンセル。夕方に編集者と打ち合わせて入稿作業を済ませて、信じられないことだがさらに自分の小説が進化を果たしたことを実感しながら、ついにダウン。寝込む。しかし、翌日は日曜日にもかかわらずインタビューあり。集中力皆無の状態で受ける。また、この日の夜、朗読ギグがらみの大きなイベントが決定。まだ詳細は明らかにはできないが(若干待たれよ)、関西の皆さん、お待たせしました。十二日、やっと熱が引いて夜には打ち合わせ。異質な場とグルーヴと人材が衝突するプロジェクトが始動しそうな予感。昂揚。十三日、咳が出はじめ、これが風邪の最終プロセスかと判断。大事を取って完全オフ日にする。翌日の午後からは『サマバケ』インタビューと某誌別冊用“乙女に喝を入れる”エッセイの打ち合わせと『ゴッドスター』打ち上げを連続してこなす。酒を呑みながら編集者に「おれは七つまでなら脳を同時に持てると思っていたけれど、十個は脳がないと無理な状態になってきた」と語ったら、「人間が持てる脳は七個が限界らしいですよ」と返されて驚愕。十五日、『サマバケ』発売を記念して、物語内に登場した(というか登場させた)スパにいって、念入りに全身のマッサージを受ける。夜、さまざまに分裂した感情のいちばん底のほうで、おれに脳味噌をあと三つください神様、と声に出さずに祈る。もちろん神は答えない。オーケー、明日も書こう。

三月後半

原宿・青山から今月後半はスタート。まずは十七日の太公良さんイベント@ラフォーレ原宿のために、会場下見と打ち合わせ。それから女性誌『BOAO』新連載エッセイのために、編集陣との打ち合わせ+読者層を代表するOLさんたちとの会食。ガールズ・トークの渦に巻き込まれて、人生の経験値をあげる。ガールズたちに多謝。翌日、ラフォーレにて高校時代の後輩かつ書店員さんと奇跡の再会を果たしつつ、太公良さんとダブル・ネームのサイン本を作成して、KIRAKIRAJAPAN PROJECT SHOP 店内でイベント開始。おれの朗読をバックに、太公良さんがライブ・ペインティングを披露する。会場の関係でマイクやスピーカーが使えないので、完全に生声ギグ。腹から声が出る。ついでに口笛もまじえて、全身にて表現。見ていた人によると「おれと太公良さんのあいだで火花が散っていた」らしい。その後、二人で対談して、『サマバケ』デザイナーの佐藤有さんらも招いて打ち上げ。そこからはゲラと書評用の読書と原稿執筆の日々。『週刊現代』の書評と『PLAYBOY』の書評をそれぞれ締め切りの一日前に入稿する。十九日、『記録シリーズ・鳥居』が掲載されたフリーペーパー「WB」誌の見本着。表紙を見てバカ笑い。いいっすね〜。この短編によって、ついに『聖家族』シリーズも怒濤の新キャラ章に突入した。燃える。燃えながら打ち合わせ。二十日は雑誌『Tokion』掲載用の向井秀徳×古川日出男対談。向井さんのスタジオにお邪魔して、ミーティング→写真撮影→対談とこなす。全部の作業が高レベル・高密度で進行。翌日(二十一日)から情報解禁となる我らの京都ライブについても、詳細の詰めを完了。その後、新作短編のために都内某所を散歩。ひさびさに“散歩”の醍醐味を味わう。快感。そこからは朝日新聞のアンケートに回答したりしつつ、短編脳の日々。いっきに没入するも、プライベートの心痛ふたたび。が、どうにか耐える。しかしながら二十二日、数年ぶりに「一行も書けない」というパニック。原因ははっきりしているが、呼吸の浅さと動悸がやばいレベルに。まずは状況を整理せねば、と来週の締め切りを二つ調整して、さらに来月の締め切りも調整する。寝る。起きる。ガリガリ書く。気がつけばその日は「古川日出男ナイトvol.3」@青山ブックセンター六本木店であり、夜には会場入り。静かめの朗読でややサプライズな演目なども披露するが、オーディエンスのまなざしは温か。MO’SOME TONEBENDER の新作アルバムを巡ってのあれやこれやも盛りあがる。週が明け、五月から起動する極秘プロジェクトと、同じく五月から起動する『聖家族』新プロジェクトの打ち合わせを連続してこなし、さらに短編執筆にも没頭。二十八日、さまざまなトラブルで死ぬかと思った短編が、奇跡の脱稿。こ、これは……早く世間に読ませたい。しかし誌面になるのは六月だよ。なんなんだこの速度は。『サマバケ』のインタビューをこなし、BATIK の『ペンダントイヴ』のステージに戦慄し(いや、もう、おれも“パンドラの箱”を開けないとだめだな、と痛感させられた。育世さんマジ凄すぎ)、悪戦苦闘しながら『BOAO』第一回原稿をアップ。丁寧な仕事をこなしましたね自分。三十一日、事情があって静かな一日を過ごす。……はずだったが、途中で猛烈にいらだちを覚える出来事も。はいはい、そんなに古川日出男は目ざわりですか。しまいにおれはニヤッとしてしまう。夜、最高に美味しいものを食べて、眠る。

四月前半

一日の午前中に某誌別冊用“乙女に喝を入れる”エッセイに着手。お昼までに脱稿し、ちゃんと喝を入れてみる。そこからは新作脳に移行。肉体と精神が順調に新たなディメンションに向かって、歩み出す。三日、イベント用の「サマバケ部」会員証のサンプルが届き、愛らしいじゃねえかと満悦の体に。この会員証にはおれの直筆“桜ちゃん”イラストが扉に配されていて、その無意味さがグー。同じ日の夜、河出書房新社の担当と七月初旬刊行の単行本の打ち合わせ。また、『文藝』秋季号がおれの特集を組んでくださることになったので(ありがたいことです)、そのまま編集部の他の方々も加わってのミーティング会食に移る。テーブルに全員がノートを広げ、つぎつぎお皿が供される様は、圧巻である。思わず酔う。四日、新作長編のために都内ロケハン。ただちに舞台となる地が定まって、その日のうちに週末のホテルを予約。それから五日、ジュンク堂@池袋の『サマバケ』刊行記念イベントに向かう……前に、高田馬場で翻訳家の鴻巣友季子さん及び文春の担当各位と落ち合い、さらに「サマバケ部」の部員の面々と合流。高田馬場から江戸川橋まで、物語のなかで登場人物たちが歩いた神田川沿いのルートを実際に読者二十名超とともに歩いてしまうという無謀な部活、それが「サマバケ部」である。こんな企画、楽しいのかね……と懸念を抱いていたのだが、異様に楽しかった。集合場所には書評家・翻訳家の大森望さんがなぜかサプライズで立っておられて、物語そのまんまに唐突に参加し、さらに途中で離脱もされて、盛りあがる。その後、ジュンク堂の控室でガシガシとサイン本を作成し、他社の編集と他社の本の取材旅行その他の打ち合わせを五分で済ませて、いよいよ鴻巣さんとのトーク・ライブのゴングが鳴る。異様に白熱する。おかしな譬えだが、おれと鴻巣さんとでプロのテニス・プレイヤー同士と化したかのように、言葉と言葉で痛快に汗を流した。七日、ウィークエンドの都心の某所にて、ホテルに宿泊して籠城取材。いい感じで雨に降られて、目深にフードをかぶりストリートを闊歩。しかし、頑張りすぎて疲労がピーク。八日、昼前に帰宅し、脳をリセット。それから日比谷野外音楽堂に向かう。本日は MO’SOME TONEBENDER のツアー・ファイナルである。そしてステージの、あまりの素晴らしさに数年ぶりに客席で暴れる。半泣きする。九日、目覚めると同時にあらゆる邪念をふり払い、新作の執筆にダイブ。十六日に大きな締め切りがあるので、ここから八日間は“プチ引きこもり”だ。初日は順調。が、二日めに早くも崩壊。スケジュールに余裕がなさ過ぎる。雑事が多すぎる。それでも……どうにか復活。四日めに波が来て、プライベートの予定をキャンセルし(おれって不義理ばっかりだ)、その波に乗ってみる。いけるか? 甘かった。調子こいた瞬間に、何かが暴発。絶望。悲鳴。おれに時間をくれ。おれにもっともっと時間をくれ。もう原稿料なんて要らない、代わりに原稿一枚につき、一時間、おれに払ってくれ。この発言はマジだって。おれはマジそう思ってるんだよ。だから小説の執筆に、おれ、ひたすら没頭したいだけなんだよ。しかし八つ当たりする相手すら、周囲にはいない。結局は自分を憎悪し、それでもコンピュータの前から逃げ出さない。仕事場で犬のように吠えた。近所の人、ごめん。この日記は「四月前半」の記述だから、十五日に自分にブースターかけたとしか言えない。十六日の脱稿がどうなったかは、記せない。以上、喝はおれ自身に入れろ!

四月後半

脱稿した。信じられない。併せて入稿しなければならない短い原稿(マニフェスト的なもの)を光の速度で書いて、二時間だけ呆然とする。じつは、今回の脱稿ぶんというのは「挿画用に全体の五分の二を渡す」との約束のもとに仕上げた原稿でしかなく、月末までに残り五分の三がある。考えると死んでしまいそうなので、寝る。起きる。十七日、来年後半に起動するプロジェクトの打ち合わせと、『聖家族』取材旅行のための“チーム集英社”との打ち合わせ。朝日新聞アンケートに回答。十八日、壊れた脳の修復に勤しみながら、今後半年間の予定のメンテナンス。二つの作品のための現地取材。うち一つは『MUSIC』である。青山をフィールドワーク後、担当者と打ち合わせ。ゴールデンウィークの朗読ギグの会場で物販する『LOVE』Tシャツのサンプルを見せてもらう。す、素晴らしい……。フロントは『LOVE』で、バックプリントが『MUSIC』である。ところで『MUSIC』とは何か? 某キャッター小説の系譜に連なる“都市の祝祭劇”とだけ記しておこう。十九日から執筆再開。と同時に、書評用の読書が山積みで、心底疲弊する。二十日、ギグ会場で配布され、かつ、『LOVE』Tシャツには特別版が同梱される予定の掌編「from LOVE to MUSIC」入稿。二十二日、ロッキング・オン・ジャパン誌のインタビュー。地元の焼とん屋に呼び出してしまったのだが、ひさびさに一服の清涼剤となる取材であった。二十三日から二十四日は凄まじい。書評用の読書を一日のスケジュールのニッチ・マーケットみたいな空き時間にどうにかガリガリ敢行して、『PLAYBOY』&『Esquire』両誌の締め切りを突破。六月に発売される『hon-nin』用に仕上げた短編の、グラビア撮影に同席。この短編はおれ的にリーサル・ウエポンなのだが、題名がすでに破壊力120%なので、いまは伏せる。情報解禁までしばし待たれよ。で、その作品内のキャラを、な、な、なんとコンテンポラリー・ダンサーの康本雅子さんが演じてくださることになって、おれが立ち会った撮影とはそれ。なにげに一服の興奮剤。さらにその夜、二カ月もの雌伏の時を経て、「南大東島探検部」の打ち上げが神楽坂の某所で開催される。その他にゲラのチェックと対談原稿のチェックもあり、完全におれの脳は分裂。しかし、二十五日からは自分の生活(あるいは勢力圏)から他者を排除。ひたすら月末まで書きつづける。この期間に起こった執筆以外のスペシャルなことは、あれだな。七月五日に刊行される単行本『ハル、ハル、ハル』がらみの特設サイトができて、そのテスト版のチェックをしたことだな。このサイトでは読者から古川日出男、っておれだけど、への質問を受け付ける。アドレスはhttp://www.kawade.co.jp/haruharuharu/で、その質問が『文藝』おれ特集号に採用された人には、『ハル、ハル、ハル』特製朗読サンプラーCDを差し上げます。ふるってご応募ください。以上、宣伝終了。そして三十日、おれは脱稿した……。すでにおれは限界を超えた。七つしかない脳が八つめの小説を書いている。心臓の一部が炭化しているのがわかる。おれはインドアしすぎた。外に出よう。ギグをしよう。作家は“書いてこそ”だが、古川日出男は“生きてこそ”だろう。だよね? さあ、アウトドアだ。

五月前半

四月の地獄から生還し、そしてアウトドア。五月の最初の一週間はずばり“向井秀徳ウィーク”であった。マツリ・スタジオでのリハーサルをすばらしい次元でこなして、博多焼き鳥に舌鼓を打ち、のどの状態に注意を払いつづけて、まずは三日に渋谷 O-nest で「古川日出男×向井秀徳」本番。あまり体験したことのない緊張感を内側に抱えて、おれはステージに立った。第一部がおれの通常の朗読ギグ、第二部が向井さんのアコエレ、そして第三部がおれと向井さんの共演である。その第三部、これまでのイベントでは得たことのない浮遊感というか、音楽が内側と外側にあって自分の鼓動がそれにシンクロするというか、非常に説明のしづらい爆発的な状態に入った。それも、いっきに入った。のちに向井さんは「それが昇り龍」とおれに解説したが、言い得て妙。発せられる声はおれという肉体(のサイズ)を超えて、活字であると同時に音楽であり、誕生するものは“本”であると同時に形容しがたいナニカになるのが、わかった。終演、大きな反響、凄い余韻。五日は京都 METORO で「古川日出男×向井秀徳 in KYOTO」。渋谷には緊張感だけが産み出す透明で無機的なカタルシスがあり——ただし、こんなフレーズでは言い表わし切れない——、この京都にはおれと向井さんが見事に合体した艶やかで有機的なカタルシスがあった、気がする。おれは。七日、東京に戻って向井さんと再会し、某マツリ寮にて対談。二人で静かに、このギグの日々(おれには初ツアー)に成し遂げられたものがナニなのかを言葉に換える。おれの個人的な実感では、文学に命を吹き込み直した気がするし、もちろん単純に“文学”フェイズだけで済むものではないが……。いずれ我々はふたたびナニカの生成に挑むであろう。大きな余韻。崩壊した声帯。さて、そんな感じで“向井秀徳ウィーク”は幕を下ろしたが、その間にもおれは『ストーリードロップス』第2回の取材と執筆を刊行。新聞のインタビューもあり。さらに『ハル、ハル、ハル』のゲラ作業にも着手。後書きを執筆。八日、『ハル、ハル、ハル』の朗読サンプラーCD用にとスタジオに入ってレコーディング。ここで完全にのどを潰す。そうした代償もありましたので、皆さん特設サイト経由でおれに質問をいただけますか。詳細はこの日記の前回参照。以上、宣伝終了。が、『文藝』特集用の作業はまだまだ続き、半日弱を要するグラビア撮影もあり。それから朗読に関するエッセイ執筆などをこなして、いよいよ東北旅行の準備。五月の二番めとなる一週間は、ずばり“東北ウィーク”である……三泊四日だけれど。『聖家族』のための“チーム集英社”から三人をお供に、宮城県、青森県、秋田県から山形県と回る。仙台のクラブ・シーンを SOUND MARKET CREW(DJ FUMI さん、MC Doo さん、MC mica the bulwark さん)と GAGLE(HUNGER さん)、ガイドの丹野さんが懇切に教えてくれて、本当に嬉しかった。HIP-HOP の人たちって、心に暖かい電球が灯ってる。この取材について書こうと思えば無限に書けるのだが、とりあえず小説の形でいずれ仕上げるとして、「おれは無数の鳥居を抜けた」とだけ記しておこう。帰りの新幹線車内で某誌のインタビュー。東京に戻ってきたら、おれが帯のコメントを書いた Mrs.Tanaka(ミセスタナカ、発売は TownTone)のCDが送られてきていた。すばらしいパッケージ……。おまけにおれの文章はライナーにまで載っている。ありがたいです。十五日、新作執筆の準備に追われるさなかに、『hon-nin』掲載の短編、その名も『叱れフルカワヒデオ叱れ』!!!の再校ゲラが届き、そのデザインの無敵ぶりに思わず嗤う。えーい、リフレッシュは完了した。シャバの空気は美味いぜ。

五月後半

取り戻したのは精神の健康だけだった。肉体は疲労の極みにすでに達していた。結局、おれは倒れた。だが、その前に順番にいこう。十六日から記述しよう。『文藝』特集のために佐々木敦さんとのインタビューがあり、充実した時間を過ごす。おれはおれ自身を冷静に観察できている。が、その日の夜から体調は悪化。翌日、藤谷治さんの新刊二冊のゲラを読み終えて、帯のコメントを執筆。二作とも読後感に“感情”があった。青山ブックセンターの夏のフェスのために小冊子用文章を執筆。それから、発熱。いっきに来た。気管支の問題で通院をはじめた直後だったが……。深夜、まるっきり熱に魘される。全身に激痛。起ち上がれない。だが、床にいるのは二日だけにして、『小説すばる』ではじめる短期集中連載『聖兄妹』の原稿に着手。苦闘。書き直し、倒れ、発熱し、書き直し、書き進め、締め切りを延ばしてもらい、また延ばしてもらい、書き直す。デッドラインは二十五日午後一時。その十四分前に脱稿した。入稿。およそ一時間半後から、『MUSIC』取材旅行に入った。限界のスケジュール。それでも土地との対話。作家としての自分のポテンシャルを試す。二十七日、取材旅行から戻り、それから翌二十八日、こちらも締め切りをガッと延ばした『PLAYBOY』誌の書評。ほぼ四年間続いた連載書評の、これが最終回だった。しかし、この原稿を入稿した四十分後には、『東京人』の取材記事のために出発。これは神田川を手漕ぎボートで遡上するというもので、担当編集者が『サマバケ』B面として企画を立ててくれた。太公良さんも参加して、予想を遥かに上回る冒険が展開。この日帰宅すると、『短篇ベストコレクション 現代の小説2007』(徳間文庫)が届いていた。ここには『LOVE』のスピンオフとなる掌編——マジ短い——『タワー/タワーズ』が載っておりますので、未読の方はどうぞ。発売日は……いつなんだろう? 把握していません、ごめん。それから『ハル、ハル、ハル』の再校ゲラを見て、『ストーリードロップス』の取材をして、三十日、『文藝』特集用に柴田元幸さんから受けるインタビュー。いきなりおれは「もう限界です、体が持ちません、古川日出男ももうダメです」と愚痴をこぼしはじめ、柴田さんを絶句させてしまう。おれはおれ自身を冷静に観察できていない。が、延々二時間、三時間と話すうちに、冷静さが戻る。全部……柴田先生の……おかげです。ありがとうございます。そして三十一日、『ストーリードロップス』連載第三回を執筆、入稿。他にもいろいろあったが(死ぬほどあった)、この程度の記述に収める。クソ、過労死だけはしないって!

六月前半

大丈夫、おれは生きている。とりあえず危険水域からは離れた。先月の柴田さんに続いて、三人の何気ないひと言ずつがおれを救出した。今回も順番にいこう。一日、「東京人」のための紀行文を書き、入稿。書き上がったのは午後早めだったが、その直後から肩の荷が下りたような感覚に襲われる。荷というか、数十人分の憑依霊というか。何だろう……これって。「地獄の四月と五月を通過したのだ、し切ったのだ」という実感。その“地獄通過”のパスポートが配付されたような印象。頬や肩の筋肉があきらかに和らいでいる現実に、最初は脅威を感じて、それから驚喜する。翌日から脳のモードを『MUSIC』に切り替えつつ、翌週のコバルト・ロマン大賞の選考のために応募作を読みはじめる。三日は川口の某スタジオに飛んで、爆笑問題さんのDVD収録用のライブ漫才を観る。ステージにあるのは素晴らしい集中力と凝縮感、圧巻。その後、「文藝」特集のために対談をさせてもらった。四日は「丸善」丸の内本店にて江國香織さんの新刊『がらくた』刊行記念イベントに出演。江國さんと二人でデュエットの朗読もできたし、打ち合わせなしのトークも最高に楽しかった。打ち上げも。で、おれはその二十四時間で、爆笑の太田さんが語った言葉、河出書房の担当が漏らした台詞、江國さんが打ち上げで隣りから掛けてくれた一つの声に、救われ、癒され、いっきに突き動かされる。抱えている仕事を整理しよう。年内にも少々休養しよう。すまないが、おれを過労死に追い込むような仕事は残らずキャンセルしよう。残らず、全部。今後もおれが手を抜いて仕事をすることはないが、リリース点数は減らす。『聖家族』の刊行を遅らせることはないが、他は可能なかぎり調整させてもらう。よし、生きよう。六日、コバルトの選考会を揉めずに突破。七日、「文藝」のために寄せられた読者からの質問に回答。そして『MUSIC』の序章に入る。そこから一週間、ひたすら入りつづける。まぁ……「文藝」の作業がいっぱい机のまわりに山積みにはされているのだが。十三日、脱稿。うれしい。文体も変わった。書かれている“もの”も。この序章にはオリジナルのタイトルがついていて、某媒体に短編として発表される予定なのだが、いまは詳細は話せない。……考えてみれば、すでに書き上げて入稿したのに活字になっていない原稿が、いまのおれには何百枚か、ある。ここにも目に見える形で問題がある。減速だ、減速。十四日、コバルトの選評を書いて入稿。午後は打ち合わせ、『ハル、ハル、ハル』のインタビュー、さらに打ち合わせ。十五日は「文藝」のゲラ、ゲラ、ゲラ。まことにしんどいが、意味のある特集が生まれつつあるのがわかる。そしてこの日記に着手。あと数時間したら、おれは『聖兄妹』の世界に戻る。さあ、おれの脳の数は減った。この何個かの脳だけで、おれは現実っていうのとダンスしようじゃないか。おれの敵はおれ自身じゃないんだぞ、と今日のおれは肝に銘ずる。これは禅問答に非ず、だ!

