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あと32年

あと32年

2026.02.14 – 2026.02.27 東京・埼玉

今日(2026/02/27)は雉鳩荘に越してから丸4年と4カ月を超えた、その第1日めである。また、おとといは1998年2月25日に書き下ろし単行本『13』でデビューしてから丸28年をちょうど超えた、その第1日めだった。だから、おとといは29年めの始まりだった、とも言えるし、周年を意識するならば「28周年が始まった」とも言える。しかし今年はまだ周年は意識しない。するならばデビュー30周年となる。ということは、まだ2年弱あるわけだ。とはいえ、つねに第1日めが来る。いつもいつも、新しい1日めが来ている。

デビュー20周年めの2018年12月には、明治大学でシンポジウム「古川日出男、最初の20年」を催してもらった。そのクロージングのような会で、自分が語ったことを思い出す。「このシンポジウムを『最初の20年』と名づけてもらったので」と私は言ったのだ。「普通に考えたら、まんなかの20年と最後の20年も必要なわけで」と私は続けたのだ。そして「いま52歳なので、そうなると92歳までやり続けないといけません。『うん、やらないとな』と、ここに立ちながら思っています」と言ったのだ。実際には31歳でデビューしたので91歳までの目標でも論理的だったのだが、シンポジウム開催時に52歳なのでこの発言もまたロジカルではあった。

92歳か。あと32年ある。いいや、いま59歳だから、その数字だけ見つめれば、あと33年ある。
私はまだ道の半ばも来ていない。

なぜ、そこまでやるのか?
答えは簡単だ。そして、いつも即答だ。
言葉でこの世界を書き換えたい。

『あるこうまたあおう』の最終話は校了も通過した。掲載誌の発売は1週間後で、だから題名もここに記す。「灯台から灯台へ」というのだ。灯台へ、だけだったらバージニア・ウルフの To the Lighthouse だけれども、そしてウルフの『灯台へ』は、その文学的手法は〈意識の流れ〉だけれども、自分の思考の流れ、世界との接触と連想、思想の流れ、そして歩行の流れを、運命の流れもまた、この1篇には書き込んだ。たぶん〈接触と連想〉は自分の文章の鍵になる。私はそんなふうに生きている。だから歩いている。だから私は歩行の作家なのだし、その歩き方は連想にひっぱられるので、結局は迷路に入る。私は迷路の作家なのだ。

迷路すなわち迷宮へ。単行本『夏迷宮』の初稿も編集部に戻された。今年は、なんだか1月はずっと執筆に集中し(「灯台から灯台へ」)、2月はずっとゲラに集中して(『夏迷宮』「灯台から灯台へ」等)、色彩の異なる神隠しに遭いつづけていたようだ。そして、いまは、現世に戻って、刊行まで2カ月を切った『夏迷宮』の、その出発にどうにか伴走しようとしている。今日(2026/02/27)の午後は大事な対談がある。

来月の半ばに入ると、私は意識をこれまでとは違う地平に向けるだろう。それは「創作論の地平」となるはずだ。その論考を、私はちょっとだけしか自分のためには書かない。シーン全体のために書いてみる。文学のシーン、あるいは広範な、表現のシーンのために。

私は言葉でこの世界が書き換えられると思っている。自分はそれをやれるというか、やるのだ、と思っている。しかし私は私ひとりでこの世界が書き換わるとは思っていない。私は、ただ、こう願うのだ。共闘があるはずなんだ、と。そのことが信じられなかったら、あと32年(33年?)なんてフレーズは、私は絶対に掲げない。掲げられない。