最高に凶悪なものを、最高にヤバいものを。書き上げました。戯曲です。脱稿予定日の、3日前に仕上がりました。もちろん、それは「パッパと書けた」というのとは真逆で、あらゆる日常のルーティンを捨て(たとえばジム通いをやめて)「いま、書かなかったら、この戯曲には贅肉が付いてしまう。書け、書け。まだ書け。精神が落ちるところまで落ちても、書け」と自らに言い聞かせて(というよりも叱りつけて、罵倒して)、とうとう、予想をだいぶ上回るペースでの擱筆に至りました。凶悪、と最初に記しましたが、じじつ凶暴です。本当に危険な戯曲だと思う。そして来月の上旬には、活字化されます。ある雑誌に一挙掲載されます。題名ですが、今月内にはタイミングを見て明かしたい、と考えています。もったいぶっているように思われるかもしれませんが、タイトルそのものが、すでに「劇を始めてしまう」存在と化しているので、ほんの少々の期間、伏せます。僕は、この戯曲の執筆に至るまで、昨年夏からこの作品のことを考えて考えて……考えてきたわけですが、先月の頭に、そのビジョンの手触りが「一転する」という体験を得ました。原美術館の小瀬村真美展を観たためです。ある映像作品の前で、30分弱、ずっと動けなかった。小瀬村真美さんの名前は、2001年に牛込柳町駅から歩いたところにある廃校で行なわれたグループ展(『生きられた空間・時間・身体』)で知って、というか作品を観て衝撃を受けて、でも、以来この方が何をされているかは全然知らなかったのですが、こうして《個展》という形で再会できて、うれしかったし、興奮しました。僕は映像を主軸とするアートに、どこか「憑依されてしまう」ように惹かれることが多いのですが、そのためなのかな、たとえば中国のヤン・フードンは本当に凄いと感じていて、それから先月、奈良美智さんに推薦してもらって一挙に4作品観た台湾人映画監督のツァイ・ミンリャンも愕然とするほど凄すぎて、その3者、小瀬村真美、ヤン・フードン、ツァイ・ミンリャンには自分のある種の《意識》あるいは《感覚》の中心部分を反映しているところがあると自覚するのですが、それは今度の戯曲に出た気がします。とはいえ、表面的には、僕の戯曲はそうしたものからは遠く離れています。思いっきり「ぶっ飛ぶ」ことを許したし。台詞も、3度書き直し4度書き直し、それでもくだらないギャグなんかは死ぬほどブチ込まれたままだし。全体で原稿用紙200枚強です。『冬眠する熊に添い寝してごらん』の、3分の2? それよりは長い? どうかな。登場人物は6名です。この作品が生まれたことを、佐々木敦・北村恵・近藤恵介・河合宏樹・土屋光、プラスα、に感謝します。いや、感謝じゃ足りない。多謝多謝します。いずれにしても、戯曲を脱稿してみて、入稿して編集者S君の声を聞いてみて、自分は『「小説家」の二〇年 「小説」の……』のその先に、まだ進んでいる、と実感できた。まだ前進する、俺は、と誓えた。毎日毎日生きていて仕事をしていて、時間は絶対に足りないけれども、しかし本は圧倒的に読みつづけている。いまの日本は読書離れだって? それがどうした。世間の、たとえば100人ちゅう99人が本を読まなくなる(なった)のならば、俺が以前の99倍読んでやる。そして、そんな俺みたいな人間が、10人、20人……1000人出ればいい。1000人だけ残ればいい。いずれ人口が1億人を割るこの日本に、1000人もの《そんな奴》を。求めてます。
20180809