常磐線に声を集めるという、そのために

常磐線に声を集めるという、そのために

2023.07.15 – 2023.07.28 東京・埼玉・静岡

台詞をいま頭に叩き込んでいる。いま、と言ったけれども半月ほど前から作業は始めた。これは全部、常磐線舞台芸術祭で上演される『ザ・レディオ・ミルキー・ウェイ』のためで、要するに私は、朗読劇『銀河鉄道の夜』史上初めての試みを今回はやる。誰かは……全員ではないけれども……台詞を憶えなければならないのだ。そして、今回はふたり以上が、ステージで演奏もする。台詞を完全にモノにするために稽古もしている。

こういった行為に自分が違和感をおぼえるか、といえば、じつは感じない。というのも、小説を書いている最中、私はいつだって登場するキャラクターたちに「なって」いる。ちゃんと「なって」いるからこそ、彼ら彼女らの発する言葉を書きつけられる。ここで「なって」いないと感じたら、キャラクターたちは薄っぺらい虚構と化す。つまり、ちゃんとキャラクターに「なって」いるということは、それらの登場人物たちに〈肉体〉を具えさせるということであって、それって、台詞をいま頭に、そして身体に叩き込む感覚と近い。というか、相当な部分は重なっている。

というわけで、演技をするための作業は、おもしろいほど私という作家、私という表現者を分裂させない。さらに言えば、演出をするという行為は長篇小説などを〈構成〉する行ないに通じていて、ここでもまた私は分裂しない。たとえば安部公房や三島由紀夫が、演劇と関わりながら彼らの文学を真っ当しきれていた理由は、たぶん、私には自明だ。

そして朗読するというアクションは、たぶん、そことは少しだけ位相がずれる。たぶん〈朗読〉のほうが文学者っぽい、とのイメージは世間にあるだろうが、私が上述したのは、つまり演技や演出のほうが(自分にとっては)自然体で文学者っぽい。朗読に臨む際に、私はもっと、別種の精神状態に向かう気がする。それがなんなのかは、私にも自明ではない。

常磐線舞台芸術祭の、前半の8月1日・2日は舞台『ザ・レディオ・ミルキー・ウェイ』をやる。後半の8月3日・4日は、アジアンカンフージェネレーションの後藤正文さん(ゴッチ)とセッションをやる。それも屋外で、または「ほぼ屋外」でやる。どちらも、常磐線の駅舎が見えて、線路が走っているのを感じられて、電車の到着だの発車だののアナウンスが聞こえる場所を選んだ。富岡駅バージョンでは、海も見える、かもしれない。山は見える。いずれにしても海と駅と山を私はイメージしていて、それから、開演後には日没があるから、たぶん虫たちが騒ぎだす。私の朗読する声に、ゴッチの声に、ゴッチの奏でる音に、きっと虫たちが共演する。それをイメージしている。つまり、富岡町のその〈空間〉に溶け込んで、新地町のその〈世界〉と一体となることを求めている。しかも、それはゴッチと私だけが「なる」のではない。その場に立ち会ってくれる観客が、つまりあなたたちもまた、いっしょに「なる」のだ。

そんなフィニッシュをめざしている。

この1カ月、あまりに苛酷に労働する日々が続いていて、だいたい4週間のあいだに何をやったのだろうとふり返ってみたら、まず平安末の院政期、そういう時代に深く潜って、皇統に関する考察もして、そこから現代のパレスチナ問題も考えた。それと現代日本のことはこれとは別に考えて、秋には刊行される『の、すべて』に響かせた。人類史を考えて、しかもホモ・ネアンデルターレンシスまで遡って考察して、そうしたことは『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』に描かれていった(しかし、相当部分はまだ未発表だ)。ラジオ朗読劇『銀河鉄道の夜』を真に舞台化するとはどういうことか、をギリギリギリと考察して、だいぶ時間をかけて上演台本を完成させた。原稿用紙に換算したら100枚を超えていた。朝日新聞の文芸時評のために、本を、あるいは雑誌に載る作品を、読み漁りつづけた。よい意味で、この時代に正面から臨んで悪戦する作家、作品に出会って、そういう悪戦、そういう苦闘に共振した。ほかに大量のゲラに目を通して、朱を入れて、一部は真っ赤にした。

こう書いたら、ああ古川という作家は分裂しているのだ、と言われるのだろうか? 思われるのだろうか? しかし、それほど多岐にわたったことをしているのでもない。〈古典〉があり〈現代社会〉があり〈人類史〉があり〈震災〉があり、たぶん、この4種のカテゴリーに全部収まる。そして、そういう全部は、「人(人類、ヒト)」が「地球(とは災害も起こすし、人類のせいで滅びにも向かわされている)」に生きること、に直接に関わっているだけだ。それを可能なかぎり、巨大なスパンで捉えたい。認識して、足掻いて、呻いて、死ぬまでには何かを言いたい。書きたい。だから、こんなところに古川の分裂なんて、ない。

きついのは睡眠時間の不足だ。1日に3時間しか寝ないで平気になった……と自認した瞬間、俺はマズいなと思った。真の分裂というのは、こういうところに待っている。落とし穴を掘って、待っている。今年は夏休みをとる予定だったが、もう無理になった。しかし、どこかで、10日でも20日でも休む。それを、来年……の目標とする。

いずれにしても、まず新地町だ。それから富岡町。私はそれらの場所に、声を響かせに向かうように見えるだろう。そうじゃないんだ。声を、集めたい。いっぱいの声を、この身に、「銀河」の仲間たちの身に、ゴッチのその身やギターにも。