ひとまず、〈希望〉の方角へ

ひとまず、〈希望〉の方角へ

2022.11.26 – 2022.12.09 東京・埼玉・神奈川

この文章を書き出す1時間半前に、たぶん今年最大のハードなる局面は乗り越えた。具体的に言う。じつは今日(2022/12/09)は小説の締め切りがふたつ重なっていた。そういうのは突破するのは困難である。というわけで、もちろん自分でスケジュールを調整して、ひとつは掌篇規模の小説、ひとつは連載小説であったので、今日を連載小説(とは「群像」に掲載続行中の『の、すべて』だ)の脱稿日とし、そうでないほう(これも連載小説ではあるのだけれども、1話読み切り的なテイストを求められているので、そういうふうにやっている。「MONKEY」に書いている『百の耳の都市』である)を昨日のアップにした。で、おとといは何をしていたのかというと、ひとまず夜に限定して説けば、ロシアから知人を迎えていた。そこでは大事な話をした。大切な話をしてもらった。その〈大きさ〉を抱えながら、しかし、目覚めたら『百の耳の都市』の最新話にダイブした、ダイブしなければならなかったというわけだ。

ちゃんとダイブできた。とんでもない10枚の原稿が仕上がった。それはオーケー。しかし、この日の夜には佐々木敦さんが主任講師である「ことばの学校」の講義があって、これは3時間が予定されていて、オンラインではあるのだけれども、いろいろな準備が要った。心の準備もだ。だから、それをやった。佐々木さんは『天音』に触れて話を進めたい、と事前に言ってくれたので、私はこの自分の初めての長篇詩を、咀嚼し直すためにウェブサイト用のセルフ解説を急遽書いた。「天音、そのオンとオフ」の第1回である。こういう時に原稿を執筆してしまうのが、なんとも古川日出男的であるというか、古川日出男の業であるというか、自分でもどこかで天を仰いでしまうのだけれども(……俺ってなんなんだろう……)、けれども、しっかり書けた。

「ことばの学校」の講義も、たぶん弛まず進められた。語りに語ったので情報量は相当多かったと察する。ありがとうございます熱情で臨まれたと感じた佐々木さん。ありがとうございます熱意を感じる生徒さんたち。で、そこからだ。いっきに心身を『の、すべて』方向に転じた。そして、寝ていても、起きた直後(というか起きた瞬間)も、この連載小説のことしか私は考えていなかった。11月末から私は『の、すべて』のことしか考えていなかったのだけれども、1時間半前……と書いているうちに1時間40分前となった、脱稿に至った。これで、この小説は、全体の4分の3が終わった、はずだ。しかも依然、飛躍の途上にある。もはや〈恋愛小説〉の面影はどこにもない。けれども連載第1回からの、あらゆる播種されたモチーフ、アイテム、その他、は芽吹き、繁りつつある。私はこの小説が恐ろしい。これで3度は転生した、つまり3度は完全脱皮した気がする。

人間は、生まれた時には言葉も操れず、小学生では歴史を認識することもできず、中学生では初めての欲望に溺れて、高校生になると未来を模索し、そこから揉まれて、絶望する20代もある、苦闘する30代もある、ドロップアウトする40代もある。その逆というのも、どの段階にもありうる。そうした瞬間瞬間の「あなた」や「私」は、とうてい同じ人物には思えない。実際に、肉体を構成している要素は何千度何万度と入れ替わっている。という、人間には〈当たり前〉のように起きていることを、小説にも起こしてみたら、どうなるのか? 私・古川日出男がいま『の、すべて』で試みているのは、挑んでいるのはそれだ。たぶん、それなのだ。3歳児と思春期の少年少女と60代の人間は、それが実際に同一人物だとしても、本当に〈同一〉なのか? そのことを証せるのか?

そうなのだ。「ひとりの人間は、何歳の時にでも、おんなじ顔をしてまーす」みたいな欺瞞を、ぶち壊す。「この世界は、いつだって、伝統に裏打ちされて、おんなじ価値観で安定してまーす」みたいな常識、イコール非常識も。

というわけで、今日、私は修羅場を乗りきった。この「現在地」を書きあげて、ウェブサイトにアップしてもらうまでは安心はできない……のだけれども。ああ脱稿は1時間50分前になった。じゃあ、楽しいことやうれしいことを書く。

詩作品『天音』は、予想を超えて「読みました」「読んでしまいました」みたいな声をもらっていて、ありがたいことに誰も〈詩〉の作品だからと敬遠することがない、と私自身は感じられている。LOKO GALLERY での『天音』読書会も楽しかったし、充実していた。これについては『天音』のセルフ解説で、いずれ触れる。『天音』は今月18日にもイベントを予定していて、そこでは全文を朗読してみる。全文、ということは『天音』全篇ということだ。音楽的なセッションとは様相がぜんぜん異なるものになるんじゃないか、と予想している。でも、ちょっと、音楽の〈仕掛け〉もイベントのどこかには挟みたいんだけどね。

それで、明日からは静岡、神奈川、そして秩父、と移動しつづける。その合間に『の、すべて』のつぎのフェーズを見据える。もっといろいろやる。ただ、今日とそこに至る数日間、みたいな滅茶滅茶なことは、もうない。自分を楽しんでクリエーションに奉仕させるだけだ、と、そう見込んでいる。

本当に楽しかったことをひとつ。雉鳩荘の庭はけっこういじった。私は〈土〉を購入するのがストレス発散法になった。腐葉土とか赤玉土とか。で、何日前だったかな、その日の執筆を終えて、それでもまだ日没前だったので、庭に出て、シャベルをふるって、150リットルとかの土で畝を作って、その谷間に種を蒔いていたら(来年のためにニゲラの蒔きつけをしていたのだ)、馴染みの猫が現われて、私がスコップで蒔いた種のうえに土をかけると、いっしょに片手で土をかける。器用に畝を崩して、溝を埋めるのだ! そういう〈種蒔き〉をしばし一緒にして、そのうち、平らになった地面にぺたりとお尻をつけて、その猫はジャーッとおしっこをしていった。私の顔の50センチとか前で。有機肥料までありがとう、と私は感謝して、夜までニコニコ顔がとまらなかった、とさ。

こういうのを幸せというんだとさ。

さあ、〈希望〉だ。