六月後半

日比谷野外音楽堂、土曜日。招待していただいた ZAZEN BOYS の公演に全身でひたる。お祭りの楽しさのなかに弾丸が飛び交うようなライブだった。おれには何事かの象徴のようにも思えた。向井さんに挨拶して、new ベーシストの吉田さんとかにも言葉を伝えて、気がつけば物凄く幸福感を噴出させながら酔う。で、これは二週間まとめての日記だから書いてしまうが、この日記がアップされる頃には怒濤のイベント・スケジュールが明らかにされているはずである。おれの、この夏の。そして“夏”の締めに用意されているのは、向井さんとの三度めの共演@博多である。ご近所の方がいらっしゃいましたら、どうぞ遊びに来てください。その他もろもろの“夏”のイベントは、方向性は全部異なるので、まあ一つぐらいは楽しんでもらえるものが読者の皆さんの誰にでもあるんじゃないかと思いますので、タイミング合うようでしたらどうぞ。などと宣伝の果てに日記の記述に戻ると、十八日に『ハル、ハル、ハル』のインタビュー。十九日には、以前“乙女に喝を入れる”エッセイとしてここで紹介していた、あの謎の文章を掲載する「別冊コバルト〜特集・乙女の世界〜」の見本が到着。ただの見開きエッセイですので、よろしければ立ち読みでも。とはいえ、乙女じゃない人は難しいよね。すまん。二十日には「文藝」特集に収録される対談・インタビュー・その他、計六本のゲラをすべてチェック。それから朝日新聞のアンケートに回答。それから『聖兄妹』の取材にむかい、あらゆる奇跡に邂逅。それから「ロッキング・オン・ジャパン」誌の見本が届いたので、にやにやっと笑う。二十一日から完全に『聖兄妹』第二回の執筆に没頭……のはずが、雑事多し。いつものことだが、この雑事というのは何とかならんのか。しかし、どうにか没頭しようと足掻き、二十二日、二十三日、と牛歩で進む。二十四日、完全に限界。これでは終わるはずがないと呻いた。仕事場で自分にむかって悪罵を浴びせつづけて、結局のどが嗄れる。おれは何をしてるんだ。それから二十五日の入稿日、延々十一時間書きつづけて、脱稿。気がつけば夕飯すら食っていなかった。終われた、という事実の認識に何時間か要する。二十六日、起床してみたら体調が崩れていることを察するも、とりあえずおれの目は希望を見据えている。十日ほど前に受けたインタビュー原稿を確認し、それから『ハル、ハル、ハル』のインタビューを受ける。コバルトの選評のゲラをチェックする。『ストーリードロップス』のための取材をする。二十七日、リブロ渋谷店のために“乱暴な本”十五冊のリストを作成して、渡す。午後、『ハル、ハル、ハル』インタビュー。ニッチ時間を利用して書評用読書をがりがり進める。夕方から「コバルト」新人賞に関して大岡玲さんと対談@集英社。その後、会食。体調はどんどん悪化していて、ナプキンでこっそり鼻水を拭きながら、中華を食した。二十八日、目覚めると“いかにも風邪”な鼻水に肩を落とすが、めげずに午前中から『ハル、ハル、ハル』インタビュー。その後、脳がフラフラァ〜としてるのを無視して書評用読書、かつ読了。それにしても、おれが風邪かそれに類するものにやられるのは、今年五度めとかではないか? もともと風邪は年に一回、やられるか否かだった。なのに……この免疫力の低下は、何よ? どういうことよ? 悩みながら床に倒れ込む。二十九日、『Esquire』誌の書評を脱稿。この隔月書評連載も、今回で降板させてもらうことにした。すまん……でも古川日出男は一人しかいないの。限界はもう認めたの。昼からは『ハル、ハル、ハル』のインタビューを続けて二本。河出書房新社の刊行記念特設サイト用のコメントも執筆して、担当に渡す。この日、ついに『ハル、ハル、ハル』見本をゲット! いや、もう、すばらしい。ポップで。乱暴で。ちゃっかり夜はハーフボトルのシャンパン。そして三十日。『ストーリードロップス』第四回を執筆、入稿。amazon 用に『ハル、ハル、ハル』の著者コメントを執筆。「コバルト」対談ゲラを戻す。さらに『ハル、ハル、ハル』の書店向け手書きポップを作成。今週の“販促マシーン”ぶりは我ながら凄い。しかし、それだけにはとどまらず。最後には翌日からの『聖兄妹』第三回(に脳味噌移行)用に朱い“鳥居”をこの生身で通過する。さて、これで——おれの二〇〇七年上半期が終わる。なんだかなぁ。なんだよ、これ。危ういところで、この日記のタイトルを「絶賛過労中」から「絶賛過労死寸前中(または絶賛過労死……中)」に変える羽目になりそうだった。でも、そういう意味でもこのサイトの記述は貴重なのかもしれない。まさにドキュメント。ベイビー、泣き笑いだぜ。

七月前半

レッツ下半期。いよいよ穏やかな心持ちの第二次二〇〇七年のはじまり(のはず)である。一日は午前中に『聖兄妹』連載第二回のゲラのチェックを済まし、その後、全部の予定をキャンセルして「まったり」する。ついでにレコードを取り出して、ひさびさに何枚もターンテーブルに載せて、その音の感触と、ヴァイナルの手の感触とを確認し直す。それは結局、『聖兄妹』世界に引き続きダイブするための儀式でもあった。翌日、雨の中をサーチング・フォー・鳥居。徒歩二時間圏の界隈はすでに踏破したかに思えたおれだが、いまだに近場に埋もれた鳥居はあった。感動。心からの合掌。しだいに『聖兄妹』連載第三回にして最終回のための、深い深い水域に入る。四日から起筆。が、この日にはついに「文藝」おれ特集号の見本をゲット。いやぁ、我が事ながらいいっスね。編集部の方々、寄稿して下さった方々、対談・インタビューにご協力の愛しい方々、質問お寄せ下さった読者の方々、撮影して下さった方々、全員に感謝。翌日午前も執筆好調。しかし、この午後から怒濤の“人と会います”モードに入る。打ち合わせあり、インタビューあり、友人たちとの会食あり、ライブあり、で八日の日曜日まで過ごして、脳味噌の“浄き次元”は『聖兄妹』に保ちつづけるも、なにしろ「文藝」も『ハル、ハル、ハル』も発売日を迎えるからして猛烈たる何かの勢いである。そして、九日の月曜日からの一週間。まる二日を要した書店回りあり、打ち合わせあり、インタビューあり、プライベート会食ありと、桁数の変わった“人と会います”現象が展開。にしても、いろいろな書店にご挨拶に行かせてもらって、そこでの「溢れる愛」には感動した。なんだろう……本当に、どうしてこんなに受け入れてもらえるんだろう。気がつけば誕生日を迎えていて、その日、ちょうど河出書房との『ハル、ハル、ハル』打ち上げも重なってお誕生会を開いていただけた。泣ける。そして、しっかりと『聖兄妹』執筆も復活。が、誕生日から二日経ったところで、おれは異様に感傷的になる。そういえば、こんなことは三十一歳の誕生日の後にもあった。前年の「三十歳の大台に乗る」際には、けっこう構えているから平気なのだが、三十一歳でガクッと来た。おれは今回、四十一歳になったのだが、同じようにガクッと……来たのか? 過ぎ去ってしまう時間のすべてに涙が出そうになっている。まさにセンチメンタル過剰。にもかかわらず、執筆に喰らいつき……つづけた。書かれている目下の場面では、登場人物たちが異界で彷徨を続けている。そうか、だからか、おれもか? 眠りが浅いが、書いて、書いて、まだ書いている。おれはこんなふうにして、永遠なるものを捜しているんだ。呻いて、足掻いて。でも『ハル、ハル、ハル』が愛されているのは、わかる。thanks. そして/だから、引き続きおれは——サーチング・フォー・鳥居。

七月後半

二週間と二日から成る今月の後半、なんだかあまりに用件が多すぎて記憶がない。だんだんと三日前のことを思い出すのも容易ではない状況と化しつつある。過労というよりも、単純に高密度というか。精神はとりあえず健全です。とエクスキューズしたところで、記憶を遡りつつ、現在に下る。十六日、『聖兄妹』最終回の最重要ポイントを突破。「いけた!」と思い、遅ればせながらの自宅お誕生会を催す。いただき物のカリフォルニア・ワインに酔う。十八日、『ハル、ハル、ハル』のための書店回り、パート3。物事が本当に動いているのだな、と随所で実感。ありがたいです……前回も記しましたが、心の底から。十九日、翻訳家の岸本佐知子さんと対談。なんかもう、口もとの微笑の数センチさきの空気の揺れとかまでが魅力的な方で、物凄く楽しい時間を過ごさせていただけた。対談中、しばしば照れてしまう自分であった。そんな自分に驚愕する自分であった。二十一日、いよいよ脱稿間近となった『聖兄妹』が、いきなり文体のコントロールが利かない状態となり、死闘。二十二日、午後二時四十分までコンピュータに齧りつく。三時四十五分から新聞のインタビュー。五時からテレビのインタビュー。そして六時半から朗読会&サイン会@紀伊國屋書店。あろうことか、この朗読は紀伊國屋ホールの内部で行なわせてもらうことに(ほんの四日前にそう決まった)。その“ありがたさ”に感謝し、かつ、『ハル、ハル、ハル』をマーケットに滲透させるために奮闘して下さっている版元に感謝し、かつてない「ベリー河出、ベリー紀伊國屋」な演目を披露する。うぅ……燃えた。来て下さった読者の方々も、なんかジンとしてる(気がした)。二十三日、前日の感動の余韻が持続して、気がつけば睡眠不足で起床。やばい……。が、奮闘。午後六時過ぎについに脱稿。短期集中連載の『聖兄妹』は恐るべき地点に着地した。このレベルに到達してしまうと、もう何が何だかわからない。『聖家族』シリーズがいよいよ最終段階突入にゴーサインを出したのを感じる。ちなみに脱稿から三十分後に、この日が締め切りだった新潮社のクレストブックス用小冊子のコメントを執筆して、入稿。こういう瞬間の脳の切り替えの速度に関しては、自分でも「なぜ可能なのか」がわからない。二十四日、『ハル、ハル、ハル』インタビュー。二十五日、今度は『聖家族』のための仮称「新・記録シリーズ」に入る。新型脳が準備される。二十六日、朝日新聞アンケートに回答し、『ハル、ハル、ハル』のインタビューを受け、『gift』文庫化のための打ち合わせにむかい、『ハル、ハル、ハル』刊行記念特設サイト用のコメントを執筆する。二十七日、二つの打ち合わせを連続してこなして、夜は朗読ギグ準備。二十八日、順調に脳が爆発し、『ストーリードロップス』を想いながらの街歩きも敢行。二十九日、ギグを翌日に控えて、凄いテンション昂まる。三十日、『ストーリードロップス』第五回を執筆、入稿。六本木で打ち合わせ。それからギグ会場である Super-Deluxe に入り、リハーサル。続いて某テレビ番組のための打ち合わせ。空いた時間で次作の取材も兼ねた散歩をちゃらっと一時間。そしていよいよギグ本番。前夜からの嵐は止んだが、おれの心の嵐は止んでいない。全演目、自作を読むという珍しい試みで、エモーション炸裂。一人称の作品がほとんどだったので、読むたびに人格が変わり、明らかに何かに憑依される。最後には発声だけで肋骨が折れそうになる。なんか……人間じゃない声が出た。それから打ち上げ。十二時を回っても呑むという珍しい試みで、感謝感激エモーション炸裂。で、就寝前から三十一日。起床しても三十一日で、七月の最終日。ふと思い立って、目黒から海まで歩いてみる。これは『LOVE』を書き出す前に、初めて“取材”と意識して踏破したルートだった。しっかりと夏の午後、あまり水分を補給せずに、ただ背筋だけをのばして進む。品川埠頭で、ガントリークレーンが駆動していた。野積みのコンテナを眺めた。コンテナは大きい。おれは小さい。どこかに迷い込んでしまったように、小さい。尺度が変わる。そうだ、変えろ、とおれは言う。おれもスケールを変えろ、とおれはおれに言う。紫外線が目を射る。

八月前半

おれはスケールを変えつづけている。夏だ。本当の夏が招来された。誰もがおれに「まるで『サウンドトラック』の東京だね」と言う。だからおれは「ああ、そうですね」と言う。八月のはじまりの日から仮称「新・記録シリーズ」(以下、新・記録と略す)に脳が沈む。そのまま『聖家族』全体にダイブして、この作品のあまりにデカすぎる構想に驚愕する。大丈夫なのか、おれ。しかし、やるしかないだろう。で、通常ならばここから“過労”に突っ走るのだが、そこはそれ、リセットされて真の脳内革命を果たした new なおれ。三日にはまるごと一日、関東某所で休日などを取る。プライベートについては触れない日記なので伏せますが、海辺に近いところでロック三昧しただけです。発散……。それから単行本版の『ゴッドスター』のゲラに着手。五日、黒田育世さん振付けのステージを立て続けに観て、驚愕。なかでも「モニカモニカ」には『MUSIC』の手ざわりが……まだプロローグ部分しか書かれていない自分の小説の完成形の感触があって(むしろ、それだけに満たされていて)、涙があふれそうになる。うう、育世 LOVE。六日は某テレビ番組のロケ。『ハル、ハル、ハル』の取材なのだけれども、結局、『LOVE』執筆時の散策ルートを辿り、品川のサンクチュアリに沈んだ。いい取材だった。が、喜びもつかの間、七日はなんと一日かかって三行しか書けないという地獄。死ぬ……あの“過労”モードが再臨しそうだ。午後には連続して打ち合わせを二つこなし、やはり脳が疲弊。糞、糞、糞、おれは堕ちないぞ! そういうわけで、意志力のみで夜には復活。翌日には午前中の一時間半だけで五枚書けた。そのままモードを維持して、九日、新・記録の連載第一回分の原稿を脱稿。予定より二日も早い! そして毎日、暑い! 夏だ。おれは散歩を続けている。十一日、ジュンク堂@池袋にて、「古川日出男メッタ斬り」なるイベント。本番三十分前に控室に入って、豊崎由美さんとお会いする。これが初対面である。やや遅れて大森望さんとも合流。トークの中でも話したけれども、デビュー三作めの『アビシニアン』を上梓した時、おれが目にすることのできた書評はわずかに三つで、そのうちの二つを書かれたのが(それも的確に、おれに勇気を下さるように)このお二方だった。正直、お二人には感謝しかない。そういうわけで素の状態のおれである。が、全然おれはメッタ斬られず、結局は愛を頂戴するだけであった。うう……ありがとうございます。『聖家族』の話題も出て、意外に重要なポイントを明かしたりもした。その後、新・記録の第二回を起筆。ふと気づいたら、日灼けした腕の皮が剥けはじめた。脱皮! 十四日、「BOAO」の編集者とともに銀座クルーズ。生まれて初めてネイル・サロンに入り、実際に体験する。うふふ、綺麗な爪。おれはじっと手を見る。その後に読者層を代表するOLさんたちとの会食、第二回。メンバーはほぼ入れ替え。“自分”というものをしっかり確立されているガールズに感心する。京都の日本酒に意外と酔ってしまう。十五日、新・記録の執筆を続けながら、午後にはイーサン・ローズ(Ethan Rose)の新しい音源のためのコメントを執筆。それから夜、脳の“吉増剛造”化を図る。おれの精神は、この週末の、青山ブックセンター 2 days に向かいつつあり、日曜日・十九日に控えているのが吉増さんとのイベントである。緊張が高まる。スケールはまだまだ、変容する。バージョンを上げずに、いま現在のおれはただ、空間の拡張を。本当の夏にふさわしい、それを。ミッドサマーに我想う。

八月後半

そして夏の終わりが訪れる。あれだけ「終わらない夏」を感じさせていたのに、やはり季節は変わる。おれはこの期間に重大発表もしたし、衝撃的なイベントもこなしたし、かなり脱稿もした。それにしても人生に“脱稿する”なんてサ変動詞があるのは、不思議だ。おれは摩訶不思議な生のルートを歩んでいる、と痛感する。重要なポイントに絞ってこの葉月の後半を記述したい。青山ブックセンター(以下ABCと略す)での 2 days に意識をむけるおれは、十六日の夜、まずは六本木スペシャル用に『MUSIC』冒頭部を自宅で朗読。いわゆる“宅リハ”を敢行し、ついつい泣いてしまう。本番の十八日、午前中に新・記録の連載第二回を脱稿。それから昼間は三時間にならんかとする無謀な散歩にいそしみ、夜、ABC六本木店で「古川日出男ナイトVOL.4」を開く。例の重大発表というのは、ここで行なった。おれは、来年に刊行する作品は『聖家族』一作だけに絞った。他にもさまざまな作品を準備していたが、秋に『聖家族』を上梓する以外、出さない。これは、本当に思い切った決断だ。各方面に迷惑をかけるし、おれ自身の心だって傷ついている。いちばん気にかけたのは『MUSIC』だ。来年初夏に出す予定だったが、再来年に延期した。しかし、すでに書きはじめて物語の世界が“誕生”している『MUSIC』を、このまま世に秘めつづけるのはつらい……当然だけど。で、この日は“『MUSIC』ナイト”に変えて、延々二十五分間おれは作品の冒頭を読んだ。声に出して、この世に生んでみた。立ち会ってくれた全員に感謝する。なんだか家庭的な雰囲気で、いい場だった。しかし、しんみりとばかりはしていられない。翌十九日、目覚めると朝から凄いテンション。そして夜、ABC青山本店にて「古川日出男×吉増剛造『アオヤマで声を狩る』」が、ついに本番。ああ、心の師匠・吉増さんとの対バンである。しかも、ABCの店外で——野外で。それはすばらしい空間だった。かつ、ありえないイベントだった。屋外には屋外の力がある。吉増さんには脅威の GOZO 力がある。打ち合わせはしなかったのに、おれは吉増さんの詩だけを朗読作品として準備し、吉増さんもおれの作品だけを準備した。吉増さんが『聖家族』の、馬の声を出した。その声、その衝撃。おれの心拍数があがる。朗読しながら、凄絶な発汗量を感じ取る。呼吸ができないほどだ。ほとんどおれはステージ上で——声を発しきり了えて——失神している。自分の前に膜があって、それが透明な膜だから存在に気づけないでいて、しかしこの日、この瞬間、その膜を突破したのがわかった。それから、圧倒的にすばらしい打ち上げ。ビール三杯だけの。おれの夏はここで終わった。夏、ジ・エンド。それからは、書いた。二十四日、新・記録の連載第三回を脱稿。二十六日、ひさびさに『ハル、ハル、ハル』刊行記念特設サイト用にメッセージをしたためる。二十七日、起床直後から身内に新しい力が漲っているのを感じる。なんだろう、……懐かしいな。あれだ、これは“攻め”の姿勢だ。その日の午後、「古川日出男×向井秀徳」に関しての新聞社のインタビュー。こちらがとてもエネルギーを注入してもらえる、いいインタビューだった。そして、自ずと脳の“向井秀徳”化が図られた。ムカイ脳、起動! これが、秋か。そのはじまりか。二十九日、ほとんど飯も食わずに一日中執筆を続けて、新・記録の連載第四回を脱稿。三十日、ここでは明かせない極秘プロジェクト(ごめんね)のための第一歩となるファイルを作成し、入稿。三十一日、『ストーリードロップス』第六回を脱稿して、入稿。そして夜から、旅立ちの準備。博多百年蔵における「古川日出男×向井秀徳」のセットリストの準備。さあ、九州上陸だ。季節はここに、瞭然と変わる。

