隧道群

隧道群

2023.08.26 – 2023.09.08 東京・埼玉・京都

今日もトンネルを抜けた。『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』の新しい原稿を、書きあげた、送稿した。去年の10月からこの作品は書いている。そして、発表するたびに「まさか、こういう作品だったとは!」「こう展開するとは!」との声をもらっている。しかし驚かせつづけることが目的ではない。私は、今回のこの原稿、これは来月発売の季刊誌「文藝」に載るけれども、そこで、「これはそういう作品だったのだ、だから」との接続詞まで、人びとの感想をつなげたい。つまり、まさに接続させたいのだ。

7月の、いま記録を確かめると14日だったのだけれども、夕方に突然私は右膝から出血した。何をしていたということもない。雉鳩荘のリビングにいた。しかし「膝が痛いな」と思い、見てみたら血が流れていた。その後、予定どおりに筋トレを行なったら、右脚じたい前後に振れなかった。原因が不明だったのだけれども、そして、いまも痣(痕跡)が残っていて消えないのだけれども、その日に自分が何をしていたのかはわかる。その日に至るまでの数日間いったい何をしていたのかも把握している。文庫化される『平家物語』のゲラの推敲作業に没頭していたのだ。想い起こせば、『平家物語』を現代語化する日々に、私は幾度か「原因不明」の痛みだの不調だのにやられた。つまり、「ああ、また……あれだったのだな」とふり返っている。日本で〈源平合戦〉という名の内戦があって、これは要するに律令国家の日本がもはや律令制(という前時代的な体制)を実際にはとれていないので、崩壊する前に武家たちが壊した、というふうに私は理解しているのだけれども、その過程で信じがたい数の死傷者が出た。

この、日本人が日本人を殺した、という歴史を引き受けると、私の肉体は出血する。たぶん〈文学〉的に出血して痛んで(骨が)折れて(喉で)呻いて(骨を)接がれて、だが、そういうのは引き受けなければならない。今年もまた、それをやったのだ。本日、パンオペ(『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』)の上記の原稿を河出書房新社のサさんに入稿したら、河出書房新社のシさんからは「『平家物語』の第1巻は責了しました」との連絡が来た。そして私は、明後日、この文庫(全4巻である)シリーズの最後の原稿ふたつ、……いいや、さっき、みっつに増えたのだけれども、その「みっつ」を書きあげて、それで『平家物語』に関する執筆のあらゆる作業を終える、予定だ。

新作単行本『の、すべて』は今月末に出る。全4巻の文庫『平家物語』シリーズは、来月頭から順次、毎月出る。そういうリリース情報はもろもろ整ったら順次出すけれども(なにしろ書影も凄いのだ)、私は年内にさらに新刊の単行本を出すし、その『平家物語』シリーズではない文庫も出す。しかし日本で〈源平合戦〉があったことは、ひねった形で反映させる。いつもの「古川日出男っぽい」視角からこの日本を、この世界を眺めるんだよとは言える。

京都に行って、あの人の陵墓に参った。脳内で、私が、話さなければならないことは色々あった。その人の名前は後白河法皇という。

作品を出すしかない。作品で示すしかない。自分の作品で、表現で。この2023年内に、自分の著作・合計7冊の見本を、要するに「本の形をした、本物の本」を、この私は見る予定でいる。さて、トンネルは長かったね。今月だって働きつづけはするんだけどさ、けれどもさ。あとは、やんちゃに。ね。