曼陀羅華AからZ #01

始まりのAからFあたり:数字

私の小説『曼陀羅華X』は、単行本版は原稿用紙に換算すると、ちょうど770枚のボリュームである。それが「多いか」「厚いか」は読者の判断にゆだねる。私としては、今回の著作は「枕にはならないよ」と言える(ちなみに鈍器にもならない)。ところで雑誌掲載時・連載時には、この小説はどれほどのボリュームがあったか? 私は単純に、文芸誌「新潮」に入稿したすべての原稿を連結して、ダブったタイトル部分などは削除し、計算してみた。すると1198枚あった。

もともとは約1200枚の小説だった、ということだ。要するに、おおよそ470枚ぶんが減った。このダイエットはいったいなんなのか? いったい何が起きたのか? 説明をすればするほど読み手の混乱を招く気がするので、ひとまずは2020年12月7日に発売された「新潮」誌(2021年新年号)の、掲載原稿の冒頭部分を引用する。

〈著者より——私(古川)はここで読者の容赦を乞わねばならない。この『曼陀羅華X』の連載はすでに十回を数えて、今回で十一回めとなる。が、『曼陀羅華X 2004』および、その前身である『曼陀羅華X 1994—2003』内の二つのパート、「小文字のx」と「Y/y」を私はなかったことにする。私はいま、とんでもない宣言をしているのだとは自覚している。それでも物語の真の要請には服したい。私は『曼陀羅華X』から麻原彰晃を消す。これはその名前を消すのである。
私が「そうしてしまうこと」の真意の判断、また、当然ながら是非の判断は、読者に委ねる〉

上記の文章のうち、「なかった(「私はなかったことにする」の「なかった」)」と「その名前を消す」には、強調のための傍点が振られている。私はこの小説の二つのパートを、まるまる抹消したのだ。抹殺した、と言い換えたい衝動にも駆られるが、いずれにしてもそれらの世界を消した。そうやってリアリズムの法則(掟?)から逸脱しない文学、いわば、その埒内に作品とわが身とを置いた。ここに筆をとる私の最大の決断はあった。ただし、この『曼陀羅華X』という小説に関しては、この手の最大級の決断というのは2度も3度もあったのだった。あるいは、もっとかもしれない。

ところで「麻原彰晃を消す」というアナウンスだが、私は、この小説の執筆に取りかかる前に、新潮社の編集者ふたりに、弁護士と相談をしてもらっている。「実名(※教団名を含む)を出してよいのか?」等に関して、だ。私(たち)はそこまでやった。このことは明記しておく。