九月前半

おれは陸路で福岡に入った。旅立ちの朝の東京は寒かった。福岡はまだまだ暑かった。夏? 季節感のシャッフルだ。到着直後に長浜ラーメンの洗礼をうけて、少々の休息ののち、ひと口餃子の初体験を済ます。酢モツってすてき。ホテルでは夜、静かに精神をすませて疑似“宅リハ”。翌朝、三時間ほど散策。時差ボケだか季節ボケだかを払拭して、天神の地下街にて水炊き。すごい昼食だな、こりゃ。それからホテルのロビーで向井さんと合流。会場の博多百年蔵へ。入魂のセッション・リハを行ない、四時十五分には楽屋でひたすら開演を待つ状態に。五時前後におれの物販スタッフ陣が到着して、いろいろと作業して下さる。そして六時半ちょい過ぎ、「古川日出男×向井秀徳」第三幕のスタート。緊迫のおれソロ、ぶっとい安定感の向井さんソロを経て、八時十五分に共演の第三部。テンションは冒頭から炸裂させた。手加減なし。かつ、向井さんとのアイ・コンタクト多し。いい感じで会場内の熱気が昂まり、熱狂が生じつつあるのがわかる。感受しながら最後の演目まで突入。終演。かつ、即興セッションのアンコールあり。凄まじい充実感。その余韻を脳に抱えて、腹にモツ鍋を仕込まんとする打ち上げに in。がー、バリ美味。二次会では記憶が三分の一ほど霞むまで呑む。バリ幸福だぜ……。翌日は睡眠不足と超・二日酔いだったが、九州と本州の狭間を見にミニ・トリップ、腹には門司港名物の焼カレーを仕込む。港の風が気持ちいい。複数の小説がただちに肉体化しそうだ。列島/半島/大陸/山/運河/海。ああ、書きたい! そういうわけで東京に戻ると、自分の脳のプロセッサがコンマ1でバージョン・アップしていることを感得する。書きはじめる。八日、新・記録の連載第五回を脱稿。そして翌九日、あろうことか新・記録の連載第六回(最終回)を脱稿。なんじゃこりゃ。おれは加速している。執筆のあわいには推薦コメントをおれが書かせてもらったイーサン・ローズのCD『スピニング・ピーシズ』の見本盤も届いて、アガる。十日から仮称「新々・記録シリーズ」(以下、新々・記録と略す)に脳味噌 dive。その夜は焼き豚ミーティング。十一日、和牛の炙り寿司ミーティング。十二日、絵馬を訪ねて一時間。十三日、昼過ぎまで地獄に落ちたような状態で牛歩の執筆を続けて、そこから一気に炸裂。罵倒——書けない自分に対する——の門を抜け、新々・記録をいきなり脱稿する。ま、新々・記録は“ただの短編”だから不思議はないと言えばないのだが、着地のビジョンが凄かった。自ら唖然とする達成感。ところで新・記録とこの新々・記録がいかなる媒体にどのような順番でいつ頃の時期に掲載されるかは、まだ調整中ですのでごめんね。ここで高らかに断言できるのは、おれは『聖家族』を全体の四分の三まで書き上げた、ということです。この作品のタイトル(“聖家族”)とコピー(合計十二文字のキャッチコピー)を集英社の編集者陣に初めて手渡したのは、一昨年の夏だった。最初の本格的な東北旅行は秋だった。長い旅路だぜ……。十五日、びしっと魂を込めてデビルズヘアカット。全身全霊ライティング・マシーン、再臨。頼むぜ、出るなよバグ!

九月後半

十六日。吉祥寺で前日に観たイデビアン・クルーがあまりによかったので、当日のキャンセル待ちをして『政治的』をふたたび鑑賞。十七日。『ララララララララララン』を起筆するも、いきなり脳味噌にバグ出現。心身ともに『聖家族』モードにあまりにカスタマイズされ過ぎていて、違う話が書けない。やばい、真剣に。朝日新聞のアンケートに回答。十八日。いや、おれは書く。書かねばならぬ。奮闘。さまざまな仕事のオファーあり。十九日。恵比寿で ZAZEN BOYS のライブを観て目を覚ます。二十日。ひたすら『ララララララララララン』を執筆。予定より五十分早く脱稿。担当編集者たちのリアクション、強し。嬉し。しこたま酔う。二十一日。映画『クワイエットルームにようこそ』についての文章を執筆。それからCD評のようなものを執筆。それから来月上旬の取材旅行のためのミーティング。二十二日。文庫『gift』のゲラに着手。来月下旬の「カタリココ」イベントの一環として、レイニーデイ・ブックストア&カフェのために十冊の本を選んで、コメントを執筆。ふいに再来年に刊行する複数の本のアイディアが炸裂して、止まらない状態に陥る。別に困らん。二十三日。渋谷で MO’SOME TONEBENDER のライブ。のっけから銀河の彼方に到達するような“のびのび感”。ああ、AX のハコが閉じていない。客、すばらしいノリ。二十四日。新々・記録のゲラ。終了後、いざ鎌倉。じつはシークレット朗読ギグにむかっている。イタリアから再来日したマッティア・コレッティ(Mattia Coletti)の前座。おれは昨年も前座をやらせてもらった。本番はざっと三十分。『泣き言ばかり言ってんなよ、ロックンロール』のヘヴィ・サイケデリックな読みで締める。二十五日。スペースシャワーTVの「爆音アトモス」用に MO’SOME TONEBENDER の百々さんと酒場で対談。撮影されながら酒を呑むというのは初めてだが、のっけから盛りあがる。モーサムの新譜『C.O.W.』の熱量がそこに反映している。三次会まで行く。二十六日。昨日からはじめていたコバルトのノベル大賞の作業に没頭す。途中、打ち合わせあり。二十七日。コバルトの選考会。ポテンシャル優先で新人を選ぶ、という点で委員の見解は一致する。それってグー。今回で大幅に委員が入れ替わるので、夜は送別会。ワイン、がばがば。二十八日。晩秋スタートの媒体で開始される異種格闘対談の第一回として、iLL a.k.a. ナカコー(中村弘二)さんと対談。本サイトにて新々・記録こと『記録シリーズ・DJ』がいきなり公開。ついに作業がはじめられた『叱れフルカワヒデオ叱れ2』の取材。夜はその取材を兼ねたお食事会。テキーラ、じんわり。二十九日。新・記録のゲラ。細部までていねいに見る。午後は『ストーリードロップス』と『MUSIC』の取材。本日から休肝日ならぬ休肝 2 days に突入。三十日。『ストーリードロップス』の連載第七回を脱稿。映画『ヴォイス・オブ・ヘドウィグ』のコメントを執筆。それから来月の三日に控えている極秘プロジェクトのための作業に緩やかに突入す。以上、今回は「記録シリーズ・おれ」!

十月前半

前月は壮絶なまでに活動的な月だった。じつはダンスと音楽のライブ・ステージを十個も観ている。自分も二つやったし。というわけで、九月末日の夜から調子を崩し、十月一日、目覚めればひどい発熱である。というか、東京の天候がいきなり激変して、冷え込んだ。そのせいもあるだろう。しかしながらダラダラはしていられない。高熱がどうにか治まった午後の遅め、新潮クラブにて米文学者の佐藤良明さんと対談し、もろもろ語る。なんだか全面的に俺のことを褒めていただいて……マジ恐縮してしまう。対談後のイタリアンは美味、かつ、体調に考慮したメニューを出してもらえた。二日はコバルトのノベル大賞の選評を執筆。それから打ち合わせを二つこなす。三日、どうにか体調は快復した! そして、ついに極秘プロジェクトの作業当日である。“情報解禁”となったので記すが、文芸誌「新潮」の二〇〇八年新年号に、おれのCDが付く。そのためのレコーディングである。CDの詳細めいたものは、じきにこのサイトに情報をあげる(全部は明かさないが)。いずれにしても五十分前後のフルCDだ。スタジオにおれは入った。集中力は切れなかった。収録が進行するにつれ、スタッフ間でも興奮が昂まっていくのがわかる。いい感じだよ。声は細部までコントロールできている。そして、レコーディング終了。スタジオを後にして祝杯。ビールがしみるぜ。達成感だぜ。酔った勢いのふりをして書いてしまうが、わずか千円ちょっと(価格未定)でおれのフルCDが手に入り、おまけに文芸誌が一冊付いてくるんだから、みなさん買ってください。がはは、何たる言い草。発売日は十二月七日です! で、酔っぱらって帰宅して直後に旅行の準備。すかさず翌朝、西にむけて出発。いざ京都。まずは伏見神社の門前というか鳥居前でスズメ焼きなどを喰らいながら、“ミヤコ”での取材を敢行する。五日は京都造形芸術大学にて講義。講義とはなんぞや? 新元良一さんが専任講師を務めていらっしゃるクリエイティブ・ライティング・コースにて、学生さんたちを相手にいろいろと語るのである。まあ、小説の書き方とか? だから授業です。新元さんのレスポンスが抜群なことと、学生さんたちの瞳の輝きが良かったのとで、物事はスムーズに進んだ。その後も京都取材を続行。七日の夜に帰京するが、京都から東京に戻っても……帰京? ああ、何が正しい日本語なのか全然わかんない。九日、コバルトのインタビュー。新作の執筆が真剣モードに入る。十一日、「新潮」CDの曲順について、担当編集者とメール協議。鋭い指摘を受けて、感心する。ただし、曲順と書いたがそれは曲じゃないんだけどね。まだ内緒。この日は「野性時代」の見本誌も届いて、世間にお目見えした短編『ララララララララララン』の雰囲気に、しばし陶然となる。十二日、江國香織さんにお手紙を書く。いずれ活字化される往復書簡の第一弾である。でも、ちゃんと手書きで書いたの。そこから……そこからこの日記を書いている十五日までは、まあ、地獄だ。おれは書いた原稿を捨てつづける。十日午後の時点で、締め切りを二日延ばしてもらっていた新作なのだが、なんだか魂の“入り”を拒絶されている。文章が、自己模倣に陥った。そんなの、おれが許さない。捨てる。捨てる。何日経っても冒頭の一行めから書き直している。本当にイヤになる。それに真剣に危機じゃないか。二日延ばしたという締め切りが、十七日。つまり明後日だ。おれはちゃんと脱稿しているのか? わからない。わからないままに、この日記なぞを書いている。日記だって締め切りの一つだから。明日の予定は全部キャンセルした。眼前にあるのは恐怖だけだ。それでも……それでもおれは、書く。意志だけはある。脱稿を祈ってほしい、誰でもいいから。おれのために、ほんの一秒だけ。please.

十月後半

あとで判明したのだが、何人もがおれのために祈ってくれた。ありがとう。そしておれが気づけないところにいる、何人もの念を発した(サイキックめいた)あなたたちに感謝する。十六日は、本気でボロボロだった。記述したいことはない。そして十七日、午後八時過ぎに脱稿した。この日の午後はずっと偏頭痛に襲われていた。不調の箇所が多すぎて、列挙できない。しかし、脱稿した。呆然とする……。いい原稿だった。興奮するというより、生きている自分にびっくりしてしまう。おれ、まだ生きている、って。こんなことを何度繰り返しているんだろう? 作家になってから、何十度? もしかしたら百回を超えたのか? 今月後半は、執筆中の歯軋りが多すぎる。正直、歯まで壊れてしまいそうだ。マウスピースを嵌めてコンピュータにむかったほうがいいんじゃないかと思う。まあいい。泣き言はとりあえずストップ。未来を見据えよう。十八日、柴田元幸さん責任編集!の文芸誌として来春創刊される予定の『モンキービジネス』の打ち合わせ。ええい、これが未来だ! 十九日、エッセイのようなものの執筆。週が明けてから取りかかる新作のために、走り込みの開始。翌日に控えたイベント「カタリココ」のために宅リハ。夜、十七日に脱稿した原稿を祝って編集者+アルファと打ち上げ。二日連続でジムで走り込んでいるために、焼酎とウォッカが激烈に回る。二十日、午前中にエッセイの執筆。それから午後、青山のレイニーデイ・ブックストア&カフェへ。会場でマイク・テストをしていたら、「カタリココ」ナビゲーターである大竹昭子さんがいらっしゃった。三月に一度だけ、大竹さんとは「初めまして」「あ、どうも」とお互いにひと言ずつ会話したことがある。こういうのはまあ、初対面……というべきだろうか? 控室で若干おしゃべりしてから、本番。やっぱり“ほぼ打ち合わせなし”のイベントは面白い。大竹さんの質問があまりに予想外の方向から来るので、おれもあまりに想定外コースに打ち返した。それから、朗読。二回に分けられた、だいたい三十分の朗読タイムのうち、『LOVE』を長めに読んだのだが、すぅ……とスイッチが入って、ぐ、と飛躍して、佳境でいっきに加速した。カフェの場でそこまでいけると思わなかったので、嬉しかった。イベント後にはサイン会があり、九州や関西から来てくれた人もいたことが判明して、けっこう感極まった。充実したイベントにできてよかった。その後、おでん打ち上げ。呑みすぎないように注意する。二十一日はゲラと新作準備。翌日も新作準備を続行。さらに冬の大攻勢にむけて、さまざまな連絡業務あり。朝日新聞のアンケートにも回答。二十三日、精神統一。二十四日、世界とおれが調和。二十五日、世界とおれの不調和。二十六日、世界との再・調和。新作のために雨の品川を彷徨する。この日は集英社のウェブ文芸サイト「RENZABURO」で予告なしに『記録シリーズ・天狗』の連載がはじまった。年内いっぱい更新しつづけて完結させますので、愛してやってください。ところで、この週に入ってから遅ればせながら Perfume にハマった。ついに世界に輸出可能なアイドルが出現した! 興奮が新作執筆を駆動する。二十七日、文庫『gift』のために手書きポップを三十枚ほど作成する。が、手首が痛い。季節外れの台風の影響で、右半身に異状。しかし、かまってられない。おれは新作を書かないと。書きたいんだよ。書きたいから書いてるんだよ。一日に数度は筆が停まり、自分が求めるほどの才能が自分にないことに絶望しかける。二十九日、呆然と、むしろ愕然と、きっちり原稿が上がる。一瞬、何をしていいのかわからない。しかたがないので、また走る。三十日はロードに出て走る。右半身、やや正常に。三十一日、午前中に『ストーリードロップス』執筆。だが、ぜんぜん納得がいかない。物凄いショック。いままで快調なシリーズだったのに。そこでテキストのデータを残らず削除した。昼飯かっこんで、午後に一から書き直す。納得。やっと、いい原稿になった。つづいて『エスクァイア』誌の一年間続く原稿に着手。コラムっていうかエッセイっていうか。予定が押したので少しパニックを起こしたが、数分間おのれを罵倒したら収まった。初回の二つの原稿、アップ。そして夜、二十九日に脱稿した新作を祝って編集者と打ち上げ。さあ、いよいよ来月後半からのリリース・ラッシュ(文庫『gift』と単行本『ゴッドスター』とCD『詩聖/詩声』)にむけて、おれは気合い入れ直すぜ! ビバ、過労!!

十一月前半

前月の過労を引きずりながら、一日は江國さんにお手紙第二弾を執筆。それから夜、『ゴッドスター』刊行のための戦略会議というか戦略会食。編集者二人とおれとで恐ろしいアイディアを練り込む。その後、六本木に単身移動して、来年1・18の O-nest にてユニット・メイト(てな呼称は正しいのか?)となる鈴木康文さんにお会いする。人生は音響派だぜ! 時計の針が真夜中を指したので帰宅。その後二日間かけて、もろもろの執筆体制を立て直す。おれに必要なのはライフ・スタイルというよりも、ライフのシステムだ。ふっと気づいたら、三日の夜には自分のバージョンがコンマ1ほどアップしていた。おお、隔月でのマイナー改訂。そして四日、作家としてのおれの第六世代(G6)が初めてクリアに展望された。作品というよりも、生身の自分のありかたが。どのようなありかたか? それは言えない。で、ここから脳を京都モードに。しかしながら、この切り替えは容易ではなかった。いまだ大脳にミヤコの風は吹かず。堪えて、頑張る。六日の夕方から夜にはお散歩焼き鳥ミーティング。東京で食べるスズメ焼きは……不味い。七日はまず『叱れフルカワヒデオ叱れ2』のゲラ。内容のあまりの痛快さというかシャープさに、著者である立場を忘れて陶然となる。それから午後、ひさびさに『ハル、ハル、ハル』のインタビュー。夕方と夜に二つの打ち合わせを連続してこなす。夜の会食も京料理にして(おれがリクエストした)、しだいに肉体がミヤコ方向にメタモルフォーゼ……し出す。八日、朝からずばり、脳 in 京都! 九日の夜には第一回「馬の会」が開催されて、しばし人馬一体となって堕落する。さて「馬の会」とはなにか? それは言えない。ここからはひたすら執筆。他のことは考えない。ずっと頭が京都にいる。で、いったい何の小説なのか? それは言えない。十二日の夜はひさびさに『聖家族』のための打ち合わせ。しかもひさびさに@吉祥寺。ああ、井の頭公園方向からサマバケの風が……。今年はホント、一年が長いですね。ミーティング後から、ぎりぎりと『聖家族』に下意識でのチューニングがはじまる。が、意識の表層は軒並み京都。十四日、脱稿! その後、他のプロジェクト二つの連絡に奔走しつつ、高速処理して『gift』の打ち上げの場に。そうです、文庫化されるあれです。ついに見本をゲット。ううむ、すばらしい感触の装丁と、視界から心臓にポンッと入り込む本文デザイン。そして、巻末の松浦弥太郎さんの解説が、なんだか another gift としての掌編のようで、めちゃクール。たいへんに気分がいいです。酔います。ビールを卓上にこぼします。が、ちゃんと時計の針が真夜中を指す遥か前に帰宅。十五日、目覚めると東京脳、起動。おし、スイッチ入った! はや新作にモードが変更された。かつ、月末の『ゴッドスター』刊行のための準備が着々と整いつつある。いいですか、師走の東京はたいへんなことになりますよ。とりあえず十二月、八日と十三日と十六日と二十一日に、おれは都内四カ所(の書店)でイベントをやりますよ。ぜんぶ異なる内容の、大規模なイベント攻勢をしかけます。なかばテロ。土曜に木曜に日曜に金曜、と“曜日”も各種とり揃えましたので、みなさん日程が合うといいですね。目下は秘められている内容は、近々サイトでがっちり告知します。だからね、いまは……それは言えないって。そんな感じで、十五日の夜にはイタリアン打ち合わせ for G6 を済まして、お休みなさい。

