外へ

外へ

2019.04.27-05.10 東京

ずっと自分を幽閉するような大型連休だった。そのモードは現在も続いている。しかし、だから人と会わなかったとか、何も体験・体感しなかった、ということではない。改元前夜は、相対性理論のライブを見た。それは「救済のエンターテインメント」と感じられて、この感想をじかに、やくしまるさんに伝えることも叶った。そんなふうに4月が5月になるのは、いいな、と穏やかな心持ちだったのだけれども、翌日には遠藤ミチロウさんの訃報に触れた。ミチロウさんには、数年前に「東京オリンピックの時期に、これを」と託された物事があった。が、それは私には重すぎるミッションで、というよりも、私の器がどうにも足りず、(結果的に)引き受けられなかった。しかし、「では、自分でできることは何か?」とは考えつづけて、来夏、自らに課したミッションはある。その準備にも入っている。そんなことを思っていた矢先、の訃音だった。

ミッションは、もちろん福島に関係するもので、だが「福島=故郷」と考えると不思議だ。私は、福島県、という大きなスケールでものを考えてはいなかった。自分が暮らしている市の、その外れに、生地はあった。周囲には田圃ばかりがあり、ところどころ森が残って、その森で、実家は椎茸を作っていた。私は、そこで文化的な環境はあまり得られずにいて、だから、高校に進学して「市街地」が近づいた時、うれしかった。街には輸入レコード店があった。そこにこそ、どこでも「聴取が叶わない」音楽があった。言わば、ひとつの象徴だった。それから大学に進学して、そこは東京で、新宿駅西口には輸入レコードの専門店が幾つもあって、そこをさ迷うようにして、数年を過ごした。私は、外へ外へ、と移動した。外には何かがある、と思って。

それは、田舎から外に出る、ということが叶ったという幸福な例だった、とも考える。もしも、実家に身を置いたままで世界中の音楽が手に入ったのならば、私は外に出たか? もしかしたら、(これは数パーセントの可能性ではあるのだけれども)出なかったのではないか。この仮定は、何かがおそろしい。情報は、かつては、つねに「外」にあった。現在は、情報など、どこにでもある。すなわち私たちは「外」を与えられていない。というか、私たちはそれを奪われた。

たとえば、ひとりのティーンエイジャーが、イギリスで500枚だけプレスされた7インチ盤(とはサイズの小さなレコードだ)を手に入れる。日本で、新宿の片隅で、だ。その盤に触れる時、「ああ、こいつは海を渡ってきたのだな。このビニールの物質は」と思う。その盤に針を落とす時、「ああ、500人しか聴けない音楽が始まる」と思う。そして、何度も何度も再生する。何度も何度も、出会い直す。その時に、そのティーンエイジャーは「ここで何かと出会っている」と体感する。そして、そのティーンエイジャーとは私だ。私だった。

この大型連休には連載小説『木木木木木木 おおきな森』の執筆に没頭しつつ、夏に刊行する単行本のゲラも、丁寧に見た。『木木木木木木』は全体で1500枚規模の巨篇になる。その、1000枚から1100枚の間を、私は歩いている。秋には、この作品をいっきに脱稿する(脱稿させる)。連載そのものが年内に完結するだろう。しかしそれだけではない。他にも、あとひとつ、私は書き出す。どうしてそこまでするのか? それは、だれかのために「外」を用意するためだ。そんなことはもう無理だ、などとは、この時代に言わせない。