New!

私は私を救済したものを、人を、出来事を忘れない

私は私を救済したものを、人を、出来事を忘れない

2026.01.24 – 2026.02.13 茨城・東京・埼玉・京都

音楽が配信サービス中心になりスマートフォンが普及しきっている現在から、そんなものは何もなかった近過去、を想像するのは難しい。そもそも1979年を近過去だと認識する感性はたぶん、というか絶対に21世紀生まれの人たちは持たない。だから語って残す必要があるのだが、まず第一に、音楽は「持ち運びはできない」ものだった。それをソニーのステレオ音響機器「歩行人間(ウォークマン)」が変えたのだ、という歴史は、たぶん学べているかもしれない。

両耳を、自分の愛聴する音楽で塞ぐ。そして、しかし自分の外側の世界へ出る。これがどれほど衝撃的なことだったか。いまも憶えているのは1985年、上京後に、そんなふうに両耳をステレオ音響機器につながったヘッドフォンで塞いで、JR新宿駅の、東口を出た時だった。もの凄く単純な感想を抱いた。「映画の中みたいだ」と感じたのだ。自分がまるでフィルムの内側にいる、しかも、そのフィルムの内側を自由意志を持って歩けている、と。

だが自由は、最初から与えられていたら、自由だとも感受できない。

それで私が何をしたか、だが、私はたとえば20代の初めに「もう死のう」と思ったことがあるのだけれども、その瞬間に聴いていた(とは、塞いだ両耳に届いていた、だ)音楽に「いいから生きろや」と言われた。救われた経験がある。それがどのアーティストの、どのアルバムだったかは生涯語らない。ただ、そこまで凄いものだった、とだけは伝える。だからこそ、20代の後半にはもう、ヘッドフォンを捨てた。いっさいヘッドフォン経由で音楽を聴かない、と決めた。

その禁を破るのは2010年代に入って、となる。
不自由を俺はもう学んだな、と感じたから、もういちど自由の獲得に入ったのだとも説明できる。

昨日、夜道をヘッドフォンを着用して歩いていた。日付は変わっていた。前方には人影がないので、踊りながら歩いた。もしかしたら後方には誰かがいたかもしれないけれど。だか、どうでもよかった。18歳で新宿駅の東口で衝撃を受けたことを思い出しながら、私は、というか俺は、59歳でもこうして踊っているな、とその事実を咀嚼していた。俺は、そうだな、自由なんだなと。

59歳なのに思いっきり歩けるのは幸福なことだ。私は『あるこうまたあおう』最終話を予定どおりに脱稿させることが叶った。その最終話を書きながら、その執筆は時に魔界に墜ちるような様相も呈したのだけれども、ずっと、ずーっと真摯に向き合いながら、ああ東日本大震災からなんだか15年間ほぼずっと歩いているみたいだ、と感じた。そして、たぶん、それは事実なのだ。15年間歩いている。そして、いま、これが書けた。書き上がった。人に届けたい原稿が。この世界に届けたい原稿が。

時どき、世界に「ありがとう」と言いたい。
そんな気持ちになる。

いま『夏迷宮』の単行本のゲラが、ほんとの最終段階に入りつつある。とはいえ、まだ初稿ではある。だが自分を嬲るように、「あの『書いていた時』と同じ熱量で、ゲラに臨め。直せ」と言い聞かせている。それは、たぶん、できている。できていない時は眠られないので、そういう日は、睡眠時間は1時間を切っている。だが、それでもいいのだ。それもまた「自由である」ということなのだ。

この3週の間には、私は連載詩『火歌』で最長となる長篇詩も書いた。そのゲラはもう戻した。私はどんどん歩いている。そして、いっしょに歩こうとしている人間たちも、なんだかどんどん見つけられている。私はいつでも思っている、「仲間がいればそれでいいのだ」と。