十一月後半

天国と地獄か。攻めと自滅か。きつい半月がこの十一月後半だった。それを語ろう。十六日には『ゴッドスター』の装丁を入手。そのあまりに危険な匂いに、ハードボイルドに嗤う。イベント用の限定カバーもほぼ完成。二種類の表紙というのは、おれも見るのは初めてである。こいつは愉快な冬がはじまるぜ、と強靭な笑みを浮かべ……いきなり翌十七日から自滅モードに。ふいに“目標の六十パーセントしか達成できていない”日常を自覚して、凹む。デンジャラスな予感。十八日、「努力だ、努力が足りないんだ」とネガティブなマントラを唱えはじめて、悪夢のループに。十九日、絶不調。そこまで書いていた原稿を全部捨てる。二十日、構想を全部立て直すことを決意。そこで何かがふっ切れる。そのスイッチの瞬間についても語ろう。たぶん、この日に発売された文庫『gift』を記念して、シャンパンを口にしたことにある。ああ、外側からおれの体内に入るものだけが、おれを癒し、あるいは傷つける。おれって、生きてるんだなあ。二十一日には写真(デザイン)付きの『叱れフルカワヒデオ叱れ2』の再校ゲラが到着し、思わず「凄い扉だぜ!」と雄叫びを上げる。うーむ最高ゲラ。この日には朝日新聞のアンケートにも回答。二十二日からは執筆にドライブがかかりはじめ、凄まじい集中力を発揮。来年1・18の渋谷 O-nest の朗読ギグのフライヤーも届けられ、そのクールさに歓ぶ。そして二十三日(祝日)は勤労ならぬ過労感謝の日 for myself なのであった。午前中に書いた原稿は全部捨てる。地獄の書き直しで、超絶レベルに。翌二十四日、またもや午前中の原稿が没に。今度はシーンがまるごとひとつ消える。……消えるはずが、「どうにか再利用できないかなぁ」なんて甘いことを考えたために、午後からも地獄。“屋上屋を架す”の真逆版で地獄の真下に更なる地獄を用意。ヤバい。真剣にヤバい精神状態。ここまで追いつめられたのは今年……五月以来か? 体中が痛い。偏頭痛と胃痛と肩の痛み。糞、だからなんだっつぅんだ! 二十五日、目覚めるや目が据わっている。走る、走る、疾走するように執筆する。脱稿。おれは……おれは、まだやれた。虚脱。すばらしい原稿が仕上がった。おれは何を書いていたのか? それを語ろう。おれは『MUSIC』を書いていた。それは完全な『LOVE』の続編として、新たな構成のもとに進んだ。そしてこの日——二〇〇七年十一月二十五日に、全体の三分の一まで到達した。さあ、それから……おやすみ。この続きに手をつけるのは『聖家族』が一〇〇%完成してからだ。来年の夏以降だ。それまで、『MUSIC』、お休み。少しの切なさ。少しの感傷。再来年のリリースまで、お前はたっぷり熟成するんだよ。では、ここからは通常の過労の日々を語ろう。二十六日は『ゴッドスター』の見本が到着! そして師走の 4DAYS イベントが続々フィックス! さて若干イベントについて説明します。12・8「夜編」には恒例の質疑応答&プレゼント会があります。それから12・13「声編」の目玉、“録画・録音のレコーディング・フリー”ですが、フラッシュ撮影は不可だけれども(朗読の妨げになるし、カメラ撮影自体、シャッター音が問題なので)、それ以外はデジタル・ビデオだろうがMDだろうが、なんでも勝手に録ってもらって大丈夫ということです。三脚を立てるのもオーケー。ただし、他のお客さんの視界を妨げないように。よろしくね。そしてレコーディングしたものは、営利目的以外だったら使途は自由。おれが許しますからね。12・16「本編」では、店員のおれにどうぞ朗読してほしい本・箇所をリクエストしてください。接客していなければ、朗読します。ちなみにこの特設書店(書店 in 書店)では、基本、他人の本を/も売っています。えぇと、イベントに関する補足はここまで。この記述は十一月二十六日に錨を下ろしていたのであった。そしてこの日は、CD『詩聖/詩声』を特別付録とする「新潮」新年号の価格も明るみに。なんと、わずか1100円! そしてCDの収録時間は、52分25秒! 完璧フルCD!! 朗報ばっかりじゃねえか。嬉しさのあまり、夜は六本木に赴き、来年1・18 O-nest の同志である虹釜太郎さん鈴木康文さんと光速の密談。翌日からはフランス最古豚ミーティングに『ストーリードロップス』取材と連続してこなし、二十九日、『エスクァイア』原稿アップ。そしてコバルトの謝恩パーティに赴いて、新人賞選考委員を代表して講評のスピーチ。いまだに「フルカワヒデオ先生」とアナウンスされることに慣れぬ。致し方なし。頑張れよ、新人たち! 三十日は午前中に『ストーリードロップス』をばっちり脱稿。夜は明日の朗読ギグ@横浜 ZAIM にむけて宅リハ。え? もう明日は師走じゃねえか? じゃあ、これ以降のことは十二月に語ろう。あばよ。

十二月前半

そして師走だ。おれだって先月末には師(=「フルカワ先生」)とアナウンスされた男である。いいだろう、走ってやろうじゃねえか。てなわけで、一日には横浜のイベント「どうにかなる日々」へ。二部構成の朗読ギグを展開し、第一部では冬に合わせて『僕たちは歩かない』をメインにセットリストを構成し、第二部はやや驚愕の『聖家族RMX』を披露した。自分で“驚愕”というのもなんだが、雑誌掲載版とも書籍版とも異なる構成で編んだリミックス・バージョンの朗読だった。おかげさまで、いい感じの達成感。二日はインタビューのゲラをチェックし、それから十六日に控えている「古川日出男書店」@渋谷リブロの本を選ぶ。すなわち、おれが店主の書店の棚に揃えるタイトルのセレクトである。てことはすなわち、ずばりセレクト・ショップ。それはさておき、三日、ヘッドスパに赴けば、「頭皮がゴリゴリです」「アタマの使いすぎです」「これじゃあ頭痛だって起きますよ」とお姉さんに忠告される。いや、本当、その通りで……。四日、持っている眼鏡を全部調整する。おれは視界を新たに/クリアにした! 五日、CD『詩聖/詩声』の付属した「新潮」新年号の見本が到着。凄ぇ表紙だ。感動。夕方、身体トレーニング関係の個人レッスンを受けるも、「こんなゴリゴリの筋肉では寿命を縮める」「いつも全力出しすぎです」「20%、30%の力で生きなさい」と忠告されて、凹む。おれは早死にするのか……。夜、京風おでんミーティング。精神の凹みを持続しながら、どうにか新作の執筆に意識を集中。七日、早朝スタバお茶会。夜はココナッツ・カレーに支配されたエスニック会食。酔っぱらって帰宅し、その勢いで深夜に宅リハ。そう、翌八日はひさびさの「古川日出男ナイト」@六本木ABCなのである。で、八日、朝はひさびさに歯医者さん。定期検診を受けるも「問題ありません」と言われてホクホク。機嫌がいいので宅リハ続行。そして夜、ナイト VOL.5 の本番。じつはこれは『ゴッドスター』刊行記念の 4DAYS 初日である。ナイトならではのアットホームさに包まれて、楽しい第一夜となった。おれは読者に恵まれているなあ、と感じ入りました。またもや日本各地の遠いところから来てくださった方々、多謝です。それから一日置いて十日には短編取材、『聖家族』ミーティング、英字の雑誌のためのインタビューと連続。十一日には虹釜太郎さん、鈴木康文さん、ミス KIASMA とともに年明け1・18の渋谷 O-nest のための団結式。年明けのリハの日程も決める。十二日には『ゴッドスター』インタビュー。そして十三日、4DAYS の第二夜となる「声編」90分単独朗読@丸善丸の内店。しっかりとしたセットリストを用意し、電車に乗った瞬間から自分の緊張をガシリと高めた。MCを入れないことも、90分の設定から十秒たりと前後させないことも決めていた(89分で終わっても、91分に延びても駄目)。登場の瞬間からおれのスイッチは入っていた。『ゴッドスター』はその一行めから、最後の行まで、省略とジャンプとその場その場での文章リミックス(即興生成)も入れて朗読し、さらに六編の詩をそこに投入/召喚した。渾身、だった。終演直後から、「伝説だ」「事件です」「衝撃でした」等々のコメントを受け取った。続々と。嬉しかった。自分でも、今年のイベント・ビッグ3に入るなと感じた。すなわち「古川日出男×向井秀徳」と「古川日出男×吉増剛造」に並ぶ成果ではないか、と。しかも一人(ソロ)で成し遂げられた。究極の達成感。しかし、余韻にひたる暇もなく……嘘、十二時間は余韻にひたったが、それから怒濤の執筆。十五日、執筆もまた渾身。しかし、スケジュールは遅れている。短編の脱稿、ままならず。しかし、諦めるもんか。おれは書きたい。もっと書きたい。まだ今年は終わってねえんだよ!

十二月後半

結局、二〇〇七年が終わる。この結論からいこう。おれは書いた。十二月三十日まで死にそうになりながら、小説を書いた。今日は大晦日、この日記を最後に年内の執筆を終える。さあ、飛ばそう。十六日、執筆は快調だ。しかし午前十一時で作業を一時中断して、渋谷へ。4DAYS 後半戦の「本編」@リブロがはじまる。噂の“古川日出男書店”である。スタッフ・ルーム入りし、その場で手書きの POP 二十枚超を作成。優秀な書店員であるおれは、わずか十分弱でこの仕事をこなしてしまうのである。わっはっは。午後一時に祝・開店。うわ、閑古鳥。どうなるのか……。しかし五十分が経過したところで、流れが激変。読者のリクエストにより生声朗読を続けざまに行ない、リブロの店内に異様な雰囲気を投入する。ガルシア=マルケスの『百年の孤独』をアドリブで読むことができたのが自分的にもよかった。午後三時に閉店。そのままスタッフ・ルームで某ネット雑誌のインタビューを受ける。さらに続けて打ち上げ。帰宅すると脱け殻です。しかし、どうにか午後八時に復活して、小説執筆のための脳のリカバーに入る。うう、おれ復旧。そして十七日、脱稿! 凄い原稿がしあがった気がして唖然とし、編集者からの五次元的“超・光速”レスポンスによって陶然となる。が、十八日からは余韻抜きに取材旅行に出発。十九日、取材二日めにして小説(としか呼びようのない“巨大な存在”)からの祝福を感じる。じつは仙台に滞在していたのだが、ZAZEN BOYS もこの日に@仙台ライブがあったので、お邪魔する。“in みちのく”のライブの予想外の荒々しさに痺れた。おれも闘わねば、とフンドシを締めて(締め直して)かかる。そんなもの穿いてないけど。牛を食いすぎた三日間を過ごして、二十日に帰宅。その夜は翌日に控えた雑誌アンケートのための準備作業に没頭。二十一日、まずは問題のアンケートにずばっと回答、それから旅行中に溜まったメール処理にいそしむ。夜、いよいよ 4DAYS 最終日の「神編」@神田三省堂であった。ネクタイなんぞを締めて、びしっとサインする。ああ、終わった……全部の師走のイベントが終わりました。そのまま『ゴッドスター』+CD『詩聖/詩声』そのものの打ち上げも、為す。ずっと並走してくれた新潮社の方々に感謝。二十二日。この日は冬至。お前のことは忘れていないよ冬至。二十二日から今年最後の作品(=小説)に着手。全日執筆。この日は新創刊された雑誌『エクス・ポ』がうちに届いた。お、こりゃいいな。読むところしかない雑誌って、凄いな。なんか表紙にはおれの写真が……しかもあの人とのツーショット……。来年は速度よりも濃度か、などと勝手に『エクス・ポ』占いまでした。二十四日、書いて書いて書いて、ターキーを喰らう。二十五日、いきなり物語が迷宮入り。塗炭の苦しみ。ブラック・クリスマス。執筆は一旦中断させて、『エスクァイア』誌のマグナム原稿に移る。幸い、これはいい感じで書けました。写真に文章をつけるって、愉しい。二十六日には小説の、すでに書き溜められていた原稿の十枚めから残らずリライト。逃げないで喰らい付くしかない。と、CSTV・ミステリチャンネルの「この10年のミステリ・ベストテン」なる番組で『アラビアの夜の種族』が第一位に選ばれたとの報が! すンばらしいなぁ。『アラビア』って、去年(二〇〇六年)は『PLAYBOY』誌の「10年間のベスト・ミステリー」第一位に選ばれてるし、ほんと凄ぇな。今度は二十年に一度の傑作を書かないとな。野望。そんなサプライズもあってか、二十七日朝にはやっと物語全体の透視が叶った。しかし、だからサクサク書けるわけではない。予定の脱稿日は二十八日で、ここで仕事納めをしたかったのだが、断念。書き上がらないとわかった瞬間の苦しみは、かなりの度合いだった。二十九日、またしても脱稿断念。しかし、全身で集中。三十日、万端の準備のはずが……午前中には二行しか書けず。己れに対する罵倒の嵐。またかよ。おれってこの程度かよ。とりあえず地元の界隈をひたすら歩き、世界との交流を図らんとする。仕事場に戻る。……脱稿。超ヤバい原稿。こんな内容(=激ノワール)で今年を締めるとは。つまり、そういうことなんだろう。カタルシスよりも虚脱感。達成感よりも疲弊。夜、人生反省会。で、現時点だ。この日記を綴っている大晦日のいまだ。大掃除は不可能なので“ミニ掃除”をした。心の大掃除だけは、している。心というか魂か。おれにまとめられるのは、ひと言。おれは過労死はしなかった。おれが死ぬ時は、あらゆる本をそれを必要としている魂(魂たち)に届け終えるか、届けられると確信した時だ。アディオス二〇〇七年。

2008年

一月前半

謹賀新年。いきなりだが業務連絡からはじめる。おれは二月一日から五月十日まで、引きこもりに突入する。『聖家族』脱稿のために“百日行”を敢行する。この期間、小説は『聖家族』のパーツ以外、執筆しない。編集者には会わない。出版社とは基本的に付き合わない。もちろん最低限の仕事はする。「BOAO」と「エスクァイア」誌のエッセイ&コラム連載は休まずつづける。それから地方紙に配信される隔月のライブ評(やら何やら)も新たにスタートさせる。あと、この日記もきちんと月二回、更新する。しかし、それ以外の生活はすべて『聖家族』に捧げる。これは本気の宣言だから、業界関係者は決して、決しておれを煩らわせないでくれ。人前に出ないといったら、出ない。今月に行なう朗読ギグが終わったら、半年間はイベントをしないと思う。まあ、すでに書きあげて入稿ずみの小説があるので“引きこもり”期間にも発表される作品はある。読者が飢えない程度には、あると思う。だから、もう、おれには触れないでほしい。以上、業務連絡、終了。さて元旦だ。起床二時間後に、『聖家族』最大のパートの一行めができる。ついに二〇〇八年がはじまったのだと痛烈に知る。二日、おれは「やはり小説はおもしろい」と肚で思う。そして、おれは「やっぱ文学のために生きて死のう」と決意を新たにする。そして三が日、終了。四日はTBSラジオのおれ番組のためのミーティング。五日は池袋にて『聖家族』に導かれる。心と魂が澄む。六日、鳥居ハンティングの季節が終わる。そして最後の東北取材旅行のためのリサーチ、開始。七日、初春の『ストーリードロップス』執筆。善い具合である。夜は弩級の中華ミーティング。かなり充実した。八日はおフレンチにて『聖家族』リリースのための戦略会議。かなり冷静に日程を見据えた。九日からは三日つづけて渋谷 O-nest での朗読ギグ「古川日出男×(虹釜太郎+鈴木康文)」のための作業。考えてみれば1・18も間近。まずは朗読用のテキストとして『マザー、ロックンロール、ファーザー』のショート・バージョンを編む。百枚の中編をおよそ三分の一にまで物語的に減量させた。根性が必要だったが、新たに文章を追加したり、通常の小説執筆とはまるで異なる作業で、得るものも多かった。そして十日の夜にスタジオに入り、虹釜さん鈴木さんとリハ。もろもろ考察する。一切は O-nest にむけての突貫工事である。おれ、ガテン系。翌日には『ロックンロール七部作』のスピンオフとなる掌編をいっきに執筆。その名も『エルビス2008』。これは当日、会場(の物販コーナー)で『ロックンロール七部作』の単行本をご購入されたかたに、プレゼントいたします。なんかさ、おまけとか付けないとと思って。おれ。他にも物販にはおまけがありますので、ご来場のかたは、よろしかったら。この日は朝日新聞のアンケートにも回答。しかし、このあたりから凄絶な頭痛に襲われはじめる。『聖家族』が書けとおれに言い、状況はおれに『聖家族』突入前にもろもろの雑務を全部処理せよと言う。後者が正しい。十二日は『ゴッドスター』がらみのインタビューの原稿をチェックして、それから脳を東北に移して『聖家族』取材旅行のミーティングを行ない、つづけて今秋に文庫化予定の『ボディ・アンド・ソウル』のための餃子ミーティング。かなりの脳分断。頭痛が……。翌十三日から、今度はほぼ“引きこもり”明けにこの世にドロップされる予定の文庫版『ベルカ、吠えないのか?』の作業に突入。ゲラに視線を落としつづける。十四日、イヌの系図に没頭しつつ、夜は横浜へ。共同通信のライブ評のために ZAZEN BOYS のマツリ・セッションを鑑賞。激ヤバい。その後、楽屋で向井さんと言葉を交わして、おれの現在と『ベルカ』の過去・現在とその他が絶妙にリンクする。勢いで、十五日、無事にゲラの確認を終えた。つづいて文庫のための後書きを執筆。ここでは「古川日出男×向井秀徳」についても言及。なんだか脱稿したらセンチメンタルさ。が、その後に小さなゲラが二つ控えていて、即座に処理。そしてこの日記を執筆。と、そんな感じで一月十五日までが過ぎる。これで二〇〇八年もぶじ二十四分の一が終わったかね。しっかりと弩級の過労だよ、すでに。しかし……しかし。引きこもりにさえ突入すれば。絶対におれは、する!!!

一月後半

いよいよ“引きこもり”までのカウントダウンの日々が進行する。記述も飛ばしていこう。十六日、TBSラジオの番組『古川日出男・東京・REMIXED』のために、午前十時には新宿区・箱根山に。いわゆる『ハル、ハル、ハル』のUFO山にて、収録がはじまる。そのまま青山、月島、麻布十番と移動しつづけて、語りつづける。スタッフに恵まれたようで、楽しい一日。翌十七日は朝、爆笑問題についてのエッセイをしたため、午後、『ベルカ、吠えないのか?』の文庫の巻頭に付けるイヌの系図の下書きをついに完成させて、夜、TBSのビル内にあるスタジオにて朗読レコーディング。十八日、午前中に共同通信の ZAZEN BOYS のライブ評を仕上げて入稿。午後、朗読ギグの会場である O-nest の近所のカフェにて『ベルカ』の打ち合わせ。その後、会場入りして、我らがユニット「古川日出男×(虹釜太郎+鈴木康文)」が顔合わせ。すかさずリハに突入する。妥協なしに進める。リハ後、『ベルカ』用の著者ポートレートの撮影。集中が途切れないように、物販スタッフ陣に挨拶をした後は、夕方の渋谷へ。ひたすら歩いて、テンションを高める。が、夕飯にと回転寿司を食したら、貝類がヘンな味がして、不安を覚える……。開演。レベルの高いアーティスト陣がそれぞれのジャンルの音を鳴らし、それぞれのジャンルの客がそれぞれのアガりかたでアガっている。いい感じの“雑種”のフロアだ。我々は三番めに登場して、『マザー、ロックンロール、ファーザー』のショート・バージョンを叩きつけるように演奏した。しかしながら、おれの脳は冷静に指揮棒を振りつづけている。虹釜さんと鈴木さんの音が、未知の映像をフロアに蒔いていた。サウンドスケープ/ランドスケープ。撒布というよりも、いわゆる種蒔き。それは我々のユニットにふさわしかったと思う。物語はきっちりとフロアに根付いたように思う。ありがとう虹釜さん鈴木さんお客さん。まあ、自分たちのことはさておき、質の高いイベントだった。これにて第一期・朗読ギグの終了。あとは『聖家族』のカタが本当につくまでは、おれは舞台には立たないし、立てない。一日だけ休息して、二十日、まずは初夏に刊行される雑誌のために「男の可愛げ」についてのエッセイを執筆。実際の締め切りは三月末とかだが、そんなの待っていたら引きこもれない。つづけてゲラ二つを処理して、夜、取材旅行の準備。そして二十一日から二十三日まで、福島県 3DAYS。雪に埋もれて、雪とともに『聖家族』を呼吸する。帰京した二十四日、おれを待ち受けているのは“師走、ふたたび”的な引きこもり進行であることを思い知らされる。とりあえず雑務を片っ端から処理する。二十六日、ゆらゆら帝国の坂本慎太郎さんと対談! 二十七日、BATIK の黒田育世さんと対談! 驚愕と感動の 2DAYS を経由して、二十八日はひさびさの書評を執筆し、それからタコライスのランチ会食。二十九日はリトルモアから三月に創刊される予定の新雑誌用にコラムを執筆。それから文庫『ベルカ』の作業を完全に終える。やった……。それから(これまた)三月に活字になる小説のゲラをチェック。すかさず外出して、『ストーリードロップス』用の取材。そのまま丸の内で展示されている冷凍マンモスと邂逅。この邂逅によって、『ベルカ』はおれの脳の中でも美しいエンディングを迎えたのであった。意味不明のひとは『ベルカ』の犬神の章を再読のこと。三十日の夜は『古川日出男・東京・REMIXED』の打ち上げのため、赤坂で離れのあずま屋会食。気がつけば酔っぱらっておる。そうだ、このラジオ番組に O-nest の朗読ギグの模様は挿入されないことになった。このサイトの以前のインフォメーションとは若干変更になりましたので、ごめんね。しかしながら、番組はよさそうである。そして三十一日。目下“師走、ふたたび”のおれにとっては、バーチャル大晦日だ。まずは『ストーリードロップス』第十一回をビシッと執筆。つづけてマグナム原稿に着手して、いっきに脱稿。午後は黒田育世さんとの対談原稿に目を通す。凄まじい“クリエーター・がち対談”で、なんだか嬉しい。そんなわけで、おれの疑似師走は終わった。この日記だって夜になる前に書いた。さあ、明日の朝目覚めたら、もう静かな日々です。少しだけさようなら。おれは物語の、魂の、異次元の……東北へ。さようなら。

