夏至を越える
2023.06.10 – 2023.06.23 東京・京都・埼玉
雉鳩荘の庭でブルーベリーを初めて収穫した。熟し切っていたものは想像を超えて甘い。感激する。庭があると当然、日照時間が気になって、陽は長ければ長いほうがいいのだけれど、一昨日とうとう夏至を過ぎた。ここからは昼という時間がどんどんと減る。ただ、やはり来月再来月までは、まだまだ陽は長いなと感じるのだろう。時どき6年前のこの時期に滞在したフィンランドのことを想い起こす。午後の11時を過ぎても明るかった世界。公園(内のカフェ)で飲んでいたビール。夜というのは「私が思っている夜」だけではないのだという事実。明るい夜があって、日本にはありえない〈夜〉の概念があって、だけれども、フィンランドも日本列島も同じ惑星上にある。
6月10日には小島ケイタニーラブくんと雉鳩荘で『ザ・レディオ・ミルキー・ウェイ』の大事な打ち合わせをする。いままで朗読劇「銀河鉄道の夜」をやってきて、それも10年超やってきて、それを今年、ラジオ朗読劇に変えて、声と音響だけにして、今度は、それを舞台空間に戻す。それはどういうことなのか、ということ。そのビジョンを、誰かと共有できる、ということ。できるということが幸福であるということ。
また京都に数日間身を置いた。その最初の日には、鴨川沿いにある THEATRE E9 KYOTO を訪ね、この小劇場の運営母体の理事の人たちと、ずいぶん長い時間話せた。というか夜にはご馳走にもなった(本当にありがとうございました)。東九条にあるから E9 なのだが、そのロケーションは、私に「表現の故郷」のようなことを考えさせる。もしかしたら湯浅政明監督の『犬王』のお終いのシーンからも、人は何かを想い描けるかもしれない。私はもともと、そういう場所から出発した。いまもそういう場所に、たぶん、いる。それでいいやと思っているし、そうでなければ意味はないさと信じている。こういう時にはやはり世阿弥のことを考える。そして世阿弥のお終いの地が(もしかしたらそうではないのかもしれないが)佐渡であること、佐渡が「金島」であることを考える。
京都から戻ると、翌日にはもう日仏会館でのパトリック・オノレさんとのイベントで、会場(とは日仏会館だ)に着いたら、「会場(とはイベント会場だ)が変更になりました」とホールに案内された。いきなりホールに拡張されていた。そしてパトリックさんとは、なぜか上昇するエレベーターの扉が開いた瞬間に会って、挨拶して、その扉は閉まって、いったん分かれて、それから再度合流して、打ち合わせをした。『平家物語 犬王の巻』の日仏の朗読をした。『サウンドトラック』もバイリンガルで朗読した。『天音』も、一部をパトリックさんが訳し下ろしてきてくれたので、いっしょに読んだ。すでに四冊もの自著が、フランス語になって刊行されているというのは、どういう事実なんだろう? 会場にはよき聴衆ばかりがいた。そういう人たちと交流でき、うれしかった。いろんな国の人がいる、言語も飛び交っている、それはどこまでも幸福な情景だ、ということ。
執筆に戻る。また、仕事のための読書にも戻る。時間は圧倒的に不足している。一昨日は、そうだ一昨日こそ夏至だったのだけれど、午前4時45分には布団のなかで目覚め、ずっと執筆のための構想を練り、しかし肉体に不調を感じる。だが、やらなければならない。起きなければならない。6時半からは仕事モードに入る。苦しんで苦しんで、前進する。全部が終わると、夜の10時頃になっている。10時半に寝る。すると、これは翌日というべきか当日というべきか、別種の不調が肉体を襲って、2時間後(とは12時半だ、真夜中だ)に起きる。そこからさらに、明日執筆予定のシーンの構想を、まずベッドで練り、それから起き出し、白紙の1ページにびっしりとメモを取る。それからやっと、「本当に眠っても、いいんだ」という時間が来る。
そして繰り返す、日々を。庭では毎日、ちいさな野イチゴが実りつづけ、大小のヒマワリが咲きはじめて、ユリといったら本当に満開で、遊びに来る猫は耳がなんだか痒そうで、めちゃめちゃ可哀相だなと思って、そうだ俺も、俺もね、こういう日々を乗り切らないと、とか思う。そう教えられる。