いま考えていることは、ふたつです。執筆中の原稿(『木木木木木木 おおきな森』連載第12回)をどこまでも凄いものにしたいという思いと、僕のために原稿をくださる人たちのその文章、その内容、その思いに、涙してしまうほど感動するという感情と。後者に関して解説するならば、このサイトのために、まだ何人もの方が寄稿の準備をしてくださっていて、それらに触れると、呆然とうち震えます。だって、なぜ、僕のために書いてくれるのか。そんなに素晴らしい文章を? こうした文章をひとつひとつ、公開できることは、本当に心から感激してしまうことなのです。いっぽうで、いつものように僕は《執筆中》の期間は地獄に落ち、それでも、何かが超越的だと感得する瞬間があって、「ああ俺はこのために苦しみを自分の日々の課題としているのだ」と感じるし、これを換言するならば、「苦しみこそは自分=古川日出男の糧なのだ」となります。それでいいのかとも思いますが……。ところで、あっという間に執筆没入期間に入ってしまって、我ながら振り返ったほうがいいのではないかと思う事柄もあります。その筆頭は戯曲『ローマ帝国の三島由紀夫』です。なにしろ文芸誌「新潮」に発表直後、北海道のあの地震という悲劇のために出演イベントがひとつ飛び、さらに直後に中国(北京)に飛び、講演のたびに没入し、その最中にコンピュータがクラッシュし、帰国直後に新調し、そのセッティングに奔走し(というよりも翻弄され)、朗読劇「銀河鉄道の夜」の準備に命をかけ、その朗読劇「銀河鉄道の夜」の初日を迎えると、台風が列島を縦断し、2日めの公演は中止になり、呆然とし、うちのめされ……と思う間もなく、こうして執筆に没頭すると(と書いていますが、じつは、他にも無数の仕事をしています。多すぎるので挙げませんが、それらの仕事もひとつ残らず真摯に向き合っています)、気がついてみると「それで『ローマ帝国の三島由紀夫』の反響はどうだったのだろう? どのように受け止められたのだろう?」と考え込んでしまうわけです。4月13日にアップした僕のお便り第8回で、「[…]なんといっても最高だったのは、コーチさんに連れて行ってもらった(というか、こちらからもリクエストした)ある場所で、とんでもないアイディアが生まれたことです。知ってる人も若干数いるから書いてしまいますが、僕は、この夏〜秋にも戯曲を執筆します。その核が、どーんと来ました[…]」と僕は記したのですが、そのアイディアとは、ベネチア宮殿で演説したベニート・ムッソリーニの姿と市ヶ谷駐屯地で演説した三島由紀夫のオーバーラップ、でした。ありがとうジャンルーカ・コーチさん。ちなみにコーチさんは、12月1日に明治大学で行なわれる僕のシンポジウムにもご参加・発表をされます。あと、過去のお便りがらみで言うと、これは3月16日アップの第4回なのですが、そこで記した「居酒屋での打ち上げで、佐々木さんからとあるオファーを受けて、それをどうするか、考えています。2019年。うーん、うーん」とは何かと明かすと、じつは新作戯曲を発表するならば、それを自分(=古川日出男)で演出しないか? サポートする、というお話だったのですが、これについては、いまも悩んでいます。なぜって、この戯曲は《劇作家》として書いたから。ゆえに、誰かが演出するのを見たい、とやっぱり思っているのです。そんなふうに挙手する人がいるのかどうか、もちろん想像もつかないのだけれど……。まあいいや。いずれにしても、『ローマ帝国の三島由紀夫』は読むだけで《脳内上演》できるはずなので、未読の方は楽しんでください。あと、大事なことに(これまた)触れ忘れていますが、このサイトのけっこう(そこそこ?)重要なコーナー、「絶賛過労中」の再掲が完了しています! 読み通して、一瞬、声を失いました。だって、2年間通して読むと、《作品》として完結しているから。いつもいつも思うのですが、僕の人生は、悪い意味でも小説のようです。僕の人生はメガノベル過ぎて、数カ月のタームでは計れない。しかし、ある長い幅で眺める時、そこには何か、希望もポエジーもある気がする。だから、頑張ります。そして応援ありがとう。
20181011