二月前半

お元気ですか。こちらは静かです。雪が降ったり、積もったりするたびに、一切がおれのために起きている気がする。とても静かで、でも物語の音楽は聞こえている。一日が二十四時間なのは足りないけれども、それでもずっと『聖家族』の内側にいる。いろいろなものが見えている。ひとつだけ、春に創刊される文芸誌「モンキービジネス」用の短編のゲラを見る仕事をしたけれども、他はずっと東北にいる。あるいは歴史のなかにいる。たぶん、こんな時間をおれは何年も待っていた。書いている/読んでいる/直している。永遠にこんな冬ならばいいのに、ね。さあ、この日記はそろそろお終いにして、また東北に戻る。そのうちに。

二月後半

おひさしぶり。今日は月末で、閏日で、この日記を書いている。きょうはひさびさにエッセイも二つ書いた。連載のやつを。ひさびさに意識を『聖家族』から切り離した。でも、それでも『聖家族』は動きつづけているよ。生活はほぼ全部、そちらに奉仕されようとしている。今朝から、起床を早めた。一日が二十四時間ではやっぱり不足するからね、おれは睡眠時間を削る決断をした。明日からは新聞も止める。新聞を読まないで日々を過ごすなんて、十数年ぶりになるな。でも、いいんだ。他のことはどうでもいいんだ。そうだ、二十五日にすばらしいアニバーサリーがあったよ。おれは一九九八年の二月二十五日に『13』を出して、デビューした。あれからちょうど十年になったんだ。おめでとうおれ。ありがとうおれ。そして、また引きこもる。じゃあ、半月とか未来に。

三月前半

いろいろな手段でおれに「デビュー十周年おめでとう」という声を届けてくれた人がいた。感動した。体重がずいぶん落ちた。タワーレコードにCDを買い込みに行ったら偶然『エクス・ポ』特設コーナーを発見した。しばし見入った。アマゾンで注文していた iLL の新作『Dead Wonderland』が自宅に届く日に、少し先駆けてメーカーからサンプルが来た。感動した。四年半前に手首を折ってから無理だと思っていたブリッジが、突然できた。感動した。『聖家族』の過去の原稿を読んでいて、ボロボロ泣いた。チェルフィッチュの公演『フリータイム』を観に行った。招待状が来ていたけれども、その前に自分でチケットを購入していたので、そっちで行った。会場で知っている顔を見かけたけれども、誰とも話したくなかったので、話さなかった。いちばん最初に会場を出た。世界の外側から『聖家族』をノックするような出来事がふたつあった。meem のアルバムを買ったら、その thanks 欄に Kabuki Aki という名前があったこと。冠木秋はもちろん『聖家族』の登場人物だ。誰かが去年活字になった原稿を読んで、それを自分の“第二の名前”にしてくれたんだろうか。それともこの世のどこかにカブキ・アキさんがいるんだろうか。不思議だし、感動した。それから ASIAN KUNG-FU GENERATION の新作『ワールド ワールド ワールド』に収録された一曲の歌詞の冒頭のフレーズに、感動した。そこでも『聖家族』が現実とおれの彼岸を融かしていて。そんな気がして。いきなり『叱れフルカワヒデオ叱れ』の書籍の構造がわかった。一冊の本として、理解できた。感動した。角川書店と約束している長編の核が突然到来した。タイトルの変奏まで伴って。感動した。次回の『ストーリードロップス』がふっと降ってきた。それから魔の三日間があった。朝の八時前から執筆の準備をして、夜の九時半過ぎまで書いて、それでも全然時間が足りないと思って、呻いて、叫んで、壊れた。十四日に、二十年ぶりとかでジンマシンが出た。気管支がぜいぜい言い出して、鼻呼吸が不可能になった。糞、と思った。長生きしたい、と思った。もっともっと書きたい。本を読む時間がもっとほしいな、と真剣に感じた。ヒクソン・グレイシーのことを考えた。十五日に、ほぼ十時間ぶっ続けで『聖家族』を書いて、この小説が好きだなと思った。もっと。もっと書きたい。生きたい。神様。

三月後半

本当のことを言おう。死闘が続いている。少しずつ追われている。俺は何に追われているのか。時間が有限であることに、だ。四月十五日にひとつの山場が訪れる。『聖家族』の最大のパートを、書籍刊行前に雑誌にまとめて発表するために、入稿しなければならないのだ。もちろん、その後にも「引きこもり」解禁までに書き下ろし作業やら何やらがあるが、最大の山場はそれだ。つまり、あと半月後だ。半月しかない。と同時に、執筆の内容そのものも山場を迎えつつある。おれはこの小説で“東北”を書こうとしているように思われているが、本当は東北六県を舞台に“日本”そのものを書こうとしている。でも、そのものって何だ? それを目に見える形にすることこそが、『聖家族』というプロジェクトの核心だろうとも思う。きつい。背中が痛い。怨念のボードを張りつけているかのように。三月二十一日には、『聖家族』百日行の五十日めを迎えた。二十二日には、『聖家族』百日行が五十一日めに入った。それから、共同通信のために国立近代美術館で開催されていた「わたしいまめまいしたわ」展の評を書いた。三十一日、つまり日記を書いている本日なのだが、いつものように『ストーリードロップス』とマグナム原稿をしたためた。エッセイや美術評は、じつは、楽しんで書ける。なのに、小説の文章は違う。ぜんぜん、違う。たったひとつの段落を、三時間、四時間かけて全面的に直したり。句読点ひとつで死にそうになる。昔の原稿にルビをひとつ振るか、振らないかで夜中に唸って目覚める。小説よ、あんたは苛酷だよ。それでも『聖家族』には大きな飛躍が訪れた。二十四日に、ある登場人物が恐ろしいことをおれに明かしたんだ。二十八日には、構造が信じられないような強靭な設計図をおれに示したんだ。黙示かな。違うのかな。小説よ、小説よ、あんたを……おれは。もちろんおれは。

四月前半

いろいろな差し入れがあった。いろいろな形で。誰にも返事もできないでごめん。読めなかった本もあるし味わえなかったものもあるけれど、全部、ちゃんとおれに届いた。届いています。いちばんキツいところは四月の四日か五日に越えた。あまりはっきりとは憶えていない。翌週から突然、滑り出すような筆と溢れ出すような言葉を持った。最大の山場は十日に突破した。「ここさえクリアできれば、あとは」という箇所だった。その晩はひさしぶりに焼き肉を食べた。そういえば酒はほとんど飲んでいない。翌々日に、雑誌入稿分をアップした。それは感動的な脱稿のはずだが、虚脱した。さまざまな登場人物たちのエンディングが、すでに書かれてしまった。もう、彼らのその後をおれが描くことはないのだと思うと、つらかった。空洞を抱えた。なんていうか、自分の人生の目標をひとつ、失ってしまった感じだ。慶ぶべき(そして驚異的なレベルに達したはずの)脱稿なのに、虚しさに呆然としている。おかしな日だ。こんな脱稿は初めてだ。だが、もちろん、おれはここで虚脱し切るはずがない。なぜならば『聖家族』それ自体はまだ完結していないから。少しずつ回復しなければ。十三日、メールと宅配の二本立てで入稿する。担当編集者とは会わない。まだ出版業界の人間と会うわけにはいかないし、電話等で声を耳に入れるわけにもいかない。孤独になれ。より孤独になれ。ギリギリまで物語に自分を捧げろ。捧げて、贄になり切ってしまえ。「しまえ、しまえ、しまえ」とのマントラが続いている。今日は十五日。この百日行は、あと二十五日。

四月後半

とうとう『聖家族』の脱稿のめどが立った。いまは最後の書き下ろし章に入っている。じきに全体の何度めかのチェックに入り、削るところは削り、滑らかに変えるところは滑らせるだろう。本当にここまで来てしまったのだ。語れることは、他には、あまりない。百日行への救援物資が、この半月のあいだにも、幾つか届けられた。とても、とても感謝している。二つの雑誌の創刊に——おれ自身の入稿はぜんぜん何カ月も前だったけれども——立ち会うことができた。「モンキービジネス」誌は偶然、『サマーバケーションEP』の盟友・太公良さんが表紙を飾ることになった。とても軽やかな文芸誌だ。「真夜中」も、静かな眼識のようなものが、ひたひたと固有の重力を具えていて、よかった。二十五日、とても大切な出来事があった。文庫『ベルカ、吠えないのか?』の見本が届いたんだ。装丁はあえて単行本と同じにしてもらった。なんだか“ちびベルカ”という雰囲気だ。ひさしぶりに本を作ったような、思いがけない感動があった。まるで……まるでおれは作家みたいだ、と思って。おれが作家になったみたいだ、と思って。おれって作家だったんだっけ? いろいろなことを忘れて、ただ『聖家族』に没入している。もう一度、おれが現世に生まれる日は近づいている。じきに生まれる。

五月前半

脱稿した。つまり『聖家族』は完結した。脱稿した日にはジムに行って、五時間、運動した。膝が壊れそうになった。四月の十二日に感じた恐るべき虚脱は、さらに巨大化しておれを襲っていた。たとえばおれが脱け殻なのだとしたら、おれという皮を脱いで生まれ落ちたものは何なのだろう? どんな生物なのだろう? そして、たとえばおれがもう『聖家族』を新たに一行も書くことがないのだとしたら、と自問して、「実際にそうなんだよ」と自答せざるを得ず、悲しみを感じる。おれと『聖家族』、『聖家族』とおれ。脱稿翌日にバイク便で雑誌掲載分のゲラを受け取る。そこからゲラに没入する。枚数的にも内容的にも大部のパートなのに、読みやすい。その柔らかな感触に、一種、唖然とする。何かがはじまって、終わったのだということが、わかる(いったいおれは何を書いているんだ? この文章はあまりに意味不明だ。誰かに何かを伝えようとしている文章とは思えない。おれはおれ自身をコントロールできていないのか?)。ゲラに没入して、ゲラの朱をマスター・ファイルに写して、書籍入稿用のファイルを作成する。作家人生において最大のボリュームのファイルが、ここに生まれた。印刷したら、六時間かかった。そして百日行の、百日め。五月十日。太公良さんがデザインした UNIQLO のTシャツを着て、後書きめいたものを書き、入稿作業にむかう。太公良さんのそのTシャツには数字と鳥がモチーフとしてあって、『聖家族』の最後のパートは数字と鳥のモチーフが語られていて、そうしたシンクロニシティに、大きな“動き”を感じる(そのTシャツは太公良さんから前々日に贈ってもらったんだ)。入稿がすむと、やはり切なさに撃たれている。泣くかなと思ったけど、泣かなかった。夜、百日行を成就したお祝いをする。土鍋のフカヒレを食べた。美味かった。翌朝、おれはバージョン・アップした。おれは目下、古川日出男 G5.9.9 だ。コンピュータを起動して、メールを確認すると、日付が変わってから「ウェルカム下界」メールが入っていて、感激した。おれを待っている人もいたんだ。おれの百日行の達成を。昼には花まで届いた。いろんな人と連絡を取りあい、いろんな人からおめでとうと祝われて、何だか賞でももらったみたいだった。嬉しかった。『聖家族』を早く読みたいとも言われて。十二日に、百何日か振りで編集者と会った。他人と視線を合わせるのが下手になっているのが、わかった。それからこの日記を綴るまでの数日、自分の純度があまりに高められ過ぎていて、コミュニケーションに問題がしばしば生じているのを感じる。まあ、じきに慣れるんだろう。ここは下界だ。そして、秋には『聖家族』が刊行されるよ。他にもいろいろ、やれると思う。いろいろ、あると思う。少しずつ膝を下界に慣らす。膝を、下界の地面に慣らす。走るために。

五月後半

十六日の夜から意識のスイッチが柔らかく押される。その週末、出かけるべき場所に出かけ(水辺が多かった)、会うべき人に会い(優しい気持ちになった)、会う予定にもなかった人とも遇い(新しいことがはじまる気がした)、街に触れつづける。東京という街に、ほとんど既視感を覚えない。魂の東北から帰ってきて、まるっきり異なる次元の東京に出会いつづけているようだ。十代の終わりの頃や、三十歳前後の頃とおんなじような手触り。そういえば、おれの青春は二度あった。だから十代の終わりとかの頃や、三十歳前後の時期に。そして、そこから再び“作家”をめざすためのプロセス。十九日、翌日に『聖家族』脱稿以後では初となる文章をしたためるために、緊張する。違う文章が書けるんだろうか。どうなんだろうか。二十日、書き出す。東京都写真美術館で開催されたマリオ・ジャコメッリ展についての評。大きな不安はあったのだけれども、スッと入り込み、ジャコメッリの写真の深さにナチュラルに導かれて、書き終える。ちゃんとおれの文章で、ちゃんと手応えを感じられた。入稿する。夜、会食。「(おれの)皮膚や肉が柔らかくなった気がする」と言われた。そうかもしれない。そうなんだろう。自然に言葉が紡がれるような、良い会食の時間だった。そして、さらに再び“作家”に戻るために次なるプロセス。短編小説の執筆準備に入る。二十二日から、躊躇なしに執筆に入る。初日に二度落ちたが、あとはペースをつかむ。脱稿の直前だけは、つかんでいるペースをいったん放棄して、自分を追い込む。「この程度でいいのか? もっと、いけないのか? いけないなら、書かずに棄てろ」と。結局、いけた。なかなか苛烈だったけれども。二十六日に『叱れフルカワヒデオ叱れ』の作戦会議。意識のスイッチはいまや、したたかに押される段階に入る。いよいよ現実的にネクスト・ステージを見据える。もちろん、まだ見据えるだけで、焦りも足掻きもしない。足取りは堅実でなければならない。二十七日からは三日間、極秘の作業に没入。三十日は、朝、『ストーリードロップス』の第十五回の原稿を書く。もう十五回めに至った事実に、少し打たれる。その午後、ファッション・ブランド sunaokuwahara のデザイナー・桑原直さんと対談する。対話の場は隅田川沿いにあって……部屋にはずっと風が吹いてきていて……桑原さんの服作りとおれの創作の深い部分での“共振”が何度も何度もその風みたいに頭の中を吹き抜けて、対談の時間そのものが柔らかい輪郭を帯びるような、悦びに包まれた。三十一日、午前中にマグナム原稿を執筆。午後、取材旅行に発つ。そのまま五月の世界からおれは消える。どこかに泊まる。

六月前半

取材旅行から六月ははじまる。一日、目覚めるとおれはそこにいる。自宅ではないところに。そして全日歩き倒す。灼ける。翌日帰宅すると、足がボロボロになっている。が、不快ではない。むしろ爽快だ。そして同じその足で、夜、ユニット・メイトたちの待つ池袋の某地にむかう。じつに四カ月半も延び延びにしてしまったのだが、一月に O-nest で行なわれた「古川日出男×(虹釜太郎+鈴木康文)」の打ち上げに、ようよう漕ぎ着けた。虹釜さんと鈴木さん、ミス KIASMA の計四人で山椒を口内に弾けさせる(つまり四川料理だ)。密談もあった。三日、この週末に控えている青山ブックセンター六本木店の「古川日出男ナイトVol.6」の会場で配布するノベルティのねたを出す。それから「すばる」の打ち合わせ。四日、今度は『MUSIC』再起動の準備に入った。いよいよ、ありとあらゆる意識に覚醒のスパイスを撒いた。だが、それでもまだまだ、焦らない。五日、『狗塚カナリアによる「三きょうだいの歴史」』が掲載された「すばる」七月号の見本が届いた。ページを開いただけで、あふれる力があった。その誌面の力は、かつて『「見えない大学」附属図書館』や『ゴッドスター』が雑誌に一挙掲載された時に匹敵して、かつ物理的なボリューム(=分量)で超えている。しかし、おれはおれ自身には酔わない。陶酔はせずに、客観的に称揚した。六日、雑誌の企画でスティーヴ・エリクソンに宛てた手紙を書く。が、これはエリクソンさんに実際に出されるわけではない。念だけはちゃんと出して/飛ばしておく。午後、コバルトのロマン大賞の選考会。三百五十枚ほどの長編五作をしっかり読み込んで場に臨む。七日、夜に控えた「古川日出男ナイトVol.6」に備えて、午前中に軽い宅リハ。それから先月末に行なわれた桑原直さんとの対談原稿をチェックする。やはり、対談の瞬間も感じたように、柔らかで儚くて、でも堅実な風が吹き抜けているクリエイター×クリエイターの対話に仕上がっていた。そして六本木へ。某社との打ち合わせと、某社との待ち合わせを経て、ABC入り。物凄く青臭いことを書くんだけれど、イベントに集まってくれた人たちの顔を見て、自分と自分の作品が「愛されている」ことがわかった。本当に久々の朗読を、じりじりと熱量をあげつつ、演った。ノベルティとして、ベルカ紙幣を配布した。ずばり「100うぉん」。文春が最高のデザインの物を仕上げてくれて、あまりに完璧なノワール・テイストに感激した(おれも当日、手に取ったので)。この「100うぉん」は本の栞としても使えるので、ご活用ください。サイン会に入る直前、思いがけない人が来てくださっていたことが判明して、またまた感動。終わってからはその方々(お二人)も打ち上げにお誘いして、たっぷりとお話ができた。今年後半に、また凄いことができそうな予感。というか、演る! しかしながら人当たりが過ぎて四十時間弱、腑抜ける。脳ダウン。週が明けてから、ビートルズに関する長めのエッセイ「I Am The Walrus」を執筆。十二日、ふたたび小説の執筆に入る……入ろうと足掻き出す。低気圧で頭が痛い。コバルトの選評も上げる。十三日は中華会食。十四日、編集者に誘われて xiu xiu の来日公演に行き、ジェイミー・スチュワートの全身音楽家ぶりに完璧に殴り飛ばされる。興奮して編集者と飲み、語る。十五日、小説は毎日書き継がれている。ひさびさにデビルズ・ヘアカット。ここには盛り込めない“あれやこれや”もあって、気がつけば過労ロードがはじまっている。しかし、おれは本当はあまり疲れてはいない。愛がおれをチャージしている。そんな青臭いフレーズで、この日記は閉じる。

六月後半

いよいよ助走から疾走体勢に入りはじめた。あるいは強引に、ギアをチェンジさせられつつ、反射神経でそれに反応して、新しい種類の動物と化しつつある。霊長類ヒト科フルカワヒデオ属の新種。この新種が肉食獣なのか草食獣なのかは判明していない。たぶん雑食だと思われるが。十六日、『聖家族』プロモーション打ち合わせ。すべてをカウントダウンに入らせる準備。その夕方、なんと「明後日のお昼締め切り」の原稿があることがわかって、動揺。いろいろな連絡の食い違いであった。しかし、アイディアは数分で湧き、その数分後にはタイトルが生まれて、「お昼の三時間後だったら、入稿する」と告げる。十七日、エッセイのゲラと「モンキービジネス」第二号に載せる短編のゲラ。この短編『果実』は引きこもり明けに最初に手がけた小説で、完全に“異次元”である。それから三つの対談と二つのコラボレーションの連絡。十八日、脳を完全に切り替えて掌編『トトのアイ』執筆。納得のフィニッシュ。その後、翌月の取材旅行の手配。十九日にはエッセイのゲラ。それから秋の複数のイベントが起動しはじめ、二十日にはこの「絶賛過労中」の出張版?となる手書き日記エッセイの執筆。ところでエッセイだのゲラだの連絡だのと言っているが、おれは連日、ある小説を書いている。それを週末からどんどん書き進める。夏以降のさまざまな旅行の日程もどんどん詰める。二十二日、掌編ゲラ。そして二十五日までどんどん・どんどん・どんどん書いて、この日の正午前、『聖家族』全編のゲラを受け取る。そう、単行本の初校だ。嗚呼。凄いボリューム。重さ。そして密度も。この日は二つの打ち合わせ。それから二十六日にエッセイのゲラをひとつ見るも、基本は『聖家族』ゲラ。週半ばまでやっていた小説の執筆は中断して、ゲラ。「ハル、ハル、ハル」ならぬ、ゲラ、ゲラ、ゲラ。ひたすら“東北”という名の宇宙に呑み込まれる。本当は宇宙という名前の“東北”にいるんだが。要するにこれは、東北小説のふりをした宇宙=全体小説なんだが。そして——客観的に見て——完璧にこの小説は(この小説の書き手は)トチ狂ってる。まったく、誰が書いたんだよ? 読んでも読んでも終わらない。ある一行が百ページ前と百ページ後のそれぞれの一行(計二行)と反響していて、つまり一行が三行、三行が九行、九行が……無限だ。引きこもり明けにもプロジェクトを各種支度していなかったら、おれはたぶん、二度と新作を書けない身になっていただろう。廃業だよ。危ないところだった。だから、つまり、おれは霊長類ヒト科フルカワヒデオ属の新種として、いまや絶滅した宇宙の新世代に生きている。三畳紀の次がジュラ紀で、ジュラ紀の次が白亜紀で。このような地質年代的激動の渦中たる二十九日の夜に、太公良さん+おれのアート文芸ユニット!!!の発足会。「イエローパワー」。スポンサー募集。三十日は夕方六時まで『聖家族』ゲラがずっと続いて(言うところのゲラ脳である)、その後、TBSラジオとの会食のために都内某所へ。この会食が何を目的とした会食かといえば、なんと、今年二月三日にオンエアされた番組『古川日出男・東京・REMIXED』の打ち上げである。いったい何カ月が経過したのか……すみません。ずっと神隠しに遭っていたもので。しかも、その某所の駅前には近藤勇&土方歳三の連名のお墓が。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、目下「すばる」掲載中の『狗塚カナリアによる「三きょうだい」の歴史』には、新撰組がちょっとしたアイコンとして登場するので、驚愕。これは善兆である、と判断して、中華を食し、やや密談。さあ、あす目覚めたら超ゲラ脳だ!

