とても短い長いお便り第1回。まずは感動のレポートから。本日(2018年11月1日)午前、とうとう新刊『とても短い長い歳月』(THE PORTABLE FURUKAWA)の見本が拙宅に届きました。すぐに10冊の見本が入れられている段ボール箱を開けた……というのは嘘で、執筆中の小説の「本日分のパート」が書き上がるまで開梱をこらえ、こらえにこらえ、そして、「万全の原稿をアップできた、俺は」と確信してから、午後のなかばに開けました。光が指すようだった。装幀の写真だけだと、パワフルさが前景に出て、あるいは強烈なパワーばかりが前に前に押し寄せているように感じられますが/感じられたかもしれませんが、そうではないです。凜としている。しかも、紙質は柔らかく、重さも柔和で、スタイリッシュで、しかし鋭さは失わない。色、の雰囲気がそうなのです。字、の隅々の形がそうなのです。そうしたデザインに着地したのは、デザイナーの水戸部功さんが最後までコントロールしてくださったから、なのです。早く、いろんな人に、この本を開いてほしいです。開かれたページの……見開きの、そのひとつひとつが、きっと《何か》を立ちのぼらせる。単純な強烈さではないのです。もちろんこの『短い長い』は仕掛けに満ちているのだから、強烈ではあるのだけども、本という《物質》単位では、優しい、寄り添うような印象がある、どこを開いても感動する。ちなみに僕とDJ産土のコメンタリーは巻末に収録されているのですが、ここは彩りからして出で立ちが変わっていて、もう、最高にいいですよ。そして、コメンタリーのほんの手前に、原稿をもらった瞬間に「これで俺は、あと20年は書きつづける。それが叶う」と思わせてもらえた、まさに玉稿としか言いようのない柴田元幸さんの解説が挟まっています。タイトルは、「古川日出男のヨクナパトーファ」。ヨクナパトーファとは、地名です。アメリカの作家ウィリアム・フォークナーが創造した、アメリカ南部の、(架空の)郡の名前です。しかし、架空なのだろうか。そこには、生きている人たちがいて、流れる時間があって、読めばわかるのですが、彼らは生きているし、生きてきた。その土地はあった。その土地は、足の裏に踏まれて(熊たちの足の裏にすら踏まれました)、住まわれて、時には焼かれて、雨に打たれて、そうなのだ、そこにあった。そこにある。そうした土地は、フィクションを超える。だから、僕は、僕自身のこの『短い長い』=『ポータブル・フルカワ』で、フィクションを超えるミックスに挑んだ。三田村真さん(DJ産土)の名前は、表紙にも、きちんと略歴も備えて、堂々と、現われています。この本を「産めた」ことを、僕は誇りに思います。さて、増量した「お便り」は、以下、複数のコーナーを持ちます。まずは……。
とても短い長いポエジー。12月1日に明治大学中野キャンパスで行なわれるシンポジウム「古川日出男、最初の20年」のために、20年前の自分の写真を探していたら、自分よりも、自分が愛していたものがいっぱい写っていて、いっぱい発見されて、それらは大半、もう地上から消えてしまった事物ばかりで、しかし、カメラのファインダー越しに、猫であれビルであれ東京の河川のあれやこれや(の細部)であれ、こちらを見返していて、つまり、そうした事物は「生きて、僕を見ている」と言ってくれていて、死は無いな、と思った。
とても短い長い質問。
もしも24時間後、世界から言語がたったひとつだけ消えるとしたら、あなたは何語を望みますか?
(そして、その消滅に、責任を持てますか?)
とても短い長い1日。これはもう、2018年10月27日に尽きます。「しずおか連詩の会」の創作第3日、すなわち最終日。われわれは午前9時に合流、制作スタートだったのですが、前夜、新しい詩の創作を託された文月悠光さんは、じつに午前6時から始動、会場にてその1篇を披露し、奇跡を孕んだフレーズがそこには満ち、それを受けたのが小島ケイタニーラブくん。僕は、小島くんに「ギターを鳴らして詩を産む時も、みんなのいる場から離れず、そのまま音を鳴らしてくれ。『騒音になったらまずいから』などと、別室に籠もる必要はない」と言って、その場で/での創作モードに入ってもらいました。そうして、小島くんの《メロディ》を聴きながら、皮膚に浴びながら、あるいは皮膚に蓄積しながら、次の順番の自分の創作に備えた。言葉は、もう、その《メロディ》をわずかに引き継ぐ態勢を調えだしていた。そして30分後、小島くんは詩を完成させて、それは全部中国語で、要するに漢詩で、そんなものが来るとは思いもしなかった僕は、《メロディ》に乗るひらがなを、瞬時に探し、作業前にトイレに行った数分間に、ひらがなたちは踊りはじめ、僕は、ひらがなだけの第1行を探り、第2行も同じで、しかし第3行からはカタカナが侵入した、そして第4行には漢字が、最終行の5行めには、あらゆる漢字にひらがなとカタカナのルビが付いて、しかしそこだけでは日本とアジア(中国)に閉じる、だからアルファベットが下りはじめて、英語のフレーズが続いた、そういう詩、そういう詩篇が生まれました。それを宗匠の野村喜和夫さんが受けられる、僕は不遜にも「幻視を受け継いでほしい」とリクエストする、その声に、野村さんが応えられる、アポカリプスが増殖する、その詩篇を受けたのはカニエ・ナハさんで、そこには賀茂真淵の声が、カニエさんの声にルビとして重なり、音響は増殖し、まさに多重音声で、僕ら素晴らしい加速、そうやって5人で、詩を回しながら、詩の《何か》を回しながら、しかし制作が完全に終わったのは午後9時。凄かった。本当に凄かった。長かった。しかし、たった1日ではあった。その場で、制作会場内で、まずシャンパンの打ち上げをし、それから、午後10時にそこを出て、浜松市内のビストロに入り、日付が変わるまで、呑みました。本当に、本当に、楽しかった。痺れた。凄いメンバーだった。スタッフの「存在感」の温かさも、涙が出るようだった。
20181101