便乗できない

便乗できない

2022.07.23 – 2022.08.12 東京・静岡・埼玉

映像作品『コロナ時代の銀河』宮沢賢治賞奨励賞をいただいた。基本的には「朗読劇『銀河鉄道の夜』」の活動ぜんたいのためにいただいたのだと思う(その逆とも言える)。関係した全メンバーに代わって感謝します。全メンバーというか全スタッフというか。今年の3月には英語字幕仏語字幕のふたつの新しいバージョンを公開したばかりで、そうしたものにご協力くださった方々は、やっぱり全員〈メンバー〉なのだという気がする。この作品に関しては、すでにいちどセルフ解説を書いているけれども、受賞を記念して今回さらに1本書いた。執筆してみると、やはり「背景を説明することは、重要だな」と感じる。

銀河鉄道の夜は、いま、新しい軌道を敷いている。それについては、もっと時間が経ってから報告することになると思う。そういうのは〈ミライ〉に属していて、私はこの期間に衝撃的なほどのボリュームの〈むかし〉に邂逅した。というのも、転居後の、「開かずの段ボール」をひと箱開封したら、18歳からのスケジュール帳がほぼ全部出てきたのだ。たぶん欠けているとしたら80年代後半の1年間だけである。あとは丸々保存されている。つまり、誰と会ったか(会う予定だったか)、どういう仕事をしたか、どういう資料を読んだか(「読むぞ」とスケジュールを定めていたか)が、ほぼ全部わかる。なかなか衝撃的だ。私の活動の全容は、こうして本サイト「古川日出男のむかしとミライ」を訪れてくれたり、実際にイベントに参加してくれたりしている人いがいには把握しづらいと思うのだけれども、それ以上に、私の〈むかし〉の全容は膨大で、なんだか宇宙的だったりする。私は演劇時代の脚本はまるごと廃棄しているのだけれども、しかし記録は残っていたわけだ。

そのことをどう思うか? そのことが、うれしい。

18歳の私も26歳の私も37歳の私も44歳の私も、この私も、生きていた/生きている。

講談社のおふたりが雉鳩荘に来てくれて、連載小説『の、すべて』の今後に関して円卓会議を行なった。私はこの小説に関して、本気を出したい。もっと出したい。そして編集者たちは、もっと出せ、どうして本気で古川日出男をやらないのだ? と、リミッターを外すことを求めた。うれしかった。この小説は担当のキさんから「新交響曲(ニューシンフォニー)」との惹句をもらっていたのだが、この円卓会議後、ついに「シン・シンフォニー」と言われるようになった。大胆にやらねばならない。私は、〈むかし〉を慈しみながら〈ミライ〉に突き進まなければならない。

言うは易し、行なうはハード。いま、朝の8時台から『の、すべて』の執筆作業はスタートして、それを終了して、資料を読み終わるのは夜の9時台である。次号の連載ぶんの脱稿まで、アルコールを口にしないと決めたので、頭が冴えすぎて眠れない時もある。けれども、なんと言ったらいいのだろう……私は悔しいのだ。私は何かに便乗したいとはぜんぜん思わない人間なのだけれども、たとえば日本のこの現代史が、カルトと呼ばれる宗教団体を中心に動いている瞬間に立ち会いながら、事件のほんの3カ月ほど前に出した、カルトと呼ばれる宗教団体の物語『曼陀羅華X』が、そうした観点から誰かの視界に入れられるようなことが、ほぼ感じられないでいる現状。そういう時に、悔しい。私は予言体質の作家だから、いろいろと「ぴったり」合うのだけれども、それが人に読まれるためには、つまり便乗するためには、予言ではなく〈予測〉を軸にしなければならない。要するにマーケティングだ。そんなものは私にはできない。そして〈予言〉ができるからといって、ミリオンセラー作家にもなれなければ、「うはうはだな」と言えるわけでもない。

だけれども。

何かを手に入れている。

それを、私は、誰かと分かち合いたいと思うのだ。