七月前半

超ゲラ脳を起動させた状態でおれは七月を迎えた。一日に徹夜覚悟で『聖家族』のゲラを見る。しかし、どうにか徹夜には至らず、十二時前にいったん就寝して、翌朝六時台から作業再開。午前十時過ぎにあらゆる作業が完了した。十一時に編集者と待ち合わせしていたカフェに行き、ついに……ついに“それ”を手渡す。おれの手から『聖家族』が離れた。再校ゲラもあるにはあるが、実際のところ、最後のひと筆はもう加え終えたのだ。「いい顔をしてます」と担当に言われた。うん、そうだろうな。してるだろうな。それから二時間後だったろうか、ふと気づいたら、自分のバージョンが上がっていた。そう、おれはとうとう第六世代に入った。まだテスト・バージョンの G6 (test v.) ではあるが、その未知なる中央処理装置がインストールされた。おまけに筐体たるおれのボディも激変している。これに関しては、実際におれに対面している人間しか把握できていないだろうが。筐体と CPU とどちらも入れ替わったら“別人”なんじゃないかと哲学的に問いたい衝動に駆られたが、やめた。やめました。無限思考ループに入ったら怖いし。この夜、公演評をいずれ書く予定で Noism08 の舞台会場へ。あまりに素晴らしいので愕然とした。こんなエクストリームな境地に(Noism というか金森穣さんが)入るとは予想していなかったので——予感はあったんだけど、ここまで躊躇しないとは——昂揚した。翌三日、『聖家族』ゲラ作業のために締め切りを延ばしてもらっていた『ストーリードロップス』とマグナムのいつもの連載原稿を続けてアップ。しかも内容がいい。我ながらいいものを書けたと思って、珍しくご満悦。四日、極秘長編のゲラを受け取る。某フリーペーパー用にミックステープのリストを作る。今月内のスケジュールを大整理する。五日、いっきに『MUSIC』脳が思考の前面に出た。登場人物たちが蘇る。品川と五反田へ行き、物語/現実/おれを接続した。この日は ZAZEN BOYS の待望の新作の、マスタリング直後の音源が届いて、はっきりと震えた。揺れる音があり、揺さぶられる魂がある。最後にはもう泣きそうになった。凄い。その後、ちょっとした精神的トラブルを抱えつつ、京都へ飛ぶ。サミット直前のためにか街中にいる警察犬を見た。せっかくなのでそのシェパードのあとを尾ける。京都にいたのは三日間だ。すでに書いてある分の『MUSIC』を通読した。仏像と対話した。おれは鴨川が好きだ。九日、東京で目覚めると、ついに今年の初風邪。原因はストレスらしい。まあいいや。おれの筐体だってテスト版だしな。ミックステープの取材を受けて、『聖家族』のプレス用プルーフに付ける序文をしたため、その直後、寝込む。十日は朝の六時半に都内某公園に集合。『聖家族』のプロモーション用の写真撮影。単なるおれの肖像なのであるが、ずっと「ぴあ」誌で撮って下さっていたカキモトジュンコさんがカメラを握り、イメージを設定し、いっきに東北の森を現出させるシューティングだった。後半は小さな朗読会を開いて、朗読するおれをカキモトさんが追跡しながら撮りまくるという展開。そこにはやっぱり『聖家族』があった。それから自宅に戻って、熱が出はじめたためにボーッとして、午後三時に集英社。「早稲田文学」の仕掛け人である市川真人さんから『聖家族』に関するロング・インタビューを受ける。熱はスッとひき、言葉は生まれた。初のインタビューがロング(というか気分的にはローング)で、相手が市川さんでよかったな、とつくづく思った。思考を翻訳しないで、ナマのまま出せたように思う。夜は集英社チーム+市川さんと会食。いい感じの出陣式。翌十一日、大切な秘密のお祝いの日で、いろいろ秘密の祝福があって、ニッとした。嬉しさのあまり、十二日はもろもろのアイディアが炸裂。あがり過ぎる。その夜はイエローパワー+香港有志での会食。ピジン英語を使う。まだ風邪が抜けないままに、十四日、本格的な“小説”執筆再開のための態勢作り。そして夕方から詩人の和合亮一さんと対談する。和合さんは同郷の方で、ヤバい(というか衝撃の)同郷ネタが炸裂。おれの過去がどんどん東京駅地下の豚肉レストランに噴出する。わっはっは。いよいよおれの人生そのものが『聖家族』とリンクである。そして十五日、風邪はどうやら最終段階の“咳”に入った。雑務は全部済ませることにして、この日記も午前中に書いてしまう。これから湾岸に取材行に赴き、あとは執筆脳のプレ段階だ。それにしても、『聖家族』は本当に現実世界に降臨しそうだぜ。

七月後半

おれはなぜ作家なのか? それは「おれが、いま、ここで小説を書いているから」である。それ以外におれの作家としての存在証明はない。というわけで、七月後半は書きつづける。十七日に前日に書いた原稿を全部没にする。と、100倍いいシーンになった。十八日、さらにその原稿を頭から書き直す。と、101倍よくなった。執筆は順調(この推敲の嵐を順調と呼ぶのならば、だが)。しかしながら、夜は極秘長編のゲラに手間どる。そして十九日からの週末は書いて書いて書き、二十一日=海の日に労働量が極限に。翌二十二日、いったん小説を中断して、極秘ゲラに没頭。二十三日、目覚めて二時間のあいだに『叱れフルカワヒデオ叱れ』脳が爆発。凄い展開なりモチーフなりが閃きつづける。なんじゃこりゃーと唸る。午前中に極秘ゲラを担当編集者に渡してしまう。このゲラに関するインフォメーションはひと月後には明かせると思います。二十四日、『聖家族』プルーフ(校正刷り)の読者モニター大募集!!なるアイディアを編集者から伝えられて、告知ページのテスト版を確認。すっごい痛快。おのおのがたの挑戦を待ちます。それから共同通信用に Noism08 の『Nameless Hands』評を執筆、入稿。ダンス公演の文章化という試みは、むろん大変なのだが、仕上がりには満足できた。この夜、翌日の「エクス・ポナイト2」のための朗読の核心をつかんだ。二十五日は、午前中はしっかりと小説執筆。それから意識を切り替えて、午後、「ポナイト」用に宅リハ。四時前には渋谷に着いて、朗読のために街を歩きまわる。四時半から O-nest でリハ。ちょっと感動しまくったのだが、おれが声出ししていたら植野さん(ギター)イトケンさん(ドラムス)戸塚さん(リズムボックス)がどんどん参加というか参戦してきて、あっというまに完璧な音楽空間が生まれて、そのまま二十分とかノンストップで突き進んでしまった。昂揚。しかし、いきなり力が入って喉が潰れてしまったので、リハ後は独り、街に出る。再度の渋谷。たくさんの汗。終始無言のおれ。本番の三十分前には O-nest の楽屋に戻る。そして本番。読んだのは『怪物たち』全編だ。だいたい計八行ほど即興で削ったのだが、ほぼ短編まるごとを朗読した。なんだかステージがまるまる戦場だった。満員の客席にまでその熱量が充ち満ちているのがわかった。終演後、いろんな人から「よかった」と言われたのだが、その人たちの顔がなんとも「よかった顔」で、反響ぶりが嬉しかった。この日は楽屋で他の出演者の方々とも挨拶とかお話しとかできて、そこの部分も楽しく、そしてタイム・テーブルはやや押したが、もう一個の出番である作家の円城塔さんとの対談(司会は佐々木敦さん)も、ぶじに夜十時十五分とか?過ぎてスタート。じつは円城さんとお会いしたのは本番の数分前とかでこれが初対面、にもかかわらず最高の空気感で円城さんとも佐々木さんともお客さんとも「同じ時間」を味わえた気がする。もう少し話したかったけどね。いずれにしても満点のイベントだったなあ、第二期・朗読ギグの狼煙もあげられたしなあ、と余韻に浸るのも二十四時間限定。おれがなぜ作家なのかといえば「いま、ここで小説を書いているから」であって、ほれ、書け。二十七日は午前九時から午後九時過ぎまで、十二時間超の全日執筆を敢行する。そのチャレンジを、こなせた。翌日の午前中もテンションを落とさずに執筆を続行。午後は『聖家族』の二つめとなるロング・インタビュー。以前「日経ビジネスオンライン」で取材してくださった柳瀬博一さんにこちらから聞き手をお願いして、今月前半の一つめのロング・インタビューとはまるで違った角度から『聖家族』のもろもろについて語る。とてもフィジカルな内容の記事になりそうで、楽しい。その後、またもやカキモトジュンコさんに goo な撮影をしてもらって、会食。これで今月の予定は終わりに……ならず、二十九日は青山ブックセンター六本木店用の選書&コメント執筆と、「BOAO」のための取材行。三十日、いきなり『MUSIC』脳が爆発。いや、もう、大変なことである。そして七月最後の日たる三十一日。まずは「ストーリードロップス」を気持ちよく執筆。それからお昼前に『聖家族』の装丁ミーティング。おれはついに、装丁のラフを見た。この装丁の感想は——!!!!!!!!!!!!!!だ。ヤバすぎるよ、実物としての『聖家族』が言わば「もう、そこに」あるよ。昂揚してるんだか頭に血がのぼっているんだかわからない状態になったが、とにかく一時間ほどラフに見入った後は意識を切り替えて、マグナム原稿に着手。これまた気持ちよく執筆を了える。そして夜は THE BACK HORN のドラマーである松田晋二さんと対談@焼き鳥屋。なんと、対談のテーマは“福島”。こんなふうにおれがルーツの福島県について語ったことが、過去あっただろうか? いや、ない。しだいに松田さんが「永遠の後輩」に思えてきて(てゆうか凄いナイスガイ)、二軒めに流れて呑む。とても珍しいことに日付が変わってしまった。あれ? 日付が変わったら八月じゃねえか。では日記は強制終了。おれはおれで作家としての存在証明を続けているが、『聖家族』の咆哮の秋もマジ近いぜ。ガー。

八月前半

誰でも気づいているであろうが、ここのところ日記がどんどん長くなっている(ということにおれは前回気づいた)。しかも、この日記には“労働”の三分の二程度にしか言及というか記述を入れていない。かつ、基本的にプライベートっぽい出来事は記していない。なのにこの分量はマズいな……と反省しながら今回の記述に入る。八月三日。おれはアルバム『ZAZEN BOYS 4』に関して長めの文章を書いた。このアルバムの凄みに拮抗しうる「ガチ」の原稿に挑んだ。とりあえず、目的は成就したと思う。八月四日。旅と本に関するエッセイ・シリーズの初回を入稿した。そして八月五日から、おれも旅に出た。画家の大竹伸朗さんのもとを訪ねた。@四国の宇和島だ。長い時間、かたわらに居させてもらって、仕事場にもずいぶん滞在させてもらった。『聖家族』という巨編を仕上げて、本当は魂の底の底のほうで空っぽになってしまっているおれが、いままで目にしたことのない巨大さの中にすっぽり浸った。何て書いたらいいんだろう……この体験はただただ純粋なものだったとしか言い表わせない。少なくともこの十年間は感じたことのないような“透明な衝動”に、おれは触れて、「そうだよ書きゃあいいんだよ」と初期化された。それも、たぶん G6 的に。これ以上は言葉にできない。その旅から戻ると、韓国語版『ベルカ、吠えないのか?』の見本が自宅にドバッと届いていた。いい装丁だった。物語性が強くて、ポップで。好感が持てた。ただ、ドバッと届いたその見本といっしょに、家じゅうが大部のゲラと要チェックの原稿であふれていた。「うわ、此岸だ……」と呻きながら、それらの処理に取りかかる。八月十一日。『聖家族』のセルフ・レビューのつもりのエッセイを執筆。八月十二日。ゲラ二種。夜は ZAZEN BOYS のワンマン@渋谷 AX で、迫力がびしっと四人のメンバー間に凝集されているステージに圧倒される。その後の打ち上げでは、いろいろな人と話せて楽しかった。八月十三日。会食。八月十四日。京料理の宴。そして八月十五日。新しい(そして興奮する類いの)プロジェクトの数々がかなり具体的な次元で始動しはじめる。脳が純然たる執筆に飢えはじめ、かつ、執筆に対する恐怖も——極めて真っ当に——抱きはじめる。『聖家族』の再校ゲラは見終わって、刊行がほぼ四十日さきに迫りはじめる。そう、いまなら明かしていいだろう。『聖家族』の発売日は決定した。九月二十六日に、それはドロップされる。この此岸の全土に。

八月後半

そして凄絶なスケジュールにおれは突入した。もはや日付は記す余裕もない。あるいは記しても無意味だ。おれは疾走しているし、おれとおれの書くものは停滞もしている。停滞については最後に触れよう。まずは“善きこと”だけを羅列しよう。茂木健一郎さんと対談した。『聖家族』をめぐる対話だった。茂木さんの中にはハイ・ボルテージの知性と野性がわらわらと渦巻いていて、本当に刺激された。お話ししていて(あるいは呑んでいて)楽しかったし、なにより『聖家族』という作品に対する確信、勇気をもらった。『ボディ・アンド・ソウル』の文庫の再校ゲラを入手した。ここ最近の日記でずっと“極秘長編のゲラ”と匿名で言及してきたのが、文庫『ボディ』だ。おれの作品の中でも、ひそかに愛読者にあふれていて、かつ、表には出てこない小説。それを、とうとう、廉価版で出す。たぶん『聖家族』の副読本として読めるだろうし、フルカワヒデオというもの(=作家)を理解するためのテキストともなるだろう。やっと『ボディ』を世に滲透させるタイミングが到来したのだ、と思う。もちろん、この半月のあいだに再校ゲラは戻した。カバーその他もできてきた。発売は『聖家族』刊行の十一日後になる。虹釜太郎さん鈴木康文さんと四川部ナイジェリア編を遂行した。と書いても当事者以外には意味不明だろうが。いずれわれわれは関西の地に「音響の変」を起こすだろう。これは予言か? 実現するのは歳末か? まだ調整中だ。『聖家族』ロング・インタビューの原稿をチェックした。すばらしかった。九月には、『聖家族』刊行を前にして複数の“ためになる”読解テキストが続々発表されると思う。そして『聖家族』の、本文の校了が訪れた。目次その他のデザインも見た。カバーの色校も見た。あとやったのは、ストーリードロップス、マグナム、そして太公良さんとの「イエローパワー」定例会を含む、水面下のプロジェクト群進行。こんな感じだ。ここまでは勢いがある。さあ、じゃあ“悪しきこと”を書こう。今月の後半に入った途端に、おれの脳は『MUSIC』執筆態勢に切り替わった。ずっぽり、その世界に入った。『LOVE』の声も聞こえた。しかし、やはり切れた。接続が切れて、物語から見放された。当然だろう……この忙しさでは。だがおれは『MUSIC』が書きたい。胃痛に襲われた。夜中に数回目覚める酷さの。ほぼ三年ぶりの、胃潰瘍かとも疑う激痛だった。それでも『MUSIC』を見据えて、すると、本のエンディングが見えた。エンディングの、絵が。嬉しかった。しかし。苦しい。書いても書いても、削って削って、推敲して、原稿が消える。それでも書きたいという気持ちは変わらない。限界を超えたところで、おれは八時間ぶっ通しで『MUSIC』を書いた。翌日、体重を量ったらたった一日で激減していた。少々やばいレベルで。それでも、『MUSIC』の全体像は透視できた。安心した……した途端に、切れた。おれは試されている。書き下ろしの小説が、こんなにきついなんて。方策を探る。二つ、突破口らしきものを見据えた。うち一つのプロジェクトが、この書き下ろし作品を“書き下ろし”のまま露出させるかもしれない。刊行前に。これが実現したら、たぶん出版業界初の試みとなる。どうだろう、できるか? おれは願う。おれは祈る。助けてくれる人もいる。もしかしたらこの日記の読者の中には「いいから新作なんて書かないで、休めよ」と思う向きもあるかもしれない。「プロモーションに集中しろよ」と口添えする向きも。あるだろうな。いや、おれは集中してるよ。でもね、書きたいという気持ちは、抑えられないんだ。おれは何をめざしてるんだろう? 超ヒデオ。超フルカワヒデオ。おれはそれをめざしてるのか? 一つだけ日付を入れよう。今日は三十一日だ。そして八月三十一日の今日を入れて、今年はあと百二十三日だ。わかるか? 123。残すところは、ワン・ツー・スリー。その間に『聖家族』をドロップして、おれは何か、理解されるか? おれは自力で文学とカルチャーを変えられるか? これは野望であり過ぎるか? 「そんなはずはないだろ」とおれは即答する。いいか、おれは倒れても書いてるんだ。その点にだけは、矜持がある。さあ、九月だ。

九月前半

すり減らない燃え尽きない疲弊しない。しかし妥協しない。おれは走り飽きてはならないマラソンを生きている。前月から一転しておれは日付をどばどば召喚する。事情があるのだ。一日。とことん自分を追いつめて執筆。夕方の予定をひとつキャンセルしてまで『MUSIC』執筆。夜、佐々木敦さんによるロング・インタビュー。じつは「エクス・ポ」がおれスペシャル号を作ることになった。しかもフリーペーパーで。しかも『聖家族』発売日に配布開始で。そのための本気のインタビュー。佐々木さんと物凄い次元にまで主題(主題群)を掘り下げる。帰宅後、さらに「小説すばる」の『聖家族』特集をチェック。さらに七月に O-nest で行なわれたフルカワヒデオプラスのライブ映像を観る。二日。執筆。共同通信の次回の評の対象を発見。三日。書いた。書けた。それから旅に関するエッセイ・シリーズの第二回。これもいい原稿が書けた……が、なんと、諸般の事情でこの原稿は第三回(=最終回)に回さざるを得なくなり、来週、またこのシリーズの原稿を書くことに。怒濤の展開。夜、sunaokuwahara の春夏コレクション。白と黒が融けるステージ。あまりにも儚い、奇跡的な世界だった。四日。『MUSIC』で波をつかむ。乗り出したか? 五日。てきぱき仕事を処理。六日。「エクス・ポ」おれスペシャル号のために二十枚強の原稿をいっきに執筆。さらに一日の佐々木さんのロング・インタビューの原稿八十枚強をていねいに確認。完全チェック。この二つが終わったら夜の八時半を過ぎていた。七日。ひたすら『MUSIC』。十一時間ぶっ続けで地獄の執筆。いったん死んだが、超越現象的に復活。……やった。納得の出来。どうにか区切りのチャプターに至る。八日。この日に二〇〇九年以降のスケジュールを完全リセットする。何を書いて何を出して、何を棄てるか。いずれにせよこのロード・マップも、『聖家族』が実際に刊行されて“どのような”反響を得たかで大胆に変わるのだろうが、しかし。九日。まずは旅に関するエッセイ・シリーズの原稿、再び。これが最後の入稿だが、なぜか二回めの掲載となるやつ。しかしながら満足の文章をしたためられた。午後は『聖家族』のインタビュー。まずは女性誌、つづいて新聞。すでに過去に取材を受けている方々ばかりだったので、安心して語れた。そして『聖家族』の手応えを、はっきり得た。夜は翌日から着手する大事な原稿の起筆準備。十日。起筆。いい感じでスタート。そして午後からは黒田育世さんとの打ち合わせ@川崎市と新宿。え? 育世さんとのミーティングとは何か。じつは来年、おれは育世さんとコラボレーションの舞台を作る。「文学×ダンス」でどのようなもの・ことができるのか、渾身の挑戦をする。誰も見たことがないもの・ことが生まれるはずだ。あるいはおれたちは産もうと擦り切れるまで生きるはずだ。まずはその戸口。本格的な始動は秋から冬。十一日。いっきに着手中の原稿の“文章”に入れた。十二日。だが午前中は苦闘。頭をゴンゴンやって、午後突破。十三日。快調。つかめたか。いけるか。夕方から仲俣暁生さんからのロング・インタビューを受ける。もちろん『聖家族』について。二時間ほどの取材の終わりに、懐かしい話になる。二〇〇六年の五月五日にやった書店イベントのこと。おれがお願いして仲俣さんに対話の相手になってもらったこと。あの時はまだ人前でおれがイベントをやるのは二回めという段階で、しかもそのイベントの告知はほんの二週間前で、期間はゴールデンウィーク真っ只中だったのに、いっぱい人が来てくれて、おれは読者の愛とか、その愛から力をもらったこと。そんなことを思い出して語って、おれはまだ走らないといけないし、走り飽きたりしてはならないし、かつ仲俣さんが目の前で「僕も走ります!」と言ってくれている現実に感激する。十四日。目覚めた瞬間かその数分前から完璧に原稿に集中・没入モード。そして脱稿。この原稿のタイトルは『大竹伸朗のアトリエ』で、しかもただの紀行文でもノンフィクションでもない。これも小説だ。これが小説だ。まるで妥協なき世界。その原稿を受け取った編集者と、ちょうど個展開催のために上京されていた大竹さんと三人で夜、食事。というか飲む。飲みながら十五日。日付が変わる。どこかで帰宅して寝る。起きる。そして大急ぎでこの日記をしたためている。じきに午前九時になる。おれは九時半には出発する。どこに? ボルネオ。さあ、ここから海外取材の週がはじまる。乗り遅れたら大変だぜ。じゃあな!

