輪郭にふれる

輪郭にふれる

2023.05.27 – 2023.06.09 東京・埼玉・福島・神奈川

どこまでもどこまでも『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』の執筆には苦しんだ。午前中から作業を始めるのだが、夕方になっても終わらない。夕食を終えても終わらない。そのために翌日の執筆予定箇所の資料が読み込めない、そうした日々が続いて限界を感じた。それでも起床すると、いつも自分をリセットしている。「今日こそ、必ず、予定の枚数で、予定の時刻までに、今日のぶんは書きあげる」と決意して、だいたい昼過ぎにはパニックに陥った。読むべき資料というのは、日本史、世界史、もっと巨大な人類の歴史、つまり地球(それから宇宙)のことに関係する。自分の無能力さに悲鳴をあげそうだった。ほぼ全部のシーンを、3度、4度と推敲した。今回の連載ぶん(=連載第3回)は原稿用紙で100枚ほどを入れる予定で、つまり、私はその3倍、4倍の量を書いていたことになる。ふり返ってみれば、それはまあ当然、限界だったのだろう。

6月2日は台風だった。私には日々の生活のルーティンというのがあるのだけれど(たとえば起床後にはある程度の時間、体を動かしている)、いっさいのルーティンをやめて、目覚めるやフランク王国について自分の足りない知識の補いに入った。フランク王国がなければ、現在のドイツ・フランス・イタリアはない、と言える。ということは、現代に生きる人間にとって、その歴史は絶対的に関与しているが(欧州文化の影響を受けていない「いまの地球の人間」はほぼ存在しない。それがつまり、資本主義下に生きるということだから)、フランク王国のカロリング朝について私は何が言えるのか? 言えるところまで持ってゆかなければならない。だから、それをやった。

よしと思えるところまでやって、書き出し、最初は書けている。しかし恐慌が来る。午後2時。午後4時。「もう無理だ。限界だ」という瞬間が訪れる。それで、私がそこからどうしたか、だけれども、屋外に出た。台風の日だったのだけれども、風は少し……少しだけ治まっていた。だから外に出て、ただ歩いた。そのうちに風が強まり、そのうちに雨はふたたび降ってきて、強まった。私はいま、裸眼で外を歩けるから、降雨にあっても「眼鏡が雨滴にやられる。視界が狭まる」ようなことがない。だから、それでもグルグル、グルグルと歩いていて、もちろん周囲には誰もいなかった。台風だから。そして、雨と風とが私に対して何をしたのかというと、「お前の顔は、ここから始まる。お前の肩は、ここから始まる。お前の首は……」だの、私を濡らすことで、私を雨滴で叩くことで、私に強風をぶうぶう吹きつけることで、そんなふうに言った。

お前には輪郭があるんだよ、と言った。

お前にはこんなふうに、濡らされたり風になぶられる肉体があって、お前はだから、お前なんだよ。たしかにお前なんだよ。そう言っていた。

20分が経ち、30分が経ち、脳内で糸がほどけていって、どんどん言葉が生まれてきた。

その後、夕食をとり、22時の少し前まで書いて、その時の私は恐ろしい集中力だった。そして、書けた。どんどんと書けて、資料上の〈データ〉でしかない史実が、あるいは歴史家の考察が、自分の言葉に変わっているのだった、自分の考察に変わっているのだった。誰のものでもないし冷たい〈データ〉などではぜんぜんない、私の、俺の、古川の、ナマの、ちゃんとしたビジョンになっていて、しかも自分の文体で吐き出されつづけた。

そこからもあと2日、苦闘は続いたのだけれど、当初の締め切りから4日遅れで、『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』の連載第3回はアップして、すさまじい原稿に化けていた。たぶん、この作品は〈怪物〉と言えるものになるんだと思う。この作品もまた、だ。そこまで来られた。そして、それは、風のおかげだった。雨のおかげだった。私には輪郭があるということを、それらが知らせてくれたからだった。告げてくれたからだった。

「自分が何者なのか」を知ることは本当に難しい。たぶん、私を筆頭に、ほとんどの人間が「自分は何者なのか」を勘違いしている。こうも言える。ある種の誤解をすることで、精神をノーマルな振れ幅の内側に保っている、と。自身がイメージしている自分像というのは、大概は「自分がなりたい人物」像でしかない。私たちの大半は、そんなものになっていない。そんなものにはなれていない。これを、こういう冷酷な現実を、どうやったら知れるのか? そして、知ったのちに、「そうである自分」の置かれた次元からアクションを起こせるのか?

ここにすべてがかかっている気がする。〈客観視〉するためには、他者のふれる手が要る。