定点から逃げない

定点から逃げない

2024.04.13 – 2024.04.26 東京・埼玉

雉鳩荘の庭に3度めの春が来た。それを「昨年、おととし等と『同じこと』の繰り返しだ」と私は感じているか? ぜんぜん違う。今年は雑草のなかではタンポポとカラスノエンドウの勢いが凄まじく、かつ、園芸種ではマリーゴールドが「6月からはこの庭はあたしたちのものだ」との異様な圧をもって庭の南面・西面に芽吹いている。2カ月前まで庭の地形を改良しつづけていたので(これは大量に園芸用土その他を投入することで実行している)、そこでどのような植物たちの勢力争いが起こるかはまだ読めない。昨年の春にはやせっぽちだった雄の若いノラ猫が、すっかり逞しさを増して庭を通行しつづけている。アナグマが昨年に続いて出現したが、今年のほうがのんびりしていて、「よー、おひさ!」と言わんばかりの余裕である。つまり、雉鳩荘の庭に春が来た、との基本は変わらないけれども、変化はそこら中にある。そこには私自身が関与した要因もあるけれども、ぜんぜん関係ない事柄も多い。

こうした変化は、同じ庭に臨みつづけないかぎり、ほぼ看取されない。私が言いたいことはそれだ。何かが変化していることを知るためには、変化しない場所(立ち位置)を持つ必要がある。ひとは、何かを変えたい……と望むと、たとえば「どこかへ行こう。遠いところへ」的に考えてしまう。そして、その〈どこか〉で目新しい事物に出会いはする。だが、少し考えればわかるのだけれども、その目新しい事物は、その土地では〈いつもあること〉でしかない。その〈いつもあること〉が真に変わる瞬間には、やはり、その土地をも定点観測地点に変じさせない限り、まみえられない。

たとえば、あなたが本当に「変わりたい」と願っているのだとする。だとしたら、そこから動くな。

3日や1週間で変わろうとするな。1000日間、同じルーティンをこなせ。跳ぶのはそれからだ。

そんなふうに私自身への戒めともなるフレーズを書きつけたところで(そうなのだ、私はここでは自分を叱咤しているのだ)、いつもの「現在地」っぽい報告へ戻る。4月16日は午後6時からコンピュータの前にいて、ある記者会見をライブで観た。それはカンヌ国際映画祭の公式会見である。2018年に発表した『とても短い長い歳月』の巻頭に収められた「とても短い」が山村浩二さんの手でアニメーション作品になったことは報告済みだが、そのワールドプレミアはカンヌ国際映画祭での監督週間で、と決まったのである。フランス語、そして英語の同時通訳のその会見を観ていたら、ラインナップの公表のほぼ冒頭で、「とても短い」の名が出た。それどころか、ここは完全に予想外だったが、私の名前も口にされて吃驚した。しかもフランス語だから Hideo はイデオと発音されていた。来月は私は執筆に没入期間なので地中海は現実的に遠いのだけれども、このイデオの声は劇場に響きもするはずである(私は朗読で出演している)。ひじょうに楽しみである。

で、この記者会見の翌日、だいたい22時間後に、マシンジムのトレッドミルで走っている際に、最後の2分間のダッシュの追い込みの「残り40秒を切」る段階で、左脚のハムストリングが「プチッ!」と言った。あ……と思い、たぶん1秒後にはマシンを停めたのだが、すでに時遅し。肉離れである。あの「プチッ!」は、経験している人には伝わるだろうが、イヤな音である。筋肉が断裂する音響である。その後の2日間はひどい状態だった。しかも約束があったので翌日は外出したのが致命的なことになった。それでも、その「ひどい」2日の後は全面反省して、3日半は外に出なかった(に等しい。さすがに数百メートルは歩いた)。安静を心がけて、筋修復用のアミノ酸を大量摂取して、ストレッチをやった。それでどうなったかというと、かなり快復した。そろそろ、ほぼイケそうである。私が驚いてしまうのは、この年齢になっても「筋断裂するまで自分(の肉体)を追い込める謎の精神力」だった。俺って馬鹿なのかしら。

さて。昨日(2024/04/25)はとうとう『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』の装幀のラフができてきた。ぶっ飛んだ。いや、もう、なんちゅうの、現段階ではそのような表現で印象を伝えるにとどめるけれども、これは〈腰抜かし系〉だね。最高だね。もはや #パンオペ と叫ぶしかないね。

と騒々しい文章を記した後に、そっと記す。私はいま仕事場のデスクに原稿用紙を置いている。そしてペンと、インクを置いている。そこには平らな世界がひろがっていて、それは新世界の〈窓〉である。5月1日から私は、いっきに、俗世を棄てる。ここからは手書きで1冊、本を用意するのだ。