では25周年だ
2023.09.09 – 2023.09.22 東京・埼玉・富山・金沢
新刊小説『の、すべて』が、本という形で、完成した。
その、『の、すべて』を、今日(2023/09/22)は朗読した。よっつのシーンを、この肉体ひとつで朗読して、よっつの映像にして、いずれ講談社から観られるようになる。
その、『の、すべて』の、百三十数冊に、今日はサインをした、ひとまず ‘All About X’ と言葉を刻んだ。つまり「の、すべて」である。イーロン・マスクのすべてではない。あんなやつは嫌いだ。いや、失敬。これは口が滑った。
いまは興奮していて、いつものようにサイトのこの「現在地」の文章を綴れそうにない。だから蝉の話をする。今年、雉鳩荘の周りで、なんと6月30日には蝉が鳴いた。そして、数日前から、もう蝉の鳴き声を聞いていない。だから考えている、この酷暑と、蝉たちのことを。
蝉は、だいたい7年間は地中に生きる。短いものは3年、長いものだと17年という。この期間、もちろん地下生活をしているわけだから〈眼〉を使っていない。しかし、脱皮を繰り返して、脱皮を繰り返して、その最終段階で〈眼〉は誕生する。
蝉が、その〈眼〉をもって地上の世界を眺めるのは、そんなに長期の時間ではない。羽化後に、ちゃんとした形で眺めるのは、2週間から1カ月だ。その程度の期間しか地上では生きられないから。
それを、あなたはどう思うだろうか?
そんなふうに〈眼〉を持たないで地中にいた蝉たちの永い幼虫時代を、「かわいそうだ」と考えるだろうか?
それは上から目線だ。間違っている。
私は、蝉たちは、視覚の必要のない世界にも生きるし、そうではない世界、すなわち私たちと同じ世界をも生きるのだ、と考える。〈眼〉を持たないから不幸? そんなことは1ミリも考えてはならない。蝉たちは私たちよりもむしろ幸福で、だって、ふたつの世界がある。
私は、小説をこの世に提供することで、読者の皆に〈ふたつめ〉の世界をさし出したい。そんなふうに思っている。本気で思っている。