九月後半

目覚めれば九月の後半はボルネオだった。おれは地球で三番めに大きな島にいた。角川書店の二人の編集者といっしょに。かなり濃度の高い取材ができた。凹むところもあれば凸るところもあり、だからこそ収穫豊富な取材だ。が、取材って何? 角川書店とって何? もちろん新しい小説だとは告げておこう。それ以上は告げないでおこう。なにしろ今月は『聖家族』降誕の月なのだから。取材のテーマも明かさないでおこう。が、そのようにして“凄い”取材が続いて、十九日の夜遅くに帰宅。ヘロヘロ。いかにヘロヘロだったかは、翌朝起きてみて痛感された。使い物にならんわ、おれ。とりあえずこの日の午前に連絡を二十件ほど処理する。それから午後、埼玉に赴き、勅使川原三郎の『Here to Here』を観る。いっきに目が覚める。本当にシャキッとしてしまった。なんなんだこれは? クオリティという言葉はこの舞台のためにある。勅使川原さんのダンスは二十年観続けているが、とうとう、ここまで来た。その後、家に帰ると、或る原稿に関しての大切なリアクション、あり。第六世代のおれはアルファ・テストをぶじ通過して、バージョン・ベータになったことが判明した。二十一日からコバルト・ノベル大賞の選考作業に入る。二十二日にはなんと、来月末の TOWER RECOREDS 2 days が決定。いや、もう、大変な事態だ。この日はタワレコ渋谷店用にリコメンドのCD三枚と本三冊も決めて、その推薦コメントも書く。二十三日にはあの(おれ自身が“なにごとか”を突き抜けた)短編『大竹伸朗のアトリエ』のゲラ作業。夜は京料理の宴。二十四日は午前中から『聖家族』インタビュー。それから雑誌「Coyote」のために勝手な世界冒険文学全集10冊をセレクト。連絡しなければならない事項が多々。雑事、マックスまで増える。二十五日、共同通信のために「トレース・エレメンツ—日豪の写真メディアにおける精神と記憶」展の評を書く。拙著『沈黙』を回顧するエッセイを書く。そして二十一日から準備を続けてきたコバルト・ノベル大賞の選考会に赴く。議論に議論が重なり長引いた選考会だが、どうにか着地。楽しく呑む。で、目覚めれば今度は九月二十六日で、そう……『聖家族』発売日だった。茂木健一郎さんとの対談原稿をチェックして、他に二点のゲラをチェックし、夜、『聖家族』発売(とその他もろもろ)を祝う。その後、翌日の京都イベントに向けて朗読の宅リハ。二十七日朝も宅リハ。それからすかさず東京駅へ。京都に到着して、ガケ書房入り。夕方四時からイベントがはじまった。おれはもちろん『聖家族』は読んだのだが、ほかに『MUSIC』の、京都が舞台の長めのエピソードも朗読した。京都の土地で、京都が舞台の未発表の原稿を声に出して、それを京都の読者が真剣に聞いてくれていて、なんだか足とか地の底から力が噴出してきて、とても……とてもいい“声”が引き出せた。ありがとう京都、そして、ありがとう@ガケ書房のあの日の皆。その後、幸せを噛みしめるような打ち上げ。ホテルに戻ってからは、『MUSIC』取材のために夜の京都市内を歩く。翌朝も、『MUSIC』取材のために歩く。それから『聖家族』のプロモーションのために五軒の書店を回る。ふたたび新幹線に乗って、帰宅。またもやヘロヘロ。さすがに限界が近いな……などと泣きごとを言う余裕は皆無。二十九日はまず、『ストーリードロップス』執筆。なんと最終回だ。このエッセイのための素晴らしい“舞台”を用意できた。入稿後、外科へ。じつは肉体に(かなり不安な)支障が出ていたのだが、医者に診てもらう暇がないまま日々が進んでいた。やっとその時間を捻出できた。結果、さほど問題はなし。プロモ活動も行なえることが判明して、安心。しかし病院から戻ると、またもや待つのは雑事の山。それを片づけて、今度はマグナム原稿。なんと、これも最終回だ。そして納得の“最後の一文”をしたためられた。これなら自信と自負を持てる類いの一年間の連載の締めだよ。それからさらにゲラ一点。三十日、今度は『聖家族』プロモーションのために都内と神奈川県内の八軒の書店を回る。これもかなり……ヘロヘロ。しかしながら『聖家族』がちゃんと売れていると報告してくれるお店もあり、そこは心底嬉しかった。なんとか……どうにか頑張りつづけないとな。しかしさ、おれ、過労が明らかに256倍で加速しつづけてるな。このまま行ったらどうなっちゃうんだろう? という漠たる(または明々白々な)不安を抱えながら、夕飯前に河出書房新社の編集者と落ち合う。そして手渡されたのは『ボディ・アンド・ソウル』の文庫版の見本だ。嗚呼、なんたる強さ、なんたる切り込み。ついに、ついに、これも……ちび『ボディ』もできたんだね。お前に勇気をもらって、おれは、神無月に翔ぶ!

十月前半

神無月には全く以て神はいなかった。むろんこの十月もいまだ前半なので断言はできないのだが。とはいえ実際、おれは自力でサバイブしている。すなわち神頼み不能。いま、日記を綴らんがためにここ十五日間のスケジュールを手帳で確認し直していたら……正直言って卒倒しそうになった。が、卒倒してたら日記も書けないわけだから、どうにか意識を保って記述を開始しよう。一日。黒田育世さんとのステージ用のテキストの大きな構造をいきなり把む。コバルト・ノベル大賞の選評を執筆。二日。『聖家族』プロモーションのために東京都内の八軒の書店を回る。大竹伸朗さんとの対談原稿、なんと116枚超——原稿用紙にして!——のチェックに入る。レコーディングと年内のライブの予定を詰める。レコーディングについては後述。三日。朝食の直後から大竹さんとの対談原稿に没頭する。内容に密度、あり。かつ無駄な語りなし。ほぼ朱要らずか? 凄ぇな。その後、大急ぎで書店回りに出発。本日は都心部の七軒。しかし一軒は撃沈。「いま来客中で忙しいから、三、四時間後にまた来て」とあっさり追い返される。おれがお店にお邪魔するって約束はしていたのだが……残念ながら“フルカワは客に値せず”なのだろうか? 嗚呼。しかしメゲず。愛おしい書店もあるのだからして。残りのお店をしっかりと訪ねて、ていねいに販促。全予定を消化してから、今度は集英社の社屋に赴いて『聖家族』のサイン本を作成す。さらにそれから、単身、河出書房新社の社屋に赴いて『ボディ・アンド・ソウル』のサイン本を作成す。まあ100冊程度。だいたい午後六時をすぎた段階でおれ自身が撃沈状態。四日。じつは前の夜にちび『ボディ』の打ち上げもしているので、ほとんど脱皮直後のセミ状態。全身のどこにも力が入らない。にもかかわらず、この日の午後は三省堂書店神保町本店にて『聖家族』刊行記念イベントの第二弾、それも岸本佐知子さんとの待望のトーク・セッションなのである。控室にて岸本さんと一年三カ月ぶりに再会……するも、おれが“弱っている”ことは即座に見透かされる。で、本番は? そんな弱体化したレベル3のおれを岸本さんが女神のように導かれて、中盤からレベル10に回復。気がつけば大成功。いや……本当に……よかった……デンジャラスだった。岸本さんブリリアント。本番後はまたまた『聖家族』サイン本を作ってから、何だかオールスターキャスト揃い踏みの打ち上げ。とはいえ二次会に付きあう力など皆無で、早々に帰宅。午後八時過ぎには意識をなくして就寝。五日。疲労大放出。こんな状態でも消化できる予定はなに? と模索してデビルズヘアカット。でも街を散策しているだけで腹痛やら何やらに襲われて蒼ざめる始末。はっきり限界。短髪化のみを果たして、休む。六日。「Coyote」の特集用にと、“冒険”を定義するエッセイを執筆。ゲラが一点。それから「人生を変えた一冊」についての——『聖家族』とは無関係の——インタビューを受ける。七日。今度は「Coyote」用に、おれが先月選んだ世界冒険文学全集10冊それぞれについてのコメント取材。こののち、ボルネオ脳が再び浮上。八日。朝から東北新幹線に乗り込んで一路、宮城県へ。言わずとしれた東北六県小説『聖家族』のプロモーションのために仙台市内の書店七軒を回る。それから新聞(東北地方のブロック紙である)の取材。日没後には東北新幹線に乗り込んで一路、東京都へ。渋谷で相対性理論のライブ。会場で「野性時代」の担当編集者らと落ち合い、すばらしい演奏を聞いて美味な酒を呑んで、あとはロビーで密談。十日。朝っぱらに『叱れフルカワヒデオ叱れ』の次回の最重要アイディアが炸裂。昼は太公良さんとランチ。じつは太公良さんが『ベルカ、吠えないのか?』をモチーフにTシャツを作成するという、その名もずばり“ベルカT”プロジェクトが進行中。この日はそのラフを見せてもらう。おおお! とてもヨイ!! いっきにアガる。そしてイエローパワーの第一弾の作業に関しても、具体的なところで前進。その後、夕方には「ぴあ」誌の取材。じつはこの雑誌はおれに本当によくしてくれていて、『ロックンロール七部作』以降、おれの全著作を取材して下さってる。いつものように感動が肺腑に滲みる。そして撮影は(これが何度めの『聖家族』ショットのコラボとなるのか)カキモトジュンコさん。そのショットにて、おれは神木と接触す。さらに夜、「BOAO」の編集者らと最後のBOAO会。次号が最終号なので……なんか切ない。十一日。とうとう七回めの開催となる「古川日出男ナイト」@青山ブックセンター六本木店の日。日中にしっかり宅リハをこなし、演目も練り込む。そして夜の本番。東北弁朗読と、それから『MUSIC』の未発表シーンの朗読。後者は京都イベント@ガケ書房と対比を成すような形で、東京が舞台のエピソードを選択した。相変わらず、ナイトではナイトならではの(この会にしかない)不思議な親密さがあふれている。それはおれにとって救いに近い。サイン会まで終えてから、集英社の担当編集者たちとこぢんまりとした、そして、とても幸せな打ち上げ。十二日。ここまでの怒濤の『聖家族』販促スケジュールをこなして、もはや“余力”など己れの内にはないことを目覚めて知る。復活のために、強引に休息。突然だが「う巻きの日」と決めた。おれは馬鹿高いオーガニック卵を某高級スーパーにて入手して、う巻きを作った。それから出汁巻き玉子も。しかし、即座には復調不可。十三日。今度はいきなりだが勝沼のワイナリーに飛び、そこで産直のワインを入手。この帰路、わずか一日と半日だが“やりたいことをやった”おかげで、本格的に復活しつつある自分を感じる。よかった……。というわけで、夜からは過労にバック。翌日のレコーディングにむけて鬼のような準備。朗読用のテキストをていねいに作成して、CDの収録時間を考慮しながら何度も構想を練り、練り直し、宅リハとともに全体の起伏の調整。脳味噌が発熱するまで集中する。就寝。が、眠りながらも朗読の練習をつづけていたようで、何度も自分の寝言で夜中に起きる。おれ自身が鬼化。十四日。朝。スタジオにむかって出発するまではギリギリまで“読み”とテキストの手直し。それで、いったいレコーディングって何なのか? じつは今年の七月二十五日に O-nest のステージに登場したフルカワヒデオプラスのメンバーで、CDを発売することになったのだ。そして、おれは『MUSIC』を音声・音響版として先行リリースすることに決めたのだ。むろん『MUSIC』は書き下ろしだ。だから活字はどこにも発表されない。しかし、音なら? これがおれの試みだ。無謀な挑戦。もちろん公になるのは『MUSIC』の部分——フルCDに収録可能な範囲での再編成・断章版——だし、かつ、このCD内で息(=声)を吹き込まれるテキストは、いずれ本になるであろう『MUSIC』とは異なる“CDオリジナル”のものとも、する。それはCDの価値を逆に高めるだろう。いつかは、むろん、本をも。さあ、説明はここまでだ。十四日の“日記”に戻ろう。そして昼、おれはスタジオ入りした。そこはピーススタジオ、そう……あの(というか、かの!)中村宗一郎さんのスタジオだ。それだけで感激。イトケンさん戸塚さん植野さんと順に再会して、いよいよレコーディング。録り直しも含めて、鬼の、というより羅刹の集中。唸るような出来で一曲の録音が終了するごとに、「はい、オーケーです!」とマイクにむかってパッと告げられる瞬間、あれが……あれが凄い達成だった。かつ、おれは“羅刹化”をしっかり遂げていた。やっぱり。その後はミックス作業時に鈴木康文さんにスタジオまで来ていただき、今度は別室にて別件の打ち合わせ。年末に目論まれている「古川日出男×(虹釜太郎+鈴木康文)」でのライブの、もろもろを調整。そうなのだ、こちらのユニットのわれわれは十二月の京都にて、二度、活動再開の狼煙をあげる心積もりなのだ。とにかく、そんなこんなで十四日は何もかもが満足の日。おれの肉体は新たに生まれようとしている小説と、ちゃんと一体化していることが証明できた。おれ自身に。一体化……羅刹化。よし!! そして十五日。育世さんとのステージ用の小説を書くために、都内某所にて取材し、大いに手応え得る。なにより「書きたい、書きたい」との思いに溢れている。いけるか? いけるだろう。おれはおれ頼みで。が、直後に事件勃発。まだオフレコの問題が生じて、今月とそれ以降の執筆予定が大幅に狂う……というか、未定状態に。どうなるのか。苦悶にうなされながら、夜、美味四川で会食。来年後半から起動するやもしれない企画の会議。しかし、来年後半の予定が一時間半前に未定になったんだよなぁ、と悶々。まあいいや。ワインも美味いし。さらにその後、大竹伸朗さんが上京されているので新宿にて合流。大竹さんはおれの『大竹伸朗のアトリエ』も読んで下さってるし、大部の対談原稿のまとめも気に入って下さってて、なんとも素晴らしい打ち上げ気分。もっと語りたいのをグッとこらえて、日付が変わる前に帰宅。そして日記の執筆。しかし、この日記……書いても書いても終わらん。寝る。結局、日付は変わる。日付が変わってからのことを書くのはルール違反なのだが、全部で三時間を費やしてやっとこれ(=日記)が書き終わった。いまから入稿します……嗚呼。人生でいちばん長い半月だったぜ。

十月後半

十六日から二十日まではひたすら『ブ、ブルー』の執筆に専念した。その合間にこなした仕事は、一、某社でスタートする某世界文学叢書のためのコメント。二、次号「Coyote」の特集・世界冒険文学全集のゲラと追加原稿。「Coyote」に書いたエッセイを読み直したら、凄くいい内容なので感心した。しかしおれ、わずか十三日前に書いた原稿の中味を完全に失念していて大丈夫なのか? まあいいや。それと、『ブ、ブルー』の世界に没入しながらも、夜にはマスタリングを終えたフルカワヒデオプラスの音源も何度か聞いた。このCDは、はじまりと終わりが素晴らしい。そういうのって、まるで“いい映画”の条件みたいだ。だが、これは映画ではない。音楽でもあって文学でもあるもの。聞き終えると、ちゃんと読後感がある。そのことに感動する。かつ、そうした驚異さを成立させてくれたメンバーの力量に感服する。ギターの植野隆司さん of テニスコーツが収録直後、「言葉(=おれのテキスト)を聞きながらその場で作曲しているようだった」と感想を口にされてたけど、そういう“表現の発生する現場”が見事に封印されている感じを覚える。音の臨場感もさすが@ピース。で、二十日におれは『ブ、ブルー』を脱稿する。予定どおりの着地、予想以上のクオリティ。さて、それで『ブ、ブルー』とはなんなのか? これは来年二月に上演される、黒田育世さんとのコラボレーションのための上演用テキストだ。上演用、とはいっても、書いたのは小説だ。別におれは戯曲を書くわけではない。そして、この舞台にはおれと育世さんしか出演しない。二人だけだ。育世さんはそれを——当然——“デュエット”と呼んでいる。さて、なにが生まれるのか? というわけで、脱稿した原稿をさっそく育世さんにファックスして、翌二十一日には音楽担当の松本じろさんも交えてミーティング。稽古初日にして作戦会議。すでに育世さんが練りあげていた構成をさらに練り、設営その他も検討。本格的な稽古に入るのは十二月後半からだが、その十二月と来年一月の稽古も数日増やすことを決定。超本気となる。なにしろ舞台を作るなんて、十七年ぶりだ。そして、おれは文学をする人間のまま、この創作に携わる。めざしているのは、ダンスでもあって文学でもあるもの。そして、もちろん、それ以上にもなって名付け得ないもの。しかし読後感は与えたい。二十二日からは通常モードに回帰。この日は『聖家族』の二件の取材がある。二つめはふたたび仲俣暁生さんがインタビュアーを務められ、単なる作品論以上に突っ込んだ話となり、いろんな意味で勇気をもらった。この夜、角川書店用の新作が大きな胎動をはじめる。ついに。二十三日はゲラ三点。話し合い一件。その夜、真実のG6のマップが描き出される。第六世代のフルカワヒデオの、引き直されたロード・マップが。それから『聖家族』刊行後の最大にして最後のトピック、TOWER RECOREDS 2 days がとうとう週末に訪れた。まずは二十五日、タワレコ@渋谷! 東北弁を全面的にフィーチャーした渾身の朗読ギグ。達成感と反響、ともに大。「いままで見た朗読のなかでいちばんよかった」との声も、直後のサイン会で聞かれた。わざわざ山形から来てくれたお客さんもいた。感激。この日はフルカワヒデオプラスのCDの発売告知も初めて行なわれた。ついで二十六日、タワレコ@新宿! 会場入りの前に太公良さんと某所で合流して、サンプルがあがってきたばかりの“ベルカT”数点(色、プリント別)を実際に手にとり、検討。かっちょいい。で、発売予定とした色のTシャツを着て朗読ギグに臨むことに。前日、あまりに朗読で達成感があったので、「それを超える、または匹敵する次元に至るには、どうしたらよいのか?」と自分を追い込み、『聖家族』から音楽中心の挿話を選んでセットリストを構築、開演となるや一気に飛んだ。おれの朗読人生中、最高速の“読み”にも至り……ヤバい。完璧に燃え尽きる彼岸のヤバさで三十分間のギグを終える。そして前日同様に、佐々木敦さんにリードしてもらってトーク・セッションをこなし、気がつけば 2 days はどちらも盛況のうちに幕を閉じていた。いや、もう、感動です。ここには書き切れない感動エピソードは他にも満載でした。とりあえず、この日は大満足の打ち上げ。もの凄く楽しい飲み会だった。翌二十七日は、神田に赴いて柴田元幸さんにインタビュー(おれが、柴田さんに)。ひさかたぶりに柴田さんにお会いして、ただちに深い対話に入れて、一ファンに戻ってしまう歓びがあった。柴田さんにも「楽しかった」と言ってもらえた! この日をもって頭を切り替え、いよいよG6のベータ・テストが終了しそうな気配を感じとる。小説執筆を再開しながら、二十九日には午後、虹釜太郎さん鈴木康文さんとスタジオ入り。さまざまな地下活動の仕込みを行なう。夜は四川部ヒツジ編。それから三十日、三十一日と九割がた執筆のみに集中。いいな。いい感じだ。おれはあらゆる人たちと出会い、あらゆる作業を行ない、しかし“核心”たるものは揺るがせていない、ただの作家馬鹿か馬鹿作家だ。後者でもいいや。

