
故郷から他郷から未来へ
2025.08.23 – 2025.09.12 東京・埼玉・福島
数をかぞえつづけていた。新作小説の脱稿日まで、残りは何日、と。だが時間は崩れた。
カウントダウンする私には、私という弟には、兄がいた。その兄は、この4年半、癌で闘病していた。今年6月の半ばに、もはや楽観のすべては捨てなければならない、と家族が(そこに私も含まれる)了解した。その状態で、私は新作小説の執筆に向かい、そこにある〈宇宙〉にダイブして、兄はその小説の完成を楽しみにしていると言ってくれた。単行本になるのを楽しみにしていると言ってくれた。
なぜならば、その小説には郡山があり、その福島県郡山市というのは私の生地で、その福島県郡山市のハチランシャマという土地は、いちど『聖家族』にも登場させたことがあるが、私たち兄弟の生地を虚構化させた土地だったから。この、兄弟、には姉も含まれる。私には9歳上の兄がいて、6歳上の姉がいる。私たちは3兄姉弟(きょうだい)だ。
今日(2025/09/12)から数えて15日前の夕方に、もう兄の意識は戻らないに等しい、と連絡をもらった。そういう睡りに兄が入った、と連絡をもらった。今日から数えて2週間前の朝、兄が永眠した、との連絡をもらった。
私は、兄を喪失する日のことを考え、それに備えてカウントダウンするのだけはいやだった。その〈それ〉は必ず脱稿後に訪れるのだ、と現実を見まいとしていた。だが、現実は来た。襲来した。そして私は、その日の午前中も、午後も、夜も書き、だが原稿はまともな質にならず、書き直して、それが不十分な質だったら本当に〈何か〉に対して失礼になる、と、その思いだけで、自分を駆動させた。
駆動させつづけた。
膨大な量の反古紙が出て、つまり書き損ないの原稿が、だけれども、しかし仕事場で、原稿用紙に向かいつづけた。そして「ここまで書けば、あとは、また続きの〈宇宙〉に入れるはずだ」と自分に誓えるところまで進んでから、ハチランシャマのような実家へ帰った。
棺を見る、という気持ちのことは、ここには綴れない。
告別式の日のことは、ここには綴れないが、その儀式の翌日に、別な言葉で綴った。そこには〈詩〉のための場所が用意されていたから。新作小説の脱稿の翌々日が締め切り日だった「現代詩手帖」の『火歌 hiuta』の、その誌面が用意されていたことが、私に言葉を吐かせた。そんな言葉は、私は、もしかしたら見たことがなかった。もしもそこに〈詩〉がなかったら、私はどこかで倒れていた。
また新作小説を書きだした。残り25枚。
最初はどうにもならない。
どうにもならなかった。
しかし飛び込みつづけた。午前5時から午後7時まで。午後8時まで。
新作小説は脱稿した。入稿もした。題名は「冬迷宮」という。
私は、この6月の「夏迷宮」脱稿に続いて、その「冬迷宮」を脱稿した。
不思議だったのは、(休日なのにもかかわらず雉鳩荘の近辺まで来てくれた)編集者に手書き原稿を渡す3時間前に、私の特注の原稿用紙、「超空洞譚」の4文字の入った原稿用紙が1000枚、やはり雉鳩荘に届いたことだった。この雉鳩荘から、出る原稿があり、ここに入る原稿がある。
そういう運動を、その「出て、入る」運動を、私は善き未来の兆しと見る。
最後に、この数年思っていることを書く。私は〈正義〉というものが嫌いだ。〈正義〉はあれをするな、これをするなと禁止するから。それが本当の正しさであれば、赦すはずだ。禁ずることもよりも、赦す、ということをするはずだ。だから私は、いま世界に威勢をふるっている〈正義〉を信じない。そして私は、赦すために必要なのは〈祈り〉なのだと信じている。
私は〈祈り〉を持たない表現は、芸術ではない、と断じもする。
このように断じること。そして実践すること。
弟にできるのは、この私という弟にできるのは、それだけだ。

