地味にならねば。なぜならば、長篇小説の執筆をするということは、ルーティンを生きることだからです。同じ時間に起きる。同じ種類の音楽を聴き、同じような食材の朝食を摂って、その小説に則した(一種のペースメーカーとしての)数冊の本に触れて、同じように集中を高める。それから、書き出す。同じ時刻に。こうしたことが肝要で、すなわち、地味が大切です。普段からモットーとして三回唱えるのは「地味になれ。地味になれ。地味になれ!」です。けれども困ったことに、帰国後の俺、時差ぼけじゃん! しかも今回の時差ぼけ、苛烈じゃん! どの程度烈しいかというと、スポーツ・ジムのヨガのレッスンに出てポーズを取りながら、二度、三度と寝てしまったほどです。しかし倒れなかった俺は偉い……。イギリスから戻った直後は、けっこう容易に日本時間に適応するかなと楽観視していて、人と会っていても楽しかったのですが、48時間後からキタな。まあ、そうした苦悶はさておき、「楽しかった」ほうから語れば、ドーナツ盤をプレゼントされたりしました。ドーナツではないですよ。小型のレコード盤の、要するに7インチ・シングルのことです。それもジョンとヨーコの、POWER TO THE PEOPLE とあと1曲が入った、フランス製のやつ。誰が贈ってくれたのかというと、僕の三つの小説のフランス語訳を手がけてくださっているパトリック・オノレさんからです。彼は、なんと、僕がイギリスに発った翌日に日本に入り、僕が日本に帰った翌々日にフランスに戻る、という日程で来日していて、すわ会えん! というところだったのですが、さいわい(僕の)帰国翌日に夕食をともにできました。ドーナツ盤はうれしいなあ。しかし、なぜかなあ。との問いの答えは、数日後に出ました。地味になるために死闘を重ね、連載小説用のあらゆる資料を読み込んで、創作ノートにがしがしメモを取って、「そろそろ地味だ!」と叫んだ水曜日の夜、このウェブサイトを制作してくれているスタッフ陣との食事会を催しました。直接ウェブサイト作りに関わる女性たちが4人、20周年記念映像を作ってくれた河合宏樹くん、このサイトの僕が写っている写真を全部撮ってくれている写真家の朝岡英輔くん、とみんなで集まって、僕のほうからは感謝の雨あられ雪つぶて。そこに、食事会場にほど近いところにいらっしゃった(というか単に住んでらっしゃる)、『ミライミライ』プロモーション・ビデオの音響の宇波拓さんもお招きできて、そうしたら、宇波さんが、北海道のあの撮影期間の、プリントされた写真を僕にくださるではないですか。そこには、まさに、データではない何かがあって、それらは色彩のない写真で、ぶれたり、あわっとしたりしている写真で、でも、あの時の北海道が「ある」。それは、モノとして、ブツとして、封印されながら現前する、ということです。この感触。それこそが、ジョンとヨーコのドーナツ盤が僕にもたらしたものと、いっしょだった。たとえば僕が朗読する際に、僕は、自分の「肉体」を強烈に意識するか、あるいはオーディエンスに意識させていると想像するのですが、それもまたモノがここにあるのだ、これが身体というブツなのだ、という訴えであって、こうしたことと確実に共通している。そして、何よりも共通している表現あるいは存在は、もちろん本です。紙の本です。そうしたことを、時差ぼけ解消の直前に知りました。さて、明日からホント地味です。
20180308