十一月前半

そしておれは小説を書いている。この日記に割く時間すらない様相で。なにかが狂いはじめた。おれはその誤差を必死に調整しようとしている。だから、ほんとうは、こんな日記なんかうっちゃってしまって、書かないで(あるいは十日遅れにでもひと月遅れにでもして)すませてしまえばいいのだろう。だが、おれは約束したことは守りたい。おれがいろいろな物事に翻弄されはじめたのは、おれのまわりに「約束を守らない」勢力があるからだ。だからおれは、おれの立ち位置だけは死守しよう。いま書いている小説は、今月二十日まで続ける予定の原稿だ。そして今月三日までは、おれは別の小説を書いていた。自分でも納得のゆく書きかたをして、脱稿日を守って、納得のゆくクオリティで仕上げた。その間にもいろいろあった。一日、まだ明かせない大きな依頼があった。身震いした。二日。アルバム『ZAZEN BOYS 4』に関する原稿が、向井さんのサイトに大きく掲載された。マツリスタジオから連絡を受けて確認して、本当に感激した。まるでオフィシャル・ライナーのようなインパクトがあって。そして三日、脱稿した。それからつぎの小説に入った。新しい小説だ。もちろん、ここからもいろいろあった。フルカワヒデオプラスのCD『MUSIC: 無謀の季節』のパッケージ・デザインを打ち合わせた。『聖家族』の取材を受けた。ベルカTシャツの実物がうちに届いて、唸った。八日にはオープン仕立てのブックファースト新宿店で、いしいしんじさんとイベントをした。いしいさんはおれのために、しめ鯖を持ってきてくれた(おれたちは初対面だ)。美味しかった。いしいさんに、会えてよかった。他にも、いろいろあった。麓健一さんのアルバム『美化』のコメントを書いた。胸がとても震えるアルバムだった。それから、相対性理論のアルバム『ハイファイ新書』もサンプル CDR で聞いて、コメントを書いた。エンディングの痛快さに撃たれるアルバムだった。それから、たとえば十二日になった。おれはこの日に来た仕事の依頼を断わった。また断わった。おれは今月に入ってから、来る仕事をほとんど断わりつづけている。そのたびに恐縮し、あるいは、そのたびに“断わる作業”に時間をとられている。誠意を持って断わりたいと思って。そんなこと、する必要はないんだろうに。それから、いろいろあった。そうだ、十五日にはゲラを二点、見た。あとは小説を書いている。足掻いている。すこしずつ、進む。進んでいる。いいか、二十日までだぞ、と自分に言い聞かせる。すべては二十日までの闘いなんだ。しかし、こんな日記、人に見せるものじゃないな。おれに言えるのは、どうしてもおれは妥協できない性格だ、ということだ。あと、今回の内容とはかかわらずにずっと前から決めていたことを、ひとつ、書く。この『聖家族』サイトの日記は、あと三回で、終わる。だんだんとおれの作業が『聖家族』(の販促のもろもろ)から離れてきたし、あの作品以外のことばかり綴る日記は、モラルとして載せられないからだ。ここまで全部、おれは集英社の厚意でやってきた。——ご厚意、って丁寧語にしたほうが適切なんだろうが。しかし、それは、そろそろフィニッシュだ。だから、この日記はあと三回。ここからカウントダウンをはじめる。「あと、3」。

十一月後半

おれは脱稿しなかった。しかし、入稿はした。二十日に。予定の半分にしか枚数は達せず、物語は予定の三分の一も進行しなかった。何度も何度もパニックに陥って、締め切り当日も昼に壊れた。そんなおれに、しかし、担当編集者たちは理解を示してくれた。おれは二人の担当から言葉をもらって、それで、とにかく作品とおれの関係だけを考えて執筆を進めた。とにかく一行も、ひと言も、妥協しないで、書いた。そして入稿した。入稿した部分までは、何ら不満はない。満足しかない。そうした原稿だった。二十一日。おれは静かに未来を見据えた。二十二日。おれは法政大学の市ケ谷キャンパスに赴いて、『アクロス、ザ・ユニバース』というイベントに出演した。先月の TOWER RECOREDS でのイベントの際に、ある読者から「今度ケルアックの詩を朗読してもらえないか」とのリクエストを受けていて、それが何か頭に強く残っていたので、三つの演目のうちの一つはケルアックの『メキシコ・シティ・ブルース』にした。それもコーラスを自分なりに編集して、いい感じの“入門編ケルアック”ができたような手ごたえがあった。それと、出演陣の演劇集団・快快(faifai)がリハで観たときから相当「お!」という雰囲気だったので、その流れも受けて朗読のテイストを構築した。なんていうか、おもしろいイベントだった。打ち上げに参加したら、学生と劇団員に挟まれている感じが、ノスタルジア的に「ホーム(not アウェイ)だなぁ」と思わせた。おれの頬に柔らかさが、生じた。二十三日。そして、また、おれは、静かに、未来を、見据えた。二十五日。共同通信用に『大琳派展』の評を書き、『聖家族』のインタビューを受け、CD『MUSIC: 無謀の季節』のインタビューを受けた。美術から文学、音楽へと、ナチュラルに、そして大きな幅を持って脳がゆれた。慰撫するようにゆれた。二十六日。朝、苦闘した小説のゲラを受け取り、担当のひとりと話した。夜、コバルトの謝恩パーティに出た。今年は講評のスピーチとかもないので、いっぱい楽しく呑んだ。パーティの会場では阿部和重さんから声をかけられ、久々に話すことができて、とても嬉しかった。二十八日。おれは苦闘した小説のゲラを、ゆっくり読んだ。そこには苦闘のあとはなかった。美しい小説で、おれが G6 という自分のバージョンでめざそうとしている「読みやすさ」が、ちゃんと、あった。そして、おれはわかった。おれはベータ・テストがついに終了したことがわかった。この瞬間から、おれは第六世代になった。第六世代の古川日出男に。あまりにも予想外の、ゆるやかな移行だった。二十九日。多摩美術大学における安藤礼二さんの特別講義に招かれて、八王子に行った。この特別講義@大ホールは「GIG」とのタイトルが付いていたので、おれはギグとして前半、真剣に朗読に臨んだ。本能が『8ドッグズ』を読めと命じたので、それを読んだ。ただし、場所が場所だけに、エロいシーンは全部省いた。それでも冒頭からエンディングまで、四十五分間、集中して読んだ。後半は安藤さんとの対談で、質疑応答のときにはサプライズ(の仕込み)で作家の福永信さんが客席からおれに質問してくださった。お会いするのは初めてで、なのにとてもいい質問とか朗読の感想をもらって、かつ安藤さんとのステージ・客席間のトライアングル鼎談みたいな数分間も展開して、楽しかった。お終いにはこれまたサプライズで、学生がおれに詩の朗読+ギターの演奏を見せてくれた。なんだか、捧げてくれるみたいに。この特別講義という名のイベントの、手作り感に、おれは打たれた。胸を打たれたよ。なにかか静かにゆるやかに伝わっている気がする。おれのこの二年間の死闘だの苦闘だの過労だのは無駄じゃないんだなって実感しはじめている。そうだ、そしておれは公式に第六世代になっている。そしてこの日記は、「あと、2」。

十二月前半

朗読ツアーと短編脱稿と腰。師走のこの前半にあったのは、基本的にこれらのトピックに尽きる。いちばん爆弾だったのは、三つめの腰だ。じつは十一月のお終いに意味不明に腰(のうしろ側)に違和感をおぼえはじめた。本格的に痛みになって、日常生活に支障が出たのは十二月の四日だ。この段階では、おれは短編の執筆に没頭していた。十二月十三日に広島での『吠える 向井秀徳×古川日出男』公演、十四日に京都での「古川日出男×(虹釜太郎+鈴木康文)」出演イベントがあるから、腰問題は——精神的に——キツかった。おれは神経質になりつづけた。だが、ふしぎなのだが、腰に力を込められないことで、執筆をはじめた短編がゴリゴリに押し進められずに、逆にさじ加減が絶妙としか言いようのない美しさが孕まれだした。これは啓示の一種なのか? 腰問題にも意味がある? おれは、ある、と解釈した。だから焦るのは止めた。向井さんとの遠距離セッションをはじめ、フルカワヒデオプラスのCD『MUSIC: 無謀の季節』のデザインの最終チェックに入り(ジャケット写真もライナーも、むろんデザインそのものも素晴らしい。そして、その素晴らしさをミリ単位で詰める)、新作短編のために水門を取材し、ひとつの短いアンケートに回答し、コミックの推薦文を書き、虹釜さん鈴木さんとスタジオに入り、そして小説が脱稿した。いよいよ冒頭部の活字化がはじまる新たな巨編『黒いアジアたち』の出航祝いの会食をした。腰は治らないままだった。しかし十二月十日から少しずつ回復の兆しがあらわれた。翌十一日、イエローパワーの『アートブック・ソングブック』のラフを太公良さんから受け取った。予想をはるかに上回って、イメージの豊かさ、色彩のダンス、力の奔放な発現があった。ちょっと圧巻だ。ここで飛翔のためにポジティブに背中を押されて、おれは広島入りした。公演前夜から土地に入った。そして、「ここはいい街じゃないか」と、実感の前に予感した。十二月十三日。朝から自ら緊張感を高めていたが、午後、会場の横川シネマ!!に入るやいなや、さきに着いていた向井さんのリハに触れて、瞬間スイッチが入った。すでに空間はヒリヒリとしている。おれはそれに応えようと全身で反応する。そして本番。三部構成のトータルで約二時間半ほどだったか。おれは150点の“演奏”ができたと感じた。おれも向井さんも広島ラブを実感した。そして……そして腰は、なんらステージにダメージを与えなかった。終演後、全部の痛みが消えていて、「治った?」と感じてしまったほどだ(……まあ、治ってはいなかったんだが)。いっさいがっさいがマジカルで、向井さんとの間にあるのは、圧倒的なケミカルだな、と改めて思った。ケミストリーだ。かつ、お客さんのことも含めて、「同じ時代」を生きているとも痛感した。そのまま、おれは一人の作家にして一人の朗読する“存在”として、翌十四日、広島から京都に単身移動した。土地の言葉が変わったので(「じゃけん」の語尾からイントネーションすらも違う「はんなり」系のものに)、やや脳の調整に戸惑ったが、公演会場となっている廃校内を歩きまわって、それから京都市内にも身を浸して、三時間ほどでリコンディショニングを達成した。会場は廃校と記したが、実際には廃校となった小学校の二階の、図書室内だ。凄みがあった。そして出番がスタートして、おれは憑霊してみた。そういうつもりじゃなかったが、この場所にはこの場所に相応の朗読がある。だから、おれは憑かれてみた。何者かに。結果、なにかのイメージを顕現/顕霊させうるステージができたと思うし、おれは極限まで疲弊した。しかも一瞬だけ東北弁を発語して“京都にて、東北の巫女”をもした。土地、土地、土地。夜から朝まで、ホテルのベッドでくたばりはてる。そして東京に戻り、十二月十五日、この日記を綴る。おれは経験値をつかみ取りつづけている。言葉と肉体の、かつ(たぶん)この時代に生きる作家としての。さあ、それでこの過労の日記は、「あと、1」。

十二月後半

さあ、これが最後の日記だ。おれはまず総括しよう。この一年間は、おれの人生で最もダイナミックだった。かつ、この師走の一カ月は、そのなかでも最も過酷にしてダイナミックだった。そして過酷さはむろん/きちんと「なにか」をもたらした。いちばん最後の日記なのだから、一日ずつ、記述しよう。十六日。おれはいちばん敬愛する作家にお会いして、二時間、インタビュアーとしてお話を聞いた。こんなふうにお会いできるとも思っていなかった。凄い時間だった。十七日。午前。ゲラを一点、確認した。それは今月前半に執筆した短編で、タイトルは『鰓で呼吸する』という。グロテスクで、とても美しい作品だった。そのことが確認できて、安心する。午後。とうとう黒田育世さんとのデュエットの舞台——『ブ、ブルー』の稽古の初日を迎えた。二種類のチームが記録に入った。スチール・カメラの班と、ビデオ・カメラの班。創作プロセスは基本的に、こうしてドキュメントされる、はず、だ。十八日。おれは「『ブ、ブルー』制作日誌」をつけはじめた。十九日。某男性誌よりCDレビュー連載のオファーがあり、会って打ち合わせる。ジムに行って、パワーヨガに(こわごわ)取り組んでみる。やれた……! 力を抜けば、腰にダメージを与えずにすむとわかる。よかった。今後はジム通いも再開できそうだ。二十日。『ブ、ブルー』稽古二日め。朝から育世さんの構成に合わせたプリントアウト(テキストの)の準備。実際の稽古では、徹底的に——音楽の松本じろさんも交えて——その構成について話しあう。やがて、稽古のおしまいに、ついに構成の“全体”が透視される。二十一日。『ブ、ブルー』のおさらいと、『アートブック・ソングブック』の準備と、『MUSIC』リライトのための準備。三種が順調に、というか、怒濤のように代わる代わる進行する。二十二日。『アートブック・ソングブック』の世界観が固まった。やった! それから午後、打ち合わせを一件。夜はダンス脳。二十三日。フルカワヒデオプラスのCD『MUSIC: 無謀の季節』のサンプルがあがってきた。実物を目にする……この感慨……なにしろカッコいい……。二十四日。朝、『ルート350』の文庫化の打ち合わせ。来春刊行が決定した。午後、『ブ、ブルー』稽古三日め。稽古場を、都内某所の廃校に移す。脳を徹底的に酷使するタフな稽古。そしておれは「作家とは、作家であることとは、どういうことか」と自らに、育世さんにも問われつづけている。この舞台はどこに着地しようとしているのか。稽古そのものが真剣勝負のテンションで進んでいる、と痛感する。二十五日。朝、太公良さん筆の『アートブック・ソングブック』のラフ三点に自分の——古川日出男の——言葉を付ける。夜、某男性誌のオファーを結局断わる。二十六日。『アートブック・ソングブック』にさらに言葉を付ける。かなり、よい! 二十七日。書籍版『MUSIC』の芯が発見される。昂揚する。午後、『ブ、ブルー』の稽古四日め。ついに、なぞるような形ではあるが、全体を通した。これで今年の稽古納め。それに相応しい困憊ぶり。二十八日。プライベートの用件でまず大阪に入り、そこから夜、京都入り。そして夜中に発熱。じつは前日の『ブ、ブルー』稽古ちゅうにも熱を出していたのだが、ついに疲労が暴発した。二十九日。おれは「風邪をひいた」ことを認めて、薬と栄養補給剤を購入。それらを飲み、寝る。しかし午後四時には朗読ギグの会場の UrBANGUILD 入り。そして本番、「古川日出男×(虹釜太郎+鈴木康文)」のわれわれ三人は『ロックンロール in オーストラリア』を演奏した。拙著『ロックンロール七部作』から、その第四部をこの日のためにアレンジしたものだ。発熱してフラフラしているおれだが、むろん、容易にスイッチは入った。ステージにあがる直前から、すでに何事かが——おれの内側で——はじまっていた。自分に関して言うなら、渾身で、完全に叩きつけられたと思う。演目の内容が内容だけに、人格(キャラクター)=声=霊の出入りが半端ではなかった。我ながら、よく体が持つなぁ……と感心した。イタコだったら死んでるよ。そして、改めて思うが、おれは逆境に強い。それから何といっても、虹釜さんと鈴木さんの音との絡みにも強度があった。沈黙の到来の瞬間、“場”そのもののようなものが息を呑むのがわかった。しかしながら、本番終了後、数十分で宿に戻る。本当はイベント全体を観たかったのだが、寝ないとヤバい。それでも京都や大阪のお客さんたちと、少しだけど言葉を交わせて、よかった。夜の十時前から爆睡。三十日。アラーム設定を忘れていたらとても起きられなかった。つらい起床。七十時間は寝ていたい、と痛烈に思う。新幹線で東京に戻る。そして渋谷の O-nest に。今度はフルカワヒデオプラスのメンバー、イトケンさん植野さん戸塚さんと再会して、お昼の十二時台からリハ。音を出した瞬間に完全におれは覚醒した。凄い。なんだ、これ? 最後にイトケンさんと構成を打ち合わせて、即帰宅。即ベッドに。また寝る。起きる。起きて、今度は虹釜太郎さんが昨日完成したばかりの音響ダブ・ミックスCD-R『Yearly古川日出男・「ロックンロール770/ゴーストタウン」』を聴く。これはオール新録のおれの朗読に、虹釜さんがその“世界”を正面からぶつけるというシリーズ——虹釜太郎作品——で、ライブ会場でのみ販売される地下流通音源となる。圧巻の出来。ひと言だけコメントすると、ここには「速さ。つかみ取れないゴースト。まとわりつく気配。近さ」がある。音響的硬度と深度。いっきに気合いが入り、いよいよ渋谷へゴー。この日のイベント『ポ祭』は時間が押しに押してしまい、会場にモワッとした雰囲気が漂っていたのだが、「……だとしたらおれが除霊してやるよ」と最初から腹を括っていた。ステージに上がる。メンバー全員で、三十分間、ノンストップで疾走する。というか、このメンバーは何事かを圧倒的に疾走させ、駆動させてしまう。完璧なイントロからスタートして、完璧なフィニッシュ。おれは心より「よいお年を」とオーディエンスに告げられた。終演後、ステージ裏で植野さんともイトケンさんとも戸塚さんともガッチリ握手。それから O-nest のロビーで打ち上げ的に呑む。風邪のことは、もういいや。腰だって治ってないんだけどさ、いいや。日付は変わっていた。大晦日だ。おれは帰宅し、寝て、起きて、ちょっとした大掃除をする。だから、小掃除だ。そして、この日記にとりかかる。さあ、これが最後の日記だ。おれは、この一年間を誇りにしてもいいんだよ、と自分に言う。そして、二年間を記録しつづけられて、よかったよな、とも思う。サイトを運営してくれた集英社と、集英社のスタッフに何よりも感謝する。インフォメーションの更新はあと一、二カ月は続けるが、年度末にはこのサイトを閉じる予定だ。おれは今晩、今年の重大事件を数えあげるだろう。たぶん、その第一位は、「百日行の達成」だろう。そして、『聖家族』という本がずっとずっと読まれて、いろんな人の魂のようなところに残ることを、願うだろう。おやすみ。よいお年を。このようにして……コノヨウニシテ……記録は完了した。