彼岸へ

彼岸へ

2019.06.15-06.28 東京

凄い小説が生まれるはずだった。私は挫折した。その小説は、今年一月から準備されていた。今月、具体的な事前作業(起筆前の)に入った。そうして、私はいつものように自分の思考を突きつめて突きつめて、ある種のビジョンに到達して、「それを書くとはどういうことか」を体感として知り、書いては駄目だ、と悟った。この小説はひとを傷つける。そして、ひとを傷つける小説を執筆することは、私自身を傷つける、どころか死に追いやる。

もちろん死なない可能性はある。どうにか、その小説を書き切れる(ほんのわずかの)見込みが。しかし、その「脱稿した」自分というのもクリアに想い浮かべることができて、すると、その自分はもはや「その先に書くものがない」のだった。私は、これを書きあげたら、もう小説は書けない人間になる。そこまでわかった。呆然とした。たぶん私の顔は蒼白になっていた、はずだ。編集者たちに連絡した。

翌日には会ってもらい、相談し、そこまでの自分の思考の軌跡の全部をたどり直し、語り、すると、やはり出口がなかった。私は考えに考えに考えて、そして、駄目だったのだ。ふたたび考えに考えに考えて、編集者たちと語っても、やはり、駄目だった。こんな経験は初めてだった。その小説を、私はまだ書いていないのだ。「書いていない」のに断念することになって、私は打ちのめされている。私には何もない。私は編集者たちに「やめる」と言ってしまったのだった。もう、それで、全部、終わりだ。

そうして私は空っぽになり、空っぽであることは認めているけれども、精神(感情)のコントロールはきかず、身近な人間たちをふり回し、俺は最低だな、と思うばかりで、まるでもう老後を迎えてしまったような気になった。私は、もちろん、来月には新刊も出すのだし、秋には『木木木木木木 おおきな森』の連載は終わらせる。まだまだ挑みつづけはするのだけれども、その先にはないのだ。その先には、挑むべきものが、ないのだ。ある意味で、そんな事態は初めてだった。

その美術展を観たことが何事かを働きかけたのかもしれないし、そうではないのかもしれないが、あるサウンド・インスタレーションを鑑賞した直後に、まったく意味不明の言葉(三文字だった)が頭に浮かんだ。音が、ポンと鳴るように、浮かんだ。それは、編集者たちとのあの会話の中で、論を詰めに詰めていった時間の、その横側にゴロリと転がるような言葉だった。論の後ろにも、前にもなかった。横にあったのだ。愕然とした。一時間半、考えた。……俺は間違っているのではないか? これも迷妄ではないのか? ……しかし。ふたたび編集者たちに連絡した。メールをしたためて、送信ボタンを押す時に、何度も何度も「押せないかもしれない」と思ったが、文面(自分が書いたもの)を読むと、誤りはないように感じ、ついに押した。

返信はあり、私は再起動に入った。その小説は、すでに異なるタイトルを得て(たぶん得たはずだ)、異なる構造を具えて、膨張し出している。一体これはなんなのか、とも思う。しかし、私はどこかへは抜けたのだった。かつ、長い長い「道」を歩む行程に入ったのだった。そうだ、もう入っている。

忘れないようにメモをする。ここに。以下はメタファーである。彼岸(あの世)に到達するために、ここ(この世、地上)に革命を起こす、と思考する力がある。その力にどのような批判を浴びせることも、無効だ、という一瞬がある。ならば。そもそも彼岸(あの世)に革命を起こせばよいのではないか? 私は問う。「菩薩たちは立ちあがらないのか?」と。あるいは、こうも問う。あなたたちの文化圏で、「天使たちは?」と。