
本と著者
2025.11.29 – 2025.12.12 東京・埼玉・神奈川・静岡
もちろんこの2週間のあいだの出来事なのだけれど、私はその日は東海地方にいた。妻と義母と3人で、ある店で、パンケーキを分け合いながら食べていた。とても雰囲気のよい飲食店であり、パンケーキも1人前がフルボリュームだったのだ。とはいえ、選んだのは私自身だけれども。それから、最近はこんなふうに外食でパンケーキを口にしたことがないな、とふり返った。前に食べたのは、もしかしたら東京湾岸でだったな、ともふり返った。あれは4人掛けのテーブルで、息子とふたり、向かい合って座って食べたんだっけな、と回想していた。
その映像はクリアに頭に浮かんだ。クリアというかビビッドに。どんなふうに向き合っていたか。どちら側の席が息子で、どちら側が私だったか。息子が何歳ぐらいだったか。それから、もちろん私は呆然としたわけだ。なぜならば、私には息子はいないから。
そんなふうに幼い息子を持っていて、その子供といっしょにパンケーキを食べていて、そして、その場所というのが東京湾岸の飲食店だったのは、私が書いた小説の主人公だった。私が自分の記憶として回顧したのは、自分が〈書いた〉小説内の1シーンだったのだ。
こういう体験は初めてではない。だがしかし、渾身の作品の決定的な場面(たとえばエンディング)であるとか、そういうものの映像がこんなふうに自分の〈記憶〉としてインストールされるわけでもない。そこが不思議だ。ある時は福島県喜多方市のある川を眺め下ろしていて、その河原で兄とともにトレーニングに励んだことを思い出して、それはまるっきり『聖家族』という小説に登場する3きょうだいの次男の記憶でしかないことに気づいて、愕然とした体験もある。
「息子とパンケーキを、東京湾岸で食べた」シーンが含まれている小説は2022年刊行の『曼陀羅華X』である。この主人公とは、登場時に私とほぼ同年齢だと設定された小説家である。だからこそ、自分自身と一体化するように物語を構築していった。執筆を進めていった。その〈ダイブ〉の深さが、こんな私を呆然とさせる回想に導いた……とは言える。だとしたら、といま現在の私は思うのだけれど、あの『曼陀羅華X』という書物の装幀は、そのカバーは、自分の顔写真でもよかった。まっすぐに〈世界〉を睨みつけて、その視線だけで、その眼差しだけで、そこにどれほどの〈覚悟〉が込められているかを暗示する(あるいは明示する)という選択も採りえた。
それが適切だったかどうかは、また別の話だ。加えて、あの『曼陀羅華X』にはもうひとりの主人公(こちらは女性である)が登場するので、だとしたら「そのモデル」を選定・確定しえたのか、もやはり別の話だ。
著者とフィクションとはどのような関係にあるのだろう? 私は何十冊ものフィクションを書いている。その一部は、私の実際の人生において〈記憶〉と認識されている。それを単純には誤認とは指摘できない。「自分の記憶なんだ」と思い込める次元まで突き進めたのであれば、それはやはり、自分の人生にすでに内包されている、と認めてかまわない気がする。
そういう意味では、もっとも不思議な作品は2024年刊行の『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』だったのかもしれない。あの作品は「ノンフィクションをお願いします」と依頼された。そして、「これはノンフィクションであるのだ」と自覚して書き継いだ。だが、古川日出男が語り手となり、〈僕〉と名乗り、真剣にコロナ禍の世界(あるいは社会)に臨んだ時、私の内側には「フィクションを発生させるブラックボックスがある」という事実が起動する。つまり、ノンフィクションの内側の古川日出男は、そのノンフィクションとの制約=境界を侵さないでフィクションを産み出す。その行為じたいをノンフィクションとして綴る、というアクションをそのまま刻んだ時、最後にはあの『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』はフィクションとして刊行された。これは、流通する際のコードとしてフィクションが選択された、の意味だが。
もしも「ノンフィクションである」と徹底宣言して、それを出せていたら、ということはやはり考える。が、それが適切であったかどうかは、やはり別の話となってしまう。
だとしたら、結局は「純粋なフィクションである」という作品から、この世界(あるいは社会)に臨み直すしかない。そのような作品は、すでに書かれていて、刊行が準備されている。「群像」誌に一挙掲載された「夏迷宮」と「冬迷宮」をまるまる含んだ、つまり〈ふたつの迷宮〉が内蔵されている巨大迷宮である、そういう書物だ。タイトルは『夏迷宮』となる。ここからしばらくの間、その作品は、刊行に向けて私の手もとに、私が暮らす雉鳩荘の屋内に、たたずみ続けることになる。たぶん力